タイムリミットまで、あと……
ニーナは眠たげな目をこすり、それから丸テーブルの上に置かれた小瓶を取る。
「行きます……!」
湯気が立ち上る錬金釜の上で、ほんの少しだけ小瓶を傾ける。<神秘のしずく>が一滴、ぽちゃりと音を立てて、紫色の沸き立つ溶液のなかに落ちた。
──ぼふんっ!
「ひゃあ!? うえぇ、けほっ、けほっ!」
ニーナは慌てて後ずさった。目の前に置かれた錬金釜からは黒い煙がモクモクと上がり、頭上に備え付けられた煙突へと吸い込まれていく。いまごろ屋根の上からは、一筋の黒煙が青空に向かって伸びているのだろう。ニーナはがっくりと肩を落とした。
──また失敗しちゃった。もうこれで何度目だろう。
ポーションの改良を終えて意気揚々と入浴剤づくりに取り組んだのが、二日前の夕方。
あのときはいける、この調子なら入浴剤づくりもきっとうまくいくと、そんな予感がしたというのに。
しかし現実はそう甘くはなかった。この二日ほどで少なくとも十を超える黒煙を上げ続け、形になった調合品も欠点だらけ。なぜか泡が黒いものから、時間が経つと泡がカチコチに固まるもの、お湯がスライムみたいになったあげく、勝手に動き出して呑み込まれそうになるものまで。浴室からシャンテの悲鳴が聞こえるたびに、ニーナは誠心誠意謝った。
つい先ほど試したヌルテカ泡ぶろ入浴剤の試作六号もひどかった。シャンテが試しにお湯を張った浴槽に、固形石鹸のような形をした入浴剤を投入してみたのだが、するとたちまち泡が大量発生。浴室は泡まみれと化した。視界を埋め尽くすほどの膨大な泡に身の危険を感じたシャンテは、慌てて浴槽の栓を抜き、それから浴室の扉を開けて逃げ出したものの、増殖を続ける泡がリビングまで雪崩のように押し寄せたのだった。
あれから二時間ほどたったいまも、シャンテはブラシを片手に掃除に追われている。ニーナは申し訳なさでいっぱいだった。
「また失敗したの?」
シャンテが、浴室から顔だけ出してそう言った。ニーナは気まずそうに頷きを返す。シャンテはまったく怒っていないようだったが、その優しさに応えられない自分の未熟さが歯がゆい。
「少しは休憩したら? 一昨日からほとんど寝てないんでしょ?」
「うん。でも……」
ニーナは壁にかかった時計へと目をやった。時刻は午前十時を少し回ったところ。<青空マーケット>まで、今日を含めて残り三日しかない。<ココ・カラー>にラッピングをお願いするには、遅くとも三日前の午前中には商品を持ってきて欲しいと頼まれている。つまりあと二時間以内に完成させなければいけなかった。
残り時間的にも次が最後の挑戦となるだろう。すでに思いつく限りの組み合わせはすべて試したので成功させる自信はあまりないけれど、それでも協力してくれるシャンテのために、そして実家で待ってくれる姉のために、なんとしても完成させたかった。
「ねえ、ニーナ」
いつの間にか側に来ていたシャンテは、後ろ手になにかを隠しながら声をかけてきた。そして、椅子に座って目をつむってみて欲しいと言う。いったいどうしたというのだろう。ニーナは疑問に思ったものの、疲れていたこともあり、素直に椅子に腰かけて瞼を閉じた。
「ちょっと失礼」
それが、ニーナが耳にした最後の言葉だった。
◆
「はい、おはよう」
気付いたらベッドで仰向けになっていた。
いつの間に眠ってしまっていたんだろう。ニーナは不思議に思ったが、シャンテが手にしているものを見てすぐに理解した。自作の発明品である<絶対快眠アイマスク>で眠らされていたのだ。これは身につけた瞬間から使用者を深い眠りに誘う魔法の道具なのである。
だから気付かないうちに眠ってしまっていたのだろうけれど。
「えっ、なんで私は眠らされていたの?」
どうやって、かはわかったものの、どうしてなのかは理解できなかった。
「そりゃあニーナが、いくら寝なさいって言っても休もうとしないからよ」
「だって、いま頑張らないと色々と間に合わないし……あっ、時間! ねえ、いま何時!?」
「もうすぐお昼の一時ってところかな」
──えっ、もうお昼? それじゃあ私、間に合わなかったの?
「お昼ご飯できたから一緒に食べましょ」
「そんなことしてる場合じゃないよ! <ココ・カラー>へ行って、それから」
「ちょっと落ち着きなさいよ」
──あいたっ!
ニーナは、前のめりになったところをシャンテにデコピンされた。
「<ココ・カラー>へはアタシ一人でもう行った。これまで完成させた商品を持って、ニーナが描いていたラベルデザインも渡して、手続きも済ませた。もちろん支払いも済ませたわ」
「でも、入浴剤は……」
「そりゃあ入浴剤についてはラッピングをお願いできなかったけど、だからってニーナが寝ないで頑張ったってどうにもならなかったじゃない。忘れているようだから言うけど、ラッピングを頼むなら試作品を完成させるだけじゃなくて、完成品を二百個も用意しなくちゃいけないのよ? ね、どのみち間に合わなかったでしょ?」
「そっか、そうだよね……」
ニーナは、そんな単純なことにも気が付かないぐらい自分は焦っていたのかと思った。それもこれも寝る間を惜しんで無理をしたせいだ。だからシャンテは、だますような真似をしてでもニーナに睡眠をとらせたのだ。
「……迷惑かけてごめん。私、また一人で突っ走っちゃってたんだね」
「ん、わかればよろしい。とりあえずお昼にしましょ。きっと兄さんが下で待ちくたびれているから」




