激辛レッドポーションを改良せよ!
「ど、どうかなぁ」
「……すんごい辛くて、酸っぱくて、臭い」
テーブルの上には調合に使った道具の数々と、空になった小瓶が一つ。
吐き出す寸前とでも表現すればいいのだろうか、なんとも形容しがたい表情を見せるシャンテの前で、ニーナは大きくため息をついた。
マヒュルテの森から戻ってきたニーナたちは、すぐさま調合に取り掛かった。苦労しながらも採取した<パンギャの実>を使って<激辛レッドポーション>の改良に取り組んだのだ。匂いの問題はひとまず置いておいて、一つ試作品を作ってみることにしたのである。
完成した試作品は、ぬめぬめとした赤い液体だったレッドポーションに生クリームを加えたような、そんな濁った色だった。お世辞にも美味しそうには言えない見た目。それに加えて、やはり腐ったヨーグルトのような鼻につく異臭がつきまとう。これにはシャンテも、えっ、これをいまから飲むの、とためらってしまったほどだ。
実際、鍋をかき混ぜるているときも嫌な予感しかなかった。準備の段階からすでに異臭が家のなかを漂っており、ロブは早々に外へと逃げ出した。果実を<マナ溶液>にぶち込み、煮詰めても異臭は収まらず、むしろ立ち込める湯気と共に常に空気中へと放出されているようだった。そうしてできあがった液体もやはり臭くて、色も微妙で、辛さは改善されたものの絶妙にまずい。相変わらずの遅効性なので、肝心のポーションとしての効果はまだ体に表れていない。
つまり、総じて言うと微妙だ。
臭いがあまりにひどいので、辛さを我慢できる人なら改良前の方がマシと言えるかもしれない。
そもそも<パンギャの実>を素材として試してみようと思った理由は二つあった。一つは栄養価の高さ。そしてもう一つが、レモンよりも強い酸味である。
<激辛レッドポーション>の欠点である、むせ返るほどの辛さ。これを和らげるには牛乳などの乳製品や、あるいは酸味のあるものが有効だと調べた結果わかった。それならば酸っぱくて栄養価の高いものを素材として選んでみようと思い至った。レモンは試したが効果は薄く、他にもグレープフルーツやライムを試してみたものの、ほとんど変化はなかった。だから臭いと噂される<パンギャの実>にも手を出してみたのだが。
しかし結果はごらんのとおりである。
「うーん、匂いだけならともかく思ってた以上に酸味も強くて、これはこれで飲みづらいわね」
シャンテは悩ましげな表情を見せる。臭いことは覚悟していたが、期待したほど味を改善できなかったこともあり、落胆の表情を隠しきれていない。せっかくたくさん採ってきたのになあ、とニーナはまたしてもため息をつきたくなる。
けれど落ち込んでばかりもいられない。ニーナは丸いテーブルの上に、マヒュルテの森に生育する植物がまとめられた図鑑を広げる。<パンギャの実>が持つ特性の中でなにか見落としがないか、あるいは似たような特徴を持つ果実がないか、もう一度調べようと思ったのである。
シャンテも首を伸ばすようにして、隣りから文面を覗き込む。
「なになに……世界一とも評される酸味と、独特な匂いを放つ果実が特徴」
匂いの方は世界一じゃないのね、と思わず苦笑してしまう。もっと臭いものがあるというのなら、ぜひ兄に嗅がせてみたいところだ。
「表面は黄色く、熟すにつれてオレンジ色の斑点模様ができる。このころが食べごろだが、熟れると柔らかくなるため、もぎ取る際には注意が必要である。皮は薄く、手で簡単に剥くことができる。味はお世辞にも良いとは言えず、例えるなら非常に酸味が強いサワークリームのよう。この酸味は熱に強く、残念ながら加熱しても酸味が和らぐことはないため食用には適さない。半面、栄養価は目を見張るものがあるため、匂いと酸味に目をつむれば薬の素材としては優秀……」
──熱に強い酸味か……
シャンテはある程度魔法に関する知識はあるが、錬金術に関してはさっぱりである。それはそもそも学問が違うからなのであるが、しかし旅をしてきたなかで、料理の知識はそれなりに身についた。シャンテ自身がお洒落と同じぐらい料理に興味があったという理由もある。
ともかく、頭のなかに一つ試してみたいことが閃いたシャンテは、ちょっと外に出てくるわ、とニーナに言った。
「上手くいけばすぐ戻るわ」
ニーナはその意味がよく分からなかったが、行き詰っていたこともあり、気分転換に外の空気でも吸いに行ったのだろうと考えた。そしてニーナはもう一度手元の図鑑に視線を落とした。
シャンテは本当にすぐに帰ってきた。ものの五分程度だっただろう。帰ってきたときには、片手に琥珀色をしたお酒のボトルを握っていた。シャンテが言うには、すぐ近くで暮らすイザベラから借りてきたらしい。
「お酒なんてもってどうするの?」
お酒が飲めるのは十八から。もちろんニーナもシャンテもまだである。ロブのためという可能性もあるが、でもこのタイミングで貰ってきたのだから別の目的があるのだろうとニーナは思った。
「すぐにわかると思うから見てて。まあ、上手くいくかどうかはわかんないけどさ」
そう言ってシャンテはキッチンに向かうと、フライパンを火で熱し始めた。待っている間に<パンギャの実>を包丁でスライスし、フライパンが温まったらそこにラードをたっぷりと溶かし、グラニュー糖を加える。
「ねぇ、なにしてるの!」
ニーナは気になって仕方がなかったが、シャンテは意味ありげに笑うだけ。
そうしてフライパンにスライスした<パンギャの実>を投入し、両面を飴色になったグラニュー糖でコーティングしていく。
「ちょっと危ないから離れててよ」
そう言ってシャンテが手にしたのは、先ほどご近所さんから借りてきたお酒である。どうやらそれはブランデーのようだけれど。
──えっ、危ないってどういうことですか。
訊ねる間もなく、シャンテはフライパンにブランデーを回し入れた。
するとたちまち、ぶわっ、と青い炎が顔の高さまで上がったではないか!
「うわぁ、おわっ、えぇっ!?」
ニーナは琥珀色の目を丸くした。
なにこれ、いまなにをしたの?
「これはフランベと言って、香りづけをする調理法なの。肉料理でも、魚料理でも、いまみたいにデザートの仕上げでも活用できるんだ」
「そうなんだ! でもほんと<パンギャの実>とは思えないほど、とっても良い香りがしてるよ!」
シャンテはそれを白くて小さなお皿に盛って、それからナイフで二人分に切り分けた。
「さて、香りはかなり改善できたと思うけど、問題は味よね。とりあえず食べてみて」
ニーナは勧められるがままにフォークを握って、生まれ変わったデザートを口元へ。これだけ鼻先に近づけても甘い香りが漂ってきて、期待に胸が躍った。
それでは一口、いただきまーす。
「……んっ! んんっ!?」
──す、酸っぱいっ!
ニーナは思わず両目をぎゅっとつむった。こんなにも甘そうな香りがするのに、まさかこれほどまでに酸っぱいなんて。これはもう詐欺だと思った。
「あはは、味はそんなに変わらなかったか」
「うん、いやでも実際に一口目は甘いなって感じたんだけどなあ」
「それは表面を砂糖でキャラメリゼしたからよ。でもまあ、元はといえば辛味を和らげるために酸味を求めてたわけだし、酸っぱいのが残ってた方がいいのよね?」
「そっか……そうだよね! でもどうしてシャンテちゃんは突然この方法を思い浮かんだの?」
「ああ、それはね、そもそもの話だけど酸味には二種類あって、お酢などに含まれる熱を加えたときに消えちゃう酸味と、白ワインに含まれる煮詰めるほど酸味が増すものとがあるのよ。で、さっきニーナが読んでいた本に<パンギャの実は加熱しても酸味が和らぐことはない>って書いてあったからさ。それならフランベを試してみようと思ってね」
「な、なるほどー」
「ちなみにフランベしたときにアルコール成分は飛んじゃうから、酔う心配もないわ」
ニーナは素直に感心した。咄嗟の閃きにも感心したが、なにより料理の知識に驚かされた。料理が得意なのは知っていたけれど、まさか知識も豊富だったとは。
「こんなことを知ってるなんてすごいよ、シャンテちゃん!」
「うーん、でもアタシは錬金術に関しては素人だから、こういう方法もあるよ、としかニーナに教えてあげられないんだよね」
「ううん、すっごく参考になった。というか、もうこれを錬金釜に入れちゃおう!」
えっ、と今度はシャンテが目を丸くする。
「そんなのあり?」
「うん、ありあり! 大ありだよ! いまから調合の準備に取り掛かるから、シャンテちゃんはもう一回フランベしてもらっていい?」
それから二人は手分けして準備に取り掛かった。手順の多さの関係で必然的にニーナの準備の方が時間がかかるので、計量などはシャンテにも手伝ってもらった。
錬金術の成功に欠かせないものは念入りな準備と、上質な素材と、そして知識に裏付けされた閃きである。
この閃きというものはなんとも曖昧だが、今日のニーナは特別冴えていた。突然のレシピ変更にもかかわらず、ニーナはフランベされた<パンギャの実>を使いこなし、なんと一度の錬成で試作品第二号を完成させたのである。たぶんだけれど、シャンテからフランベや酸味について詳しく教えてもらえたことが成功につながったのだろうな、とニーナは思った。
「随分と色が変わったわね。そもそもレッドポーションなのに赤くないし。けど……うん、香りは抜群によくなったわね」
「でしょ? 名付けて<レモン香るピリ辛フルーツポーション>だよ。素材の配分も変えて、レモンや、ヤギミルクから作ったヨーグルトを足してみたから、味も結構変わってると思うんだ」
「なるほどね。それじゃああまり期待はしないけど、頂いてみようかしら」
そう口では言いながらも、先ほどとは違って嫌そうな顔一つせずに、シャンテはクリーム色のとろっとした液体を口に含んでくれる。
「ど、どうかな?」
「……す、すっぱぁ」
だ、ダメだったか……
「酸っぱいけど、でも特別まずくもないよ。なんかいろんな味が混じってて、一番最初に感じたのは酸味かな。それから辛さがあとから追いかけてきて、体がかーっと熱くなる感じ。前みたいに咽そうになったり舌が痛くなったりはしないわ」
思いのほか悪くない反応がもらえて、ニーナは顔をほころばせた。それからニーナも自作のポーションを飲んでみて、たしかにこれなら悪くないかもと頷いた。そもそもポーションは美味しい飲み物ではないし、薄い砂糖水のようなものから、苦くて飲めたものでは無いものまで、味の種類も豊富なのだ。そう考えれば、この味もありだと言えるかもしれない。
──これは優勝に大きく近づいたんじゃないかな?
ニーナは確かな手ごたえと共に、残る<ヤギミルクたっぷりヌルテカ泡ぶろ入浴剤>の改良に取り掛かる。このときは、このまま快進撃を続けられると信じて疑わなかったのだけれど……




