ウルドの滝つぼにて
言いつけを守り、アルベルたちと距離をとりながら歩くニーナたち。前を行く二人の足取りは早く、見失わないようについて行くだけで精いっぱいだったが、ニーナたちとて一刻も早くこの異臭とおさらばしたい。不満を言うことなく、懸命に前を行くアルベルたちを追った。道中で採取したい素材をいくつか見つけたが、それは泣く泣く諦めることにした。
やがて、どこかから水が流れる音が聞こえてくる。それも大量の水が流れ落ちるような激しい音だ。
もう少し。あと少し。せせらぎの音に誘われるように草木をかきわけながら歩いていくと、突然、目の前の視界がぱっと開けた。
「うおぉ、川だぁ! 滝だぁ!」
澄んだ水が勢いよく流れる幅の広い川。その奥には切り立った断崖と、しぶきを上げる滝。壮大な景色を前に、ニーナもシャンテも思わず足を止めて見入ってしまう。
「ねえシャンテちゃん。せっかくなら滝のすぐ側まで行ってみようよ!」
「そうね。全身ベトベトだし、アイツの言う通り滝に打たれてみるのも悪くないかも」
ごろごろと大きな石が転がる足場を、足を滑らせないように慎重にわたっていく。やはりアルベルたちは慣れているのか、ニーナたちのことなど気にせずどんどんと進んでいくが、ここまで来れば見失っても大丈夫。ニーナたちは自分たちのペースで一歩ずつ歩みを進めた。
「うわぁ!?」
バランスを崩しかけたところを、前を行くシャンテが手を引いて助けてくれる。
「ほら、あと少しなんだからしっかりしなさいよ」
「うん!」
そうして二人は助け合いながら、というよりは一方的にニーナが助けられながらではあったけれど、それでも滝のすぐ側まで辿り着くことができた。
ウルドの滝は近くで見るとより迫力があった。それに水が落下する音が想像以上にすごくて、声を張り上げないとかき消されてしまう。大量の水が流れ落ちた先は滝つぼとなっていて、それなりに深さがありそうだ。
かばんを下ろし、靴と靴下を脱いで、朱色のジャケットも一旦脱いで、そして二人は手を繋いで水の中へと足を踏み入れた。
「ひゃあ、つめたっ! でも気持ちいい!」
じゃぶじゃぶと水を蹴りながら進んでいき、そして胸元まで浸かるぐらいの深さまで来たところで屈んで、一気に頭の先まで水の中へ。目を開ければ相手の顔がはっきりと見えるほど水は澄んでいた。シャンテの藍色の髪が気持ちよさそうに揺れている。水のなか、ニーナたちは互いに笑みを浮かべて笑いあう。
「……ぷはぁ! はぁー、気持ちいぃ!」
「そうね、とっても気持ちいいわ!」
「ねぇ、魚がいるの見えた!?」
「うん、見た見た。取って焼いて食べようか?」
「いいねぇ、そうしよう!」
そのとき、ふと視線を上げた先でレックスがこちらをじっと見ているのが見えた。
ねぇ、君も見てないで入りなよ、とニーナは手招きをする。
「ばーかっ! 誰がお前らみたいなくっさい女と一緒に入るか!」
「むぅ! もう臭くなんかないよ!」
べーっ、と舌を出し、レックスは兄のもとへと走っていってしまった。
──もう、ほんと生意気。素直じゃないんだから。
「あっ、兄さんのこと忘れてたわ」
シャンテはそういって水辺から上がると、ロブを川の中に突っ込んだ。
ぶくぶく、ふごふご。雑に扱われたブタが無数の水の泡を生み出していく。一向に上がってこないけど大丈夫かな。心配になってきた、そのとき。ぶっはぁ! と、ロブが水面に顔を出す。
「ふはぁ、ぶはぁ……えっ? なに、なんで水のなか?」
「色々あったのよ。それよりその辺に魚が泳いでると思うから捕まえてよ」
「え、なんで?」
「焼いて食べるためだけど、いらない?」
「いります! 行ってきます!」
そう言ってロブは再び水の中へ。顔を上げながら前足をかいて泳ぐのなら分かるけど、まさか素潜りができるなんて思いもしなかった。ニーナよりもよっぽど泳ぎ上手である。
ロブが魚を追い掛け回している間に、ニーナたちはこっそりと着替えを済ませた。替えの着替えを持ってきていたわけではないけれど、ニーナは<携帯用蚕ちゃん>を持ってきていたのだ。相変わらず蚕は気まぐれで、フリフリの、どこぞの貴族に仕えるメイドさんのような服を着ることになったけれど、これはこれで可愛いから良しとする。もう目的の素材も手に入れたしね。
「ねえ、なんでアタシの方はこんなにも薄着なの?」
シャンテに用意されたのはメイド服ではなく、ネグリジェと見間違いそうな薄い生地の衣服だった。淡いピンク色のワンピースで、透け感のあるレースが特徴的である。ざっくりと胸元が開いており、屈むと色々と見えてしまいそう。普段から露出が多めの服を着こなすシャンテも、これは少々恥ずかしいらしく顔を赤らめている。
「それは蚕ちゃんの趣味だから私に訊かないで。それよりさ、あっちに行ってきてもいい?」
ニーナは滝の上の方を指さす。つい先ほど、アルベルがワイヤーを駆使して登っていくのが見えたのだ。
「いいけど、一人で行ける?」
「うん。なんとかなると思う!」
そう言ってニーナは滝が流れる岩壁へと駆け寄った。向かって左手に白い水しぶきを上げる壮大な滝があって、目の前にはごつごつとした岩が壁のように立ちふさがっている。しかしその岩は剥き出しではなく、無数の垂れ下がる蔦がまるでカーテンのように覆っている。ニーナはぐわっと手を広げて蔦を掴むと、グイっと引っ張り強度を確かめてみる。
──うん、これならいけそう!
ニーナは満足げな笑みを浮かべた。そして、ようし、と気合を入れて、垂れ下がる蔦を頼りに絶壁を登り始める。目指すは岩肌の途中にあるでっぱり部分。そこでアルベルは何かをしている。ニーナはその何かを確かめたいのだ。
もちろん、こんな壁ぐらい<ハネウマブーツ>があればひとっとびだ。だからシャンテに頼めばよかったのだが、ニーナはそうしなかった。なぜなら蔦のカーテンが見えたから。錬金術師は得てして好奇心旺盛な人種だ。特にニーナはそうである。自分の力で登ってみたいと思ってしまったのだから、この衝動は止められないのだ。
けれどニーナはこういったことに慣れていない。ただでさえ小柄な女の子であるし、運動はどちらかといえば苦手だし、少し走っただけで息が上がってしまうほど体力もない。だから登り始めてすぐに、これは思った以上に大変だということに気が付いた。岩肌はごつごつとしており、たいらではない。かといって足場にするには十分ではなく、時折足を滑らせそうになる。
とはいえ、もう引き返せる距離でもなくなってしまった。ここからならもう登る方が早いだろう。手をかけ、足をかけ、息を切らしながらも蔦を頼りに登っていく。ニーナは最後の気力を振り絞ってアルベルがいるはずの足場に手をかけ、そしてなんとか疲れ切った体を引き上げた。
「はぁ、はぁ、やっとついた」
両手を膝につき息を整えるニーナを、アルベルは訝しげに見つめる。レックスは別の場所で採取に励んでいるのか、ここにはいなかった。
「まさかと思うけど、ワイヤーも使わずに素手で登ってきたのか?」
「そう……だよ……」
「……その恰好で?」
「うん、そうだけど……」
ニーナは息を整えながら答える。ここまで全身を使ってよじ登って来たこともあり、メイド服はところどころ破けてしまっていた。
「君、馬鹿だろ」
「なっ、失礼な! これでも頑張ったのに!」
「頑張ったかどうかなんて興味がない。世の中には優れた道具があるのにその力を頼らず、無駄なところで体力を使うから馬鹿だと言ったんだ。意地を張ってないで、素直に<ワイヤーバングル>の性能を認めればいいのに」
「買わないのは認めるのが悔しいからじゃなくて、単純にお金に余裕が無いからなの。というか、そこまで言うならもっと安く販売してくれたらいいのに」
「優れた商品は軽々しく安売りなんてしない。商売の常識だ」
「はいはい、そーですか。で、ここでなにしてるの?」
アルベルが手にしているのはなんの変哲もない木の枝だった。それほど長くはなく、葉っぱも付いていない。いったい何に使うつもりなのだろうか。
アルベルは何も言わなかった。代わりに振り返って、すぐ側の茂みに向けて木の枝を伸ばす。岩肌の隙間から草木が生えていて、そこにはちょうど蜘蛛の巣がかかっていた。アルベルはその蜘蛛の巣を枝を使って払っている。
「……掃除してるの?」
「やっぱり君、馬鹿だろ」
「むぅ、馬鹿って言うな!」
ニーナは憤慨するが、けれどアルベルは意に介さず。円を描くようにして蜘蛛の巣を枝に巻き付けていく。
「あっ、わかった! もしかしてそれが求めてた素材なんだ!」
「まあね」
「えっ、それじゃあその糸がワイヤーになるの?」
「ばーかっ」
「むぅ!」
──さっきからずっと私のことを馬鹿にして! イベントでは絶対アルベルよりたくさん売って、私のことを認めさせてやるんだから!
「先端の<ポインタ>に使うんだよ。あのくっつく部分ね。というか蜘蛛の糸がワイヤーに使われてたら危なっかしいだろ」
そんなの知るわけないじゃん、とニーナは心の中で悪態をついた。そもそも吸着する先端部が蜘蛛の巣の粘着力を利用しているというのも、それはそれで心許ないように思うのだけれど。でも口に出すとまた馬鹿だと言われそうなのでやめておくことにした。
代わりに、ここへはよく来るの、と訊ねてみる。
「まあね。<モンジョウグモの輝く銀糸>を探すついでに、金になりそうな素材を集めて回るんだ。例えばあれとか」
そう言って指さしたのは足場から少し離れた位置にある岩肌である。
そこになにがあるというのか、ニーナはよく目を凝らしてみた。
「苔みたいなのがへばりついてる?」
「ああ。正確には<イワタケ>といって、ああして岩にへばりついている平べったいキノコなんだ。錬金素材としてはそれほど価値はないが、独特の食感が病みつきになるからとレストランなどで買い取ってくれる」
「へー、そうなんだ。あっ、もしかしてあれも<ワイヤーバングル>を使って採取するの?」
「そうだけど」
「私、やってみたい!」
「……は?」
ニーナが目を輝かせたのとは対照的に、アルベルはなんとも嫌そうな顔を見せた。




