再び森へ
──どしんっ!
鬱蒼と木々が生い茂るマヒュルテの森。ニーナたちの向かい側には、ガルルルル、と低く唸る狼の群れが。襲ってこられたらひとたまりもないと、おのずと杖を握る手にも力がこもる。
──どしんっ!
すぐ側の木々から鳥たちが羽ばたく。獲物を目前としているにもかかわらず、狼たちは一向に襲ってこない。そればかりかこちらを睨む目には、どうも力がこもっていない。
──どしんっ!
群れのなかの一匹がさっと身を翻した。それを合図に狼たちは森の奥へと消えていく。どうやら引いてくれたようで助かった。ニーナはほっと胸をなでおろす。
──ぼふんっ!
目の前で上がる白い煙。そして地面に横たわる小さなブタさん。
そう、狼を追い払ったのは巨大化したロブだったのだ。ニーナはロブの巨体に隠れながら、万が一に備えて<七曲がりサンダーワンド>を握りしめていたのだが、戦うことにならなくて本当によかった。
「ありがとう、ロブさん。おかげで素材を採取できそうです」
ニーナはロブにお礼を言うと、さきほど狼たちが群れを成していた近辺へと歩み寄る。その木の根元近くに、今日ここへやってきた目的の一つである、<ヌメリキイロタケ>が生えていた。先ほどはこれを採取しようとしたところで狼に見つかり、けれど諦めることができなくてロブを頼ったのである。
ぎゅるるるる、とお腹を空かせるロブに、シャンテが食事を与える。その傍らで、ニーナはせっせと素材採取に励んでいた。
「あむあむ、一仕事したあとの飯はうまい」
「一仕事って、なにもしてないじゃない」
「いやいや、獰猛なる獣どもを追い払ったじゃん」
「でも威嚇しただけで動いてないじゃない」
「チッ、チッ、チッ。バトルボアに変身するだけでお腹が減るんだよなー」
ロブは巨大化したブタの姿をバトルボアと名付けている。人間の姿になるよりかは魔力消費が少ないものの、結局お腹が減って動けなくなるので、こうして燻製肉をむしゃむしゃしている。腹が満たされればまた変身できるようになるため、今日みたいに長く探索する時には助かるものの、食費ばかりかかるとシャンテは愚痴をこぼす。いまも兄に、狼の一匹ぐらい捕まえてみせなさいよ、と無茶なことを言っている。
──でもほんと仲いいよね、あの二人って。
折り畳みのナイフを駆使してキノコを採取しながら、ふとニーナはそんな事を思う。シャンテが兄に文句を言うのはいつものこと。けれど誰よりもロブのことを想っているのはシャンテである。本人は決して口にはしないし、訊ねたところでシャンテは認めないだろう。でも絶対にそうだとニーナは確信している。
そんなことを考えていると、ニーナもまた姉のことが恋しくなってきた。
──お姉ちゃんに良い報告をする為にも、なんとしても入浴剤を完成させなくっちゃ!
<拡縮自在の魔法瓶>に詰めたキノコも入浴剤の素材となる。旅立ちの前日に調合したときは<ヌメリアカタケ>を使用して失敗したので、今度はそれとよく似た、けれど微妙に性質が異なるキノコを素材としてリベンジしようと思っている。調べたところによると<ヌメリアオタケ>という種類もあるようなので、見つけ出して採取したいところ──
「うわっ!?」
「えっ、ニーナ!?」
あきれ顔でロブの食事を眺めていたシャンテは、ニーナの驚いたような声が聞こえて振り返る。すると、ちょうど茂みの奥へと消えていくところだった。しかもあれはどう見ても引きずられていた。シャンテの鼓動がドクンと跳ね上がる。
「ニーナ! 返事して!」
「た、助けてぇ……!」
槍を握りしめて駆け出そうとした、ちょうどそのとき、高々と逆さづりにされたニーナの姿が映る。どうやら左足を根っこのようなものに絡めとられて体の自由が利かないらしい。つまりニーナを襲ったのは人喰い植物の仲間といったところか。素材採取の途中だったからかニーナは杖を手放しており、代わりのナイフで根っこを切ろうともがいている。けれど根っこは太く、また無数に伸びてくるため、いまにも四肢を絡めとられてしまいそうだ。
しかも悪いことに、逆さづりにされているためスカートが捲れあがっている。年頃の女の子が顔を赤らめずにはいられない様な、そんな恥ずかしい格好で宙ぶらりんになっていた。
「うっひょー!」
──どごぉ!
「鼻の下伸ばしてないで、さっさと助けに行きなさいよ!」
「いやー、まだ消化しきれてないから無理」
「ほんと使えないわね、このエロブタ!」
そんなところで見てないで助けてぇ、と情けない声を上げている。
仕方がない、アタシがやるしかないか。シャンテは小さくため息をついた。
右足を蹴って一歩前へ。たったの一歩でニーナの真下まで跳ぶと、今度は左足を踏み切り、一気に空へ。そしてニーナの足を絡めとる木の根を華麗な槍捌きで切り払い、そのままニーナを抱きかかえる。
「た、助かった……」
ニーナを地上へ降ろし、なおも襲い掛かろうとする木の根に対し、シャンテはフレイムスピアに炎を灯す。いかに世界樹の影響で肥大化した魔物であれ、所詮相手は植物。ちょいとばかし根っこを燃やしてやれば、人喰い植物も大人しくなるというもの。そのままするすると根っこを引っ込めてどこかへと行ってしまった。
「さ、さすがはシャンテちゃん。お強いです」
「まあね。といっても半分はニーナの発明品の力だけど」
素早く駆け付けて救出できたのは<ハネウマブーツ>があってこそ。これがなくては最悪の場合、迫る根っこに阻まれて逃げられていたかもしれない。
「もうだいぶ使いこなしてくれてるよね」
「そうね、よっぽどのことがない限りは、どこかへ跳んでいっちゃうこともなくなったかな。さっきも冷静に対処できたと思うし」
さすがに巨大ゴーレムを相手にしたときのように、誰かを背負って走ると、足の裏に余計な力を込めてしまってあっちへふらふら、こっちへふらふらと、いまでも予期せぬ方向に跳んでしまう。それで今日も失敗しかけたのだが、それならそれで、今度はニーナの出番である。背中のリュックサックを懸命に羽ばたかせて方向転換することで、難なく軌道修正ができる。なんだかんだで二人は良いコンビだった。
「さて、次は<パンギャの実>だったわよね」
「うんっ!」
<パンギャの実>とはマヒュルテの森でもごく一部のエリアでのみ採取できる果実で、独特の酸味と、鼻が曲がるほど臭いと噂のフルーツである。栄養価が高く、一昔前までは病人が口にしていたらしいが、錬金術が発達した今では、わざわざ好んで食べる人は誰もいなくなった。調合素材としても臭いが問題となり、やはり人気がない。そのため採取しても安値で買い叩かれてしまうとあって、市場でもあまり出回らず、ある意味において珍しい果物なのである。
「見た目は黄色くて楕円形をしているのよね?」
「うん。手が届かない様な高い位置で実をつけるから、ぜひシャンテちゃんに採取をお願いしたいところなんだけど」
「まっ、そうなるわよね」
<ワイヤーバングル>でも装備していれば話は別だが、あいにくと二人はいまお金に余裕が無い。なので<ハネウマブーツ>を履くシャンテが木の高いところまで登って採ってくるしかないのである。熟れた<パンギャの実>は近づくだけで臭いと耳にするので、できれば触りたくなどないのだが、これもニーナの頼みであり、さらにはロブの解呪薬を手にする為である。嫌でも頑張るしかない。
そんなこんなでやってきた<パンギャの実>の群生地。見上げたシャンテは、確かに高いわね、と目を細める。仮に<ワイヤーバングル>が手元にあったとしても、訓練しなくては当てられそうにない高さである。
「じゃあちょっと行って採ってくるけど、兄さんは上向いちゃダメよ」
「えっ、なんで?」
──なんでって、そりゃあ……
「……言わなくてもわかるでしょ。そういうことだから、兄さんが鼻の下を伸ばしていたら遠慮なくげんこつをお見舞いしてやって」
「うん、りょうかい!」
そんな殺生なぁ、というロブの言葉を無視して、シャンテは軽快に木を登っていく。枝から枝へ足をかけながら、一気に頂上付近へ。
「これが<パンギャの実>か。近くで見ると案外大きいわね」
黄色くて、底の方が丸々と太った形をしている。色や大きさは違うが洋梨に似ている気がした。ニーナの話では熟れた<パンギャの実>はオレンジの斑点模様が目印らしいが。
「……どれも似たり寄ったりね。オレンジの斑点は見えるし、どれでもいいってことでしょ。というか臭いし、早く採って下まで降りよう」
顔を背けたくなるような異臭がする。腐ったヨーグルトのような鼻にツンとくる臭いだ。シャンテは顔をしかめながらも<パンギャの実>に向かって腕を伸ばすが──
「えっ、サル?」
突然、目の前に下りてくるのはサルに似た謎の生物。それが尻尾を使って器用に、逆さ向きにぶら下がっているのである。そして呆気に取られるシャンテの目の前で<パンギャの実>をもぎり取ったかと思えば。
──べちゃっ!!
なんと顔面目掛けて異臭のする果実を投げつけてきたのだった。




