盲目の主さま
──主さまの目を覚まさせてやって欲しい。
ニーナは調合の準備を一旦止めて、シャルトスにきちんと向き直る。
「いまの話、詳しく訊かせてくれるかな?」
「うん、僕も初めから全てを話すよ。長くなるかもしれないけれど、いいかい?」
ニーナはこくりと頷いた。
「事の始まりは二人も知っての通り、僕の主さまがグローメルに一目ぼれしたのがきっかけなんだ。グローメルのことをもっとよく知ろうと思った主さまは、使いの者に調べさせて、それで外見だけでなく人間性も素晴らしいことがわかった。家柄こそ裕福では無かったものの、国家騎士団の秘密諜報員らしくてね。隠し事が多いながらも正義感の強い人だってことで、主さまは彼のことをとてもとても気に入ったんだ」
「ちょっと待ってよ。秘密諜報員ってなに?」
シャンテが疑問を口にすると、シャルトスはまさにそこなんだよと言う。
「僕も疑問に思ってね、主さまには内緒でこっそり調べたんだ。そしたら、秘密諜報員なんて真っ赤な嘘。ただただ口が達者なだけのほら吹き野郎だったのさ」
「なんでまたそんな嘘を?」
「そりゃあ女に貢がせるためさ。グローメルはその場その場で適当な嘘をついて、お金持ちの女性から金を巻き上げるような奴なんだよ。秘密諜報員なんて胡散臭い役職を名乗ったのも、つじつまを合わせるのにちょうどよかったからだろうね。なんでも秘密にできるから。でも実際は無職だし、賭け事にお金を使ってばかりで蓄えもほとんどない。あのダンスパーティーで身に纏っていたタキシードだって、隣り街に住む別の女に貢がせたものなのさ」
──あんなにも優しかったグローメルさんが?
ダンスパーティーで抱き合う二人を見ていたニーナは、にわかには信じられなかった。好青年にしか見えなかった。あれもすべて演技だとは思いたくなかった。
それでもシャルトスが嘘をついているとも思えなくて。
「そうだったんだ。でもさ、そうだとわかったならどうしてシャルトスはロゼッタさんにこのことを教えてあげなかったの?」
「もちろん伝えたさ。あの男はうそつき野郎だから好きにならない方がいいってね。でも主さまは僕の言うことを信じてはくれなかった。恋は盲目なんていうけど、まさに主さまはグローメルのことを妄信的に素晴らしい人だと思い込んでいた。僕の言葉も悪いうわさも、耳に届かなくなっちゃったんだ。こうなったら証拠を突きつけてやろうかとも考えたけど、グローメルはああ見えて警戒心の強い男でさ。しかも悪いことに、少しぐらいなら魔法が使えるときた。だから僕が使える程度の簡単な魔法では、相手に自白させることもできなかったんだ」
ニーナは何とも言えない気持ちになった。ここまで聞いた話におかしな点は特にない。だからシャルトスの話は本当なんだろう。でもだとしたら、これまでなんのために頑張って協力してきたのだろう。なんだかやるせなかった。
「そうしてある日、グローメルがダンスパーティーに出席すると知った主さまは、なんとしてもそのパーティーに参加したいと考えてね。親のコネを使って招待状を手に入れることに成功したんだ。ただあの巨体では踊れないということで、色々と画策したあげく、今度は願いを叶えてくれる錬金術師探しに奔走するようになった」
「なるほど、そこでニーナが出てくるわけね」
「いや、その前に登場するのはシャンテだよ」
「えっ、アタシ?」
シャンテは首を傾げながら自分を指さす。
「そう、君と僕さ。覚えてないかな、君に踏まれそうになったあの日のことを」
「ああ、えっと、屋根の上でお昼寝してたシャルトスを踏んづけそうになったときのこと?」
「そうそう、それそれ」
その話はニーナも訊いていた。シャンテが<青空マーケット>のチラシを持ち帰ってくれた日に、<ハネウマブーツ>で屋根の上を駆けていたところを踏んづけそうになったのだとか。
「そのとき僕はピンと来たんだよ。どうせなら今話題のガラクタ発明家に依頼して、ダンスパーティーに参加できないようにしよう。痩せることができなければ主さまも諦めるに違いない。そう思って僕は新米錬金術師であるニーナのことを主さまにおススメしたんだよ」
「えっ、それじゃあ私のことを選んだのはロゼッタさんじゃなくてシャルトスだったの?」
「そういうことになるね」
「じゃあ、調合の途中で小瓶を落とそうとしたのも」
「そう、完成されると困るから邪魔をしようと思ったんだ。ついでに言うと、ニーナの財布を奪った犯人も僕だよ」
「えっ?」
ぴょんと、シャルトスはテーブルの上から飛び降りて、ゴロニャーゴと灰色の猫は鳴く。するとたちまち大きくなり、いつの日か見たフードを被った少年の姿になる。歳はニーナと同じくらい。猫のような吊り目がちの瞳に、ちょっとばかし生意気そうな顔つきがいかにもシャルトスらしい。
さらにフードを取ると、なんと灰色の髪の毛の上にさんかくのネコミミが現れたではないか。
「その耳は本物なのっ?」
目を輝かせ、前のめりになって問いかける。
「まあね。触ってみる?」
こくりと頷いて、ニーナはそっとネコミミに手を伸ばしてみた。
──うわぁ、この手触り、この温かさ、間違いなく血の通った本物だよぉ!
「これで分かったと思うけど、財布を盗んだのは僕。もちろんお金目当てじゃないからあとで返す予定だったけど。でもまさかブタが匂いを辿って追いかけてくるとは思わなかったよ」
そういってシャルトスはまた元の猫の姿に戻ってしまう。もっとネコミミを触っていたかったけど仕方がない。いまは真面目な話の途中なのだから。
でもいまの話を訊いて、どうしてこれまでシャルトスの態度が素っ気なかったのか、その理由がわかった。依頼達成に向けて頑張れば頑張るほど、シャルトスとしては面白くなかったのだろう。
「──気に入らないわね」
唐突にシャンテはそう言った。腕を組み、細い眉を不愉快そうにひそめている。
「つまりアンタは、始めからニーナが失敗することを期待していたってこと?」
「……うん、まあ、そうなるね」
シャルトスは決まりが悪そうに目を逸らすが、シャンテは追及することをやめない。
「ねえ、それってすごく失礼な話じゃない? こっちだって<青空マーケット>の準備に忙しいのに、それでもニーナはアンタたちのためを想って引き受けたのよ?」
シャンテは怒っていた。どんな理由であれニーナを利用しようとしたシャルトスに腹を立てているのだ。その気持ちだけで嬉しくて、胸の内に熱いものがこみ上げてくるけれど、シャルトスの事を思うとどんな顔をすればいいか分からなかった。
そんなシャンテの言葉に、その通りだよ、とシャルトスは冷静に答えた。決して開き直っているのではないことはニーナもすぐに分かった。とても澄んだ目でこちらを真っすぐに見つめていたからだ。
「主さまのためとはいえ、僕はニーナのことを利用した。それは君の優しさを踏みにじる最低な行為であり、だから僕はそのことについて謝りに来たんだ」
そういってシャルトスは背筋をピンと伸ばすと、深々と頭を下げる。
「ごめんね、ニーナ。僕の身勝手に巻き込んでしまって。最初はお金を払うからいいかと思ってたけど、真剣に調合に取り組むニーナを見て途中から申し訳なく思ってた。結果がどうであれ、最後には事情を説明して謝ろうと思ってたんだけど、でも謝って済むことでは無いよね。それでも言わせて欲しい。騙すことになって本当にごめんなさい」
頭を下げ、長い尻尾もテーブルの上に垂らし、体全体で誠心誠意の気持ちを表す灰色の猫。あまりの低姿勢を前に、もう顔を上げて、とお願いするけれど、それでもシャルトスは低い姿勢を保ったまま。
「私、そんなに怒ってないよ」
そう言って初めて、シャルトスはゆっくりと、ほんの少しだけ顔を上げた。そして顔色を窺うように、うるむ瞳でまじまじと見つめる。
「どうして怒っていないんだい?」
「うーん、怒ってないというか、よく分かんないというか。初めに騙されたと知ったときは何とも言えない複雑な気持ちになったし、けれどこれまでの経緯を説明してもらったら色々と腑に落ちたというか、なるほどそうだったのか、って思った。納得したからかな、あんまり怒る気になれないんだよ」
「ニーナ……」
「それよりさ、まだ話に続きがあるんだよね。訊かせてよ」
「……うん!」
シャルトスは前足で目元の涙を拭うと、にっと笑ってみせる。ニーナの前で初めて見せる、吹っ切れたような清々しい笑顔だ。
「僕からみんなに新たな依頼のお願いです。グローメルの悪事を暴き、どうか僕の主さまの目を覚まさせてやってくれませんか?」




