解けない魔法と終わらない依頼
パーティー会場の中央で、破れてしまった白いドレスで必死に体を隠そうとするロゼッタ。瞳からは大粒の涙を流し、蹲ったまま動けなくなっていた。周りも凍り付いたように立ち尽くし、誰一人彼女に駆け寄ろうとしない。さすがのグローメルも驚きのあまり言葉が出ないようだった。
「お願い、蚕ちゃん!」
せめてなにか着るものを。
ニーナはリュックサックから<携帯用蚕ちゃん>を取り出し、新しい服を作ってもらう。蚕は白い糸を吐き出し瞬時にロゼッタの体を包むと、次の瞬間にはピンク色のフリフリのゴシックドレスが現れた。いまのロゼッタに似合っているかというと正直厳しいものがあるが、それでも破れたドレスよりずっとましだった。
そのまま走ってロゼッタの側まで駆け寄る。そして涙を流す背中に優しく手を回した。かけるべき言葉は見つからないけれど、せめて寄り添おうと思った。
「君、これはいったい?」
グローメルがようやくといった様子で言葉を絞り出す。
「えっと……」
「見たまんまさ」
返答に困るニーナに代わって、いつの間にか追いついてきたシャルトスが疑問に答えた。
「本来の姿はこっち。愚かにも僕の主さまは君に好かれようと、魔法で姿を偽っていたのさ。どう、幻滅した?」
「そう……だったのか」
周囲からざわめきが起こる。ひそひそと、近くの者同士でロゼッタを悪く言う声がどうしても耳に入ってくる。嘲笑う者。けなす者。やっぱりそうだったのね、と納得する者。反応は様々ながら、いまのロゼッタにはどれも辛過ぎる言葉だった。
「すみません。私の力不足でした」
もう少し効果時間の長い調合品を作れていたならば、こんな事態にはならなかったのに。ニーナもまた辛い思いをしていた。悔しくて、悲しくて、ふがいなくて。自分の調合品がきっかけでロゼッタを苦しめているのだと思うと、胸が張り裂けそうなほど辛かった。
「帰りましょう、ロゼッタさん」
俯き、すすり泣くロゼッタに優しく声をかける。これ以上ここにいてはいけない。そう思った。
けれどそんなとき、一人の男性がロゼッタに向けて手を差し伸べる。
「顔を上げてください、ロゼッタさん」
悲しみに暮れるロゼッタに声をかけたのは、なんと意中の人であるグローメルだった。ロゼッタと目線を合わせるように恭しく膝をつき、そっと手を差し伸べる。涙でぐしゃぐしゃになったロゼッタの顔を見てもグローメルは嫌な顔一つせず、にこっと笑いかけた。
「僕のためにありがとうございます」
「えっ……」
「魔法を使ってまで綺麗になろうとしたのは全部僕のためなのでしょう? その気持ちが僕は嬉しいよ。だからありがとう」
「グローメルさん……」
「確かに、僕も初めはあなたの美しさに惹かれました。でもいまは違う。ほんのひと時だったけれど同じ時間を過ごしてみてわかった。君は僕の運命の人。あなたの優しさに僕は心奪われたのです。だからそんな顔をしないで笑ってください。どんな姿だろうと、僕はあなたを愛していますから」
そうして二人はどちらからともなく抱きしめ合う。
その姿はとても美しくて、どんな魔法も敵わないぐらい素敵に思えた。
周囲が唖然とするなか、ニーナは抱き合う二人に拍手を送る。すると一人の男性が、ニーナに同調するように拍手した。そうしてまた一人、また一人と。初めはまばらだった拍手の音が次第に大きくなる。険しい顔の女性陣も渋々ながら手を叩く。
様々な感情が渦巻きながらも、二人を祝福する拍手の音はいつまでも鳴りやむことがなかった。
◆
「──ということがあったんだよ! もうほんと素敵だった!」
「はいはい、もうその話は何度も訊いたから。アンタはもうちょっと調合に集中しなさい」
いろいろあった舞踏会から早くも三日。ニーナは本格的に<激辛レッドポーション>の改良に取り組んでいる最中だった。といってもまだ準備中。<マナ溶液>を温めているだけなので、ニーナも気楽なものである。
「いやー、やっぱり恋人にするなら優しい人が一番だよ。シャンテちゃんもそう思うでしょ?」
「アンタ、恋愛とか興味あるの?」
「そりゃあもちろんあるよ。いまは錬金術が恋人だけどさ」
でしょうね、とシャンテはロゼッタから送られてきた<魔法文>を読みながら言った。その手紙には、あれから二人で街を散策したことや、一緒にディナーを楽しんだこと、プレゼントを贈って喜んでもらえたことなど、幸せそうな近況がこれでもかと綴られていた。同封されていた写真には体型が見事に違う二人が、それでも仲睦まじく手を繋いでおり、これからの明るい未来を連想させた。
「どこからどう見ても幸せそうよね」
「だよね。シャンテちゃんも誰かとお付き合いしたいと思ったことある?」
「うーん……いや、幼いころに両親を亡くして、それからは兄さんと二人きりで転々と街を渡り歩いてきたから、誰かを好きになる暇なんてなかったんだ。だから恋愛事には疎いというか、ロゼッタたちが遠い世界に感じるというか。運命という言葉を信じたことはないけど、たった数日でここまで仲良くなれるもんなのかと感心してる」
「あの場に居て、グローメルさんの告白を間近で聞けば、シャンテちゃんも納得したと思うよ」
告白ねぇ、とシャンテはうわごとのように呟いた。愛の言葉など物語のなかだけで十分。実際に耳にすればむず痒くなってしまいそうである。好きな人からの言葉であれば、また違った捉え方ができるのであろうか。シャンテは想像力を働かせてみるが、そもそも好きな人の顔が思い浮かばないシャンテには、想像することすら難しかった。
そんなとき、ふとロブと目が合った。
「……うん、ないわね」
「おっとー、いま失礼なこと考えただろー?」
「そんなことないよ、兄さん」
シャンテにとってロブは、だらしないことと清潔感に欠けることを除けば、ちゃんと誇れる兄である。頼りになるし、魔法使いを志す者として尊敬もする。身だしなみさえ整えれば容姿だって悪くないと思っている。ただそれでも、ロブが誰かに愛の言葉を囁いているところを想像すると、思わず笑ってしまいそうだった。アタシにはまだ恋愛事は早いみたいだ、とシャンテは結論付けた。
「あれ?」
たまたま窓の外に目をやったシャンテは、灰色の猫がこちらの様子をじっと窺っていることに気付いた。立ち上がり、窓を開けて迎え入れる。
「どうしたの?」
「ニーナにお客さんだよ。子憎たらしい猫ちゃんのね」
「あっ、シャルトスだ!」
猫は家に入ると、自分の定位置はここだと言わんばかりにテーブルの上を陣取った。そして真っすぐにニーナのことを見つめる。
「今日はどうしたの? まさかご主人様が恋人に取られて焼きもち焼いてるとか」
「僕に限ってそれはありえないよ」
またまた憎たらしいことを。なんとも可愛げのない猫ちゃんだ。
そう思った矢先、シャルトスは意外なことを口にした。
「今日来たのはさ、ニーナに謝りたいことがあったんだ」
「えっ、君が……私に謝りたい?」
聞き間違えたのかと思って一言一言確かめるように繰り返すが、シャルトスはそうだよと頷いてみせる。
「それと、主さまに内緒で依頼したいことがあって来たんだ。お願いだニーナ。君の力でロゼッタとグローメルを別れさせて欲しい。騙されてすべてを奪われる前に、僕の主さまの目を覚まさせてやって欲しいんだ」




