てんやわんやの大騒ぎ
買い出しから戻ったばかりのシャンテは、家の惨状を見て、持っていた紙袋を落っことした。ぽかんと口を開けて、ロゼッタを見上げたまま固まってしまう。
「どした、どしたー?」
半開きになった扉からロブが入ってきた。そしてロゼッタを見て、シャンテと同じように立ち尽くした。
かと思えば。
「うっひょー!」
呆然としていたのはわずかな間だけ。つぶらな瞳を二度三度ぱちくりさせると、雄たけびを上げて、とんとこと、ロゼッタの近くまで走り寄る。
「おー、おー! これどうなってんの!?」
エロブタが鼻息荒く問い詰めてくる。ロゼッタは依然として涙目だ。
でもどこから説明したらいいのやら。巨大化したこと? 黒いゴスロリドレス? それともネコミミ?
「ちょっと、兄さんはこっち来て手伝いなさいよ!」
あぁ、そうだった。外も大変なんだっけ。
でも一体何がどう大変なんだろう。
「シャンテちゃん。外が大変だってどういうこと?」
「アンタのミニトマトが暴走してるの。蔦が覆っちゃって、この家の周りだけジャングルみたいになってるのよ」
「えぇっ!?」
ニーナは慌てて扉をくぐって家の外へ。そして目を覆いたくなるような惨状を目の当たりにして、呆然と立ち尽くした。
シャンテの言った通り、そこはまさにジャングル。これでもかと<スロジョアトマト>の苗木が蔦を伸ばし、葉を鬱蒼と生い茂らせ、そして果実をたわわに実らせている。魔界植物でも植えたのかと疑われても反論できないほど異様な光景で、こうして突っ立っているいまも、うねうねと、苗木は蔓を伸ばし続けている。ある意味で<魔イワシ入り植物栄養剤>はこれ以上ないほどの効き目を見せたのだけれど、これはどう考えてもやり過ぎ。凄さよりも、恐ろしさとか、おどろおどろしさといった恐怖の方が勝っていた。
──というか、栄養剤を試したのはつい二時間ほど前だよ? 効き目凄すぎでしょ……
「と、とりあえず苗木を地面から引っこ抜いて、これ以上成長しないようにしよっか」
もはやなにから手をつけたらいいか分からないけれど、まずはそこからだと思った。
「こうなった以上は蔓を引きちぎったりすることになるけど、文句言わないでよね」
「うん。あっ、でも、燃やしちゃ嫌だよ? 最低でも苗木の一部分は残しておかないとポーションが作れなくなっちゃう」
「馬鹿ね。いま火をつけたら家ごと燃えちゃうじゃない」
本当は面倒だから全部燃やしてしまいたいぐらいだけど、とシャンテはボソッと呟いた。いつもながら迷惑をかけてしまうことが申し訳なくて、とにかく率先して動き出さないと、とニーナは思う。まずは裏手に回って、これ以上成長しないように土から引っこ抜いて……
「ニーナさん!?」
そのとき、家のなかからロゼッタの声がした。
「私を置いて何してるの!? 一人にしないでくださる!?」
いまにもヒステリックを起こしそうな声が聞こえてくる。また体に変化が現れたのだろうか。いや、そうでなくとも、おかしな体になってしまったのだ。心が不安定になってもおかしくない。近くにロブとシャルトスがいてくれているはずだけど、どうも頼りないし。ニーナはシャンテに一言断って、家のなかの様子を見に行く。
「ああ、どうして一人にするのですっ?」
「ごめんなさい。でもいま、家の外がものすごく大変で」
「そんなこと私には関係ありませんわっ!」
……そうだよね。わがままにも聞こえるような発言だけど、今回に限って、ロゼッタの気持ちは理解できる。効力が切れれば元の姿に戻れるだろうと安易に考えていたけれど、いざ自分が大きくなってしまったとき、楽観視できるだろうか。もしかしたら、この姿のまま元に戻れないかもしれない。そんな不安を抱いてもおかしくない。いや、そう思ってしまうのが普通だ。
「……わかりました。私、ここにいます。ロゼッタさんが元の姿になるのを見届けて、もしいつまでたってもこの姿のままなら、私が責任をもって解除薬を発明してみせます。ですからもう少しだけ待っていてもらえませんか?」
「もう少しとは、どれくらい?」
「……わかりません。なにせ初めての完成品なので。予想では三時間ほどかなと思うのですが」
「そう……わかりました。取り乱してごめんなさい」
ロゼッタはそう言って顔を膝にうずめてしまった。少しばかり落ち着きを取り戻してくれたようだけど、それでも不安なことに変わりはないのだろう。
ニーナはシャンテに事情を説明して、外の問題をお願いした。問題を押し付けることになってしまって申し訳ないけども、いまはこうするほかない。あとでもっときちんと謝ろうと思う。
ひとまずは家のなかを片付け始める。ロゼッタが巨大化したときに、あれもこれも肉の壁が押しのけてしまったので、テーブルや椅子などが散乱してしまっていた。瓶も割れて、薬品が床を濡らしている。幸いにもレシピブックは濡れていなかったので本当によかった。
ニーナが片付けに追われている間も、シャルトスは知らん顔。そしてロブはロゼッタの側をウロチョロとしていた。ナンパ師みたいな言葉を並べているけれど、あれで慰めているつもりなのだろうか。もし迷惑がっているようなら、すぐに家の外に追い出すんだけど。
「──なによ、この邪魔な蔓は! 切っても切ってもきりがないじゃない!」
シャンテの声が聞こえてくる。相当苦戦しているみたいだった。
「ねぇ、ロブさん。私がお願いするのもなんだけど、シャンテちゃんのこと手伝ってあげてもらえないかな」
「えー、ブタである俺が行っても役に立てることなんて」
「──うわっ、この蔓、絡まってくるな! ちょっと、そこ、服のなか……きゃっ、この変態がっ」
「俺、行ってきます!」
うわぁ……
いまの、妹のピンチに颯爽と駆け付けるのが目的じゃなくて、絶対にエッチなことが目当てだったよね? いろんな意味で大丈夫かな?
外の様子が気になりつつも、床に散らばったものを片付けて、こぼした液体を雑巾でふき取る。錬金釜を覗き込むと、なかにはチョコレートがまだ残っていた。これを食べると巨大化してしまうと分かっていても、なんだか捨てるのは勿体ないので、魔法の瓶に詰めておく。
一通り片づけ終えると、ニーナは椅子を引いて、テーブルの上にレシピブックを広げた。どこで失敗してしまったのか、原因を探らなくてはいけない。それが分からなくては改良に取り掛かれないし、もしもいつまでたってもロゼッタの体が元に戻らなかったとき、解除薬を作成するにも原因は突き止めておいた方がいいと思った。
──錬金スープの色合いに問題はなかったように思うんだけどなぁ。途中でシャルトスが瓶を落としかけるハプニングがあったとはいえ、あの一瞬の気のゆるみが失敗につながったとも思えないし。素材の組み合わせが悪かったのか、それとも何かが不足してたのかな……
<大人顔負けグラマラスチョコレート>は<デカメロンの果汁><ひょうたんの種><ぷるるんピーチ><カカオマス><カカオバター><マジカルシュガー>という六つの素材を混ぜ合わせて調合している。いま見直してみても、この組み合わせ以上のものは思い浮かばない。実際にナイスバディになることには成功したのだから、使用する素材は間違っていないはず。
「ねえ、ニーナさん」
そうなると、あとは分量を変えてみるか、投入する順番をいじってみるか。火加減やかき混ぜる時間も完璧だと思ったけど、もしかしたら、もっといいタイミングが見つかるかも。
「ニーナさん?」
そういえば、先日イザークから借りた本に、調合品の効き目が強すぎる場合は、火加減を見直した方がいいと書かれてあった。特に最終工程に移る前の段階は弱火に変えて、じっくりと時間をかけて煮込んだ方が性能がマイルドになり、失敗も少なくなるのだとか。予期しない効果が表れてしまったときも有効らしいので、次は火加減に注意して……
そのとき、ロゼッタはニーナの肩をとんとんと、指先で叩こうとした。いくら呼び掛けても反応してもらえなかったからである。なんとなく自分の顔を鏡で確認してみたくなったからニーナを呼ぼうとしたのだが。
しかし結局のところ、ロゼッタはそうしなかった。レシピ帳に向き合うその真剣な横顔を見て、これは邪魔をしてはいけないと、そう感じて大人しく待つことに決めた。
そうして一周、二周、と時計の長針がくるりと回る。そのあいだニーナは何度か席を立つことはあれど、すぐに分厚い本を抱えて戻ってきては、それを机の上に広げて熱心に読み進める。家の外ではシャンテたちが騒がしくしていたが、ニーナはまるで気にならない様子だった。そんな小さな錬金術師の姿を、ロゼッタは窮屈な姿勢で見つめ続けた。
◆
「ただいま……」
明らかに疲労の色が濃いシャンテが、疲れた、という文字を顔に貼り付けて帰ってきた。どうやらようやく蔦の撤去が終わったらしい。ニーナは深々と頭を下げて、ありがとうございました、とその苦労を労った。
「あっ、ロゼッタさん、元に戻ったんだ」
「うん、ちょうどいま戻ったばかりだけどね。本当によかったよ」
予想通りというべきか、<大人顔負けグラマラスチョコレート>の効果時間は三時間と少しだった。つい数分前に体がしぼんでいき、痩せる前の太っちょに戻ったところである。ドレスはびりびりに破れてしまったものの、このサイズの洋服なら魔法で何とでもできる、とロゼッタは自身に魔法をかけた。
「あの、それで、ドレスの修繕費は……」
「気にしなくていいですわ」
「えっ、でも……」
「研究には失敗がつきものですし、それに私もあなたが大事になさっている調合の道具をひっくり返したり、瓶を割ったりしてしまいましたもの」
「いや、あれも元はといえば私の発明品が不完全だったから……」
「ですが、それを試したのは私の意志ですわ。……ただそうね、本当に申し訳ないと思うのでしたら、舞踏会までにきちんと完成品を用意してちょうだい」
「まだ、私に任せてもらえるんですか?」
ニーナは意外に思った。冷静になって考えてみれば、あれだけの失態をやらかしたのだから、契約だって解除されてもおかしくない。少なくとも文句の一つでも言われると思っていた。
それがどういうわけか、あんまり怒っていないようなのである。
「ええ、期待していますから、吉報をお待ちしていますわ」
そう言って魔女は身を翻し、使い魔と共に箒を手にして帰っていった。




