リトライ
いま、私は新しいレシピの開発に取り組んでいます。
ハネウマブーツといって、坂道だらけのこの街をすいすい楽々歩けるような、
(むしろ、どこまででも飛んでいけちゃうような……?)
そんな魔法の靴を目指して、多くの方に協力してもらいながら頑張っています。
一度は失敗してしまったレシピですけど、今日は成功させるつもりです。
本当はオルドレイクさんにも一度レシピを見てもらいたかったんですけど……
こんなことを言うとまた怒られてしまうかもしれませんが、
オルドレイクさんの失敗が私に勇気をくれるんです。
毎日諦めずに調合に取り組んでいる様子を見ているからこそ、
私も失敗を恐れずにチャレンジできます。
だからもし今日また失敗したとしても私はくじけません。
必ず完成させて、この靴を履いて遊びに行きたいと思ってます。
そのときは家のなかを見せてもらえたら嬉しいな、なんて。
お返事いつでも待ってますね。
「──それっ! 今日こそ届け!」
大空に向かって羽ばたく<気まぐれ渡り鳥便箋>を、ニーナは目を細めながら見送った。かれこれ六通目になるラブレターに、今日こそ届けと願いを込めて。
ひとしきり街を一望したあと、玄関の扉をくぐって調合の支度を始める。今日は二度目の挑戦となる。シャンテには何度失敗してもいいと言ってもらえているけれど、だからといって成功させたい気持ちは手放さない。先日は偶然にも<トトリフ>を手に入れることができた。しかし次もそう簡単に見つかるとは限らない。これ以上シャンテに負担はかけたくない。だからなんとしても成功させるべく、前回以上に準備を重ねてきたつもりだ。
錬金釜に<マナ溶液>を注ぎ込み、<ヴルカンの炎>で温め始める。沸騰するのを待つあいだ、ニーナは丸いテーブルの上に必要な材料を並べていく。<メーデスの人喰い馬>の革と蹄に、<マージョリー製の切れない糸>と<風の結晶体>と<ゴムの木の樹液>。いずれも新たに買い揃えた資材たちだ。これらを分量を量った状態で、手の届く位置に並べた。
レシピブックや<お知らせヤギ時計>を準備したあたりで、<マナ溶液>も良い具合に温まってきた。けれど焦ることなく、ニーナは準備に抜かりがないか一つずつ確認していく。
素材よし。分量よし。
手順や前回との変更点も再確認する。念には念を。これに関してはやり過ぎるということは無いのである。
シャンテたちは今日もロブの呪いを解く手がかりを求めて外出中だ。けれどなにも問題はない。見守っていて欲しい気持ちもあるけれど、偉大なる錬金術師を目指す身として、こればかりは自分自身の力で乗り越えなくてはいけない。だからシャンテたちに良い報告ができるように頑張るのみだ。
深呼吸を一つ。
──大丈夫。今日は悪夢を見なかった。
期待と不安が入り混じっているけれど、あとは私の心次第。
ニーナはさらにもう一度深く息を吸って、そして<かき混ぜ棒>を握った。
「さあ、楽しい調合を始めよう!」
錬金術は楽しいもの。極上の素材を使って調合できる幸せを噛みしめなくてはもったいない。
ニーナはにこっと笑顔を作ると、<メーデスの人喰い馬>の革と蹄を勢いよく釜のなかに投入し、二つの素材がドロドロに溶けて形がなくなるまでしっかりとかき混ぜる。時間にして十七分と二十秒かけて。前回の経験から、最初の工程は間違っていないと自信をもって言える。
黄緑色だった液体と素材が混じり合い、錬金スープはその色を赤茶色に変える。
さて、問題はこの次だ。前回はこのあと<ゴムの木の樹液>を投入したけれど、今回は順番を変更して、<マージョリー製の切れない糸>と<風の結晶体>を先に加えてかき混ぜる。手順に関しては、経験不足を補うためにイザークに相談に乗ってもらい、彼の知り合いの意見を参考にして決めた。
赤茶色の液体は新たな素材が加わったことにより、またその色を変えていく。前回と違って灰色ではなく、濃い緑色である。
──うん、この色いいね。
ニーナは確かな手ごたえを感じていた。まだ安心するには早すぎるけれど、前回と比べて一歩前進したといってもいいんじゃないかな、と思うのだ。
「火力調節、弱火に変えて!」
ニーナは<ヴルカンの炎>に命じて、釜の下の炎を弱火に変えた。もともとここで調節する予定は無かったものの、色の変化を見たうえで、錬金術師としての直感がここは弱火にするべきだと囁いたのだ。自分の閃きは信じる。これがニーナの信条である。
深緑色の錬金スープ。粘り気はなくさらさらとしているため、意識しないとかき混ぜるペースが徐々に早まってしまいそうだ。
ゆっくりと、ゆっくりと──こういう時こそ落ち着いてかき混ぜていかなくちゃ。
「……よしっ、そろそろかな」
そうしてかき混ぜること二十分弱。正確には十九分と四十五秒。ふぅ、と一息ついて額の汗を拭う。かき混ぜていると錬金釜の熱気が伝わってきて、いつも汗を掻いてしまう。これからの夏の季節は余計に汗を掻いてしまうから大変なのだ。
ニーナは朱色のジャンパーをさっと脱いで床の上に放り投げると、テーブルの上に用意しておいた<ゴムの木の樹液>を手に取った。前回はこの素材を投入した直後から錬金スープが黒く濁ってしまったため、この素材を手にするだけで、その苦い記憶が鮮明に蘇ってくる。
しかし前回は手順を間違えてしまっただけ。今回は上手くいくはずだ。仮にまた失敗してしまったとしても、少なくとも今回は違う結末が待っているはず。だからそのときはそのときで、また失敗を糧にして挑戦すればいいだけだ。
──そうだよね、シャンテちゃん。
失敗を恐れるな。
というより、ここまで来て躊躇うなんて私らしくない!
ええいとばかりに<ゴムの木の樹液>を釜の中に、大きく円を描くようにして回し入れる。そしてすぐに<かき混ぜ棒>を握り、今度は速く、一気にかき混ぜて完成まで持っていく。火力は強火。素材の投入量は前回の半分に変更している。
素材を投入しても液体の色に変化は見られない。その代わり、どんどんと粘り気を帯びてくる。これでいい。この変化で正しいはずだ。ニーナはねっとりとした液体に魔力を注ぎながら、再びぐつぐつと沸騰するまで力いっぱいにかき混ぜる。荒い息遣いの音だけが静かな部屋に響いていた。
そしてついに調合は最後の工程を迎える。
ニーナは<かき混ぜ棒>をテーブルに立てかけて、代わりに<神秘のしずく>が入った小瓶を手に取った。錬金スープに形を与え、新たな発明品を誕生させるために。
深く息を吸う。
緊張の面持ちを浮かべながらも、琥珀色の両目をしっかりと見開いた。
「……いきますっ!」
小瓶を傾ける。
<神秘のしずく>が一滴、錬金釜のなかへと落ちていく。
たちまち、ぼふんっ、と煙が上がった。その色は……白!
「成功、したんだよね? 喜んでいいんだよね……!?」
じわじわとこみ上げてくる喜び。呆けたような顔にも、次第に満面の笑みが広がっていく。
調合は見事に成功した。あまりにも実感はないけれど、とりあえず形あるものに仕上がったと、白い煙がそう告げてくれていた。
その場に座り込みそうになるのをぐっとこらえて、釜のなかを覗きこむ。そこには確かに<ハネウマブーツ>がイメージ通りにできあがっていた。
ニーナはそれを大切に拾い上げて、目線の高さまで掲げてみる。足首より少し上まで覆ってくれる茶色のブーツ。側面には白い羽飾りのような模様があしらわれている。可愛さも兼ね備えた魔法の靴。我ながらデザインは完璧だと自画自賛したくなる。
そう、問題は機能性。こればかりは実際に使って確かめてみるしかない。
ニーナは靴を履き替えて、さっそく家の外に出た。
<ハネウマブーツ>の使い方は簡単だ。ごく少量の魔力を足の裏に込めるだけ。たったそれだけで反発する力が働き、跳ねるように軽やかな足取りが実現する。そういう風に作ったはずだ。──はずなのだ。
「ちゃんと思った通りにできてるかな?」
よし、せっかくだからここは一つ、大きくジャンプしてみよう。
ニーナは膝を曲げると、両足にぐっと力と魔力を込めた。




