知らないがいっぱい!
「兄さん? ねえ、大丈夫なの?」
「お、おー……腹減ったぁ」
ぎゅるるるるぅ……!
これまたどこかで聞いたような腹の音である。心なしか痩せており、いまの変身もやっぱりお腹が空くみたいだなとニーナは思う。
「ねえ、いまの姿はいったいなんなの? アタシ、あんなの知らないんだけど」
意外にも妹であるシャンテも、あの大きなブタの姿は知らないみたいだ。
「お、お兄ちゃんと呼んでくれたら教えてやっても……」
「じゃあいい。別にどうしても知りたいわけじゃないし」
ひ、非情だ。ロブさんしょんぼりしちゃってるよ。
「で、結局さっきの変身はなんなのよ」
「お兄ちゃんと呼んでくれたら」
「絶対言わない」
あはは、さっきは助けてくれたんだし、一度くらい呼んであげたらいいのに。
などと思っていたら、ロブのつぶらな瞳がニーナのことをじっと見つめてくる。まるでなにかに期待しているかのよう。
「ええと、私はロブさんの妹じゃないんだけどなぁ」
「……」
呼ぶ必要ないわよ、とシャンテは言うけれど、正直ニーナはロブの秘密を知りたい。
まあ私で喜んでくれるというのなら、それぐらいいっか。
「えぇ……ごほんっ! お兄ちゃん、さっきは助けてくれてありがとう。それでね、ニーナ、あの大きなブタさんの秘密が知りたいなぁ」
「おー、教える、教える」
にんまりと笑うロブ。シャンテは軽蔑の目を兄に向けた。
でも今回は頑張ってくれたことだし、大目に見てあげて欲しいな。
「あれな、昨日できるようになったばかりの新しい変身なんよ。こう見えてこの姿でできることを色々と試してる最中というか、一度人間に変身するだけでもすっごく疲れるだろ? 俺、疲れるの嫌いだから、もう少し違う形で強くなれねーかなーって。それで試してみた結果があれ」
ロブは魔女から<アニメタモルの呪い>を受けてブタに姿を変えられてしまっている。けれど元は天才魔法使いだ。呪われた状態でも試行錯誤した結果、新たな変身方法を確立してしまったらしい。ロブは簡単そうに語るけれど、実はとんでもなく凄いことなんじゃないかと思う。
「えっと、それってつまり、新しい変身は人間の姿より疲れにくいということですか?」
「おー、そうなるなぁ。腹は減るけど魔力の消費はほとんどなしだから、ご飯さえ食べればもう一度変身できるぜ。どう、俺の変身見たい?」
「うーん……見たいっ! けど、その力は後にとっておいてもらえると嬉しいかな」
本音を言うといますぐ見たい。そしてできるなら大きな背中に乗せて欲しい。
でもここで無駄に変身して力を使い果たしたら、シャンテちゃんが激怒しそうなんで止めておきましょう。
そんなこんなで思わぬ始まりとなった冒険。まさかいきなりキャンプ地で昼食を食べることになるなんて。
キャンプ地では冒険者同士の交流も盛んで、お金さえ払えば食料を買うこともできる。その多くは持ち運びができる保存食だけれども、今回はロブがすぐに食べてしまうことになった。ロブは肉をねだったので、シャンテは安価で量の多い干し肉を買って、袋を綺麗に破って地面に置いた。
むしゃむしゃと、すぐさまそれを平らげてしまうロブ。満腹になったところで、ようやく<トトリフ>探しに向けて出発だ。
キャンプ場の外側は無数の木々が辺りを埋め尽くすように生えていた。獣道と呼ぶべきか、視界の開けた道もあって、地図を見ながらそこを選んで歩いていけば迷う心配はなさそうだ。それにどこからでも世界樹の位置を確認できるから、方角を見失う心配もないと思う。
ここからはいつ野生動物が襲ってきてもおかしくないので、気を引き締めていかなくてはならない。この森は大気中のマナ濃度が特別濃いためか、野生動物も他の地域ではありえないほど巨大で好戦的だと聞く。冒険者たちのあいだでは「魔物」なんて呼ばれ方もするそうだ。いくらシャンテとロブが一緒とはいえ、せめて迷惑をかけないようにしなくては。
と、初めのうちこそ思っていたけれども。
やはり好奇心には勝てなかった。
「ふおぉー! あれなんですか!?」
ニーナは見たことがないキノコを見つけて、マナの木の根元へと一目散に駆け寄った。残念ながらお目当ての<トトリフ>ではないけれど(そもそも<トトリフ>は地中に埋まっている)、それでも初めて見るキノコである。小ぶりで細長く、色は全体的に黄色。特に傘の部分の色が濃い。そして妙に光沢がある。
ニーナはポシェットから<ハンターズブック>と呼ばれる手帳サイズの図鑑と、それからセットで売っていた虫眼鏡を取り出すと、その虫眼鏡を通して謎のキノコを覗く。つい先ほど買ったばかりの図鑑には、マヒュルテの森に生息する生き物の情報が載せられている。
<ハンターズブック>がパラパラと独りでにめくれる。この魔法道具は虫眼鏡と連動していて、レンズを通して見たもののページを開いてくれるという、なんとも便利なアイテムなのだ。やはり錬金術は偉大だなと、自分の作品でもないのに誇らしい気持ちになる。
「──あった! なになに……<タマゴダケ>って言うんだって。確かに傘の部分の見た目が卵の形をしているし、色も濃い黄色だから、そう思うと卵の黄身に見えてくるや。えっと、毒はなくて……へー、料理にも使えるんだ」
「それ、珍しいの?」
「ううん。私は初めて見たけど、この森では比較的よく採れるんだって」
ニーナはシャンテの疑問に答えながらさっそく引き抜いて、匂いを嗅いでみる。
うん、特にこれといって匂いはしない。
それではまずは一口、いただきまーす。
「えっ、ちょっとアンタ! なにいきなり食べてんのよ!?」
「あむあむ……いやだって、生でも食べられるって書いてあったから……うん、結構美味しいよ。噛めば噛むほど濃い味が染み出てくるね。シャンテちゃんも食べてみる?」
と、訊ねつつ、ニーナはロブにキノコを渡した。ロブなら訊くまでもなく食べると思ったし、実際ためらうことなくすぐにかぶりついた。
「もう! 二人ともあとでお腹痛くなっても知らないんだからね!」
「そのときはそのときだよ。とりあえず持って帰って、今晩のおかずにしようっと」
シンプルにバターでソテーしてもいいし、スープに入れてみてもいいかも。火を通せばシャンテちゃんも食べてくれるよね?
「あれ、もしかして、あっちにあるの<プリズムリーフ>じゃない!? ほら、覚えてる? イザークさんの家で調合したときに使用した、<海月美人>のもととなった素材だよ!」
ニーナはキノコを急いで瓶に詰め込むと、またも一目散に走りだした。
シャンテが後ろでなにか叫んでいるが、夢中になったニーナの耳には届かない。
<プリズムリーフ>の側まで駆け寄る。足元が汚れることも気にせず膝をついて座り、ポシェットからスコップを取り出すと、その周囲の土を少しずつ丁寧に崩していく。こういう素材は根の部分も調合で使うから、途中でちぎれてしまわないように慎重に採取しなくてはならない。
「ほっ、ほっ、よっ、それ! ……ほら、見てこれ! 上手く採取できたでしょ!?」
シャンテに見せながら、僅かに差し込む木漏れ日に当ててみる。
<プリズムリーフ>の葉は無色透明ながら、光が当たるとその色を七色に変える。イザークの家で使用したときには急ぐあまりじっくりと観察できなかったこともあって、ニーナは様々な角度で心行くまで観察を始める。
「薄々気づいてはいたけど、アンタってば猪突猛進というか、好きなことに対しては一直線なのね。なんだかイノシシみたい」
「え、なにかいった?」
「イノシシみたいだって言ったのよ。そんなに無防備だと、悪い魔女に呪われちゃうわよ?」
「あはは、イノシシかあ。もしそうなったらロブさんと一緒にご飯食べようっと」
シャンテはあからさまなため息をついた。心ここにあらず。いまのニーナは錬金術のことで頭がいっぱいで、皮肉を言っても無駄なようである。
まあでも、落ち込んでいるよりかはいいか。
シャンテはそう思うことにした。
昨日のニーナの落ち込みっぷりは酷かった。これでもかと高い素材を投入したうえで失敗したのだから当然ではあるが、それでも、いつまでの暗い顔をされていると困る。生活費に余裕はないのだから、早めに立ち直ってもらう必要があった。
それにマヒュルテの森は素材の宝庫であり、ニーナにとってはおもちゃ屋さんのような場所。あらゆるものすべてがニーナの好奇心をくすぐるのである。そのことをシャンテも分かっているからこそ、少しぐらいはしゃいでも多めに見てあげようと思ったのだ。
けれども──
「だぁああー、もう! これじゃあちっとも進まないじゃない!」
また別の薬草採取に励んできたニーナは、びくんと肩を震わせた。
少しぐらいなら、と好きにさせていたシャンテだが、ニーナは目につくものすべてに足を止めては、その一つ一つを採取しようとする。
<ヒカリゴケ>、<燦燦草>、<薬効ツユクサ>、<まだらキノコ>……。途中で見つけた小川では、綺麗だからと名もなき石まで拾い集めていた。
珍しいものならまだ分かる。売ればお金になるというのなら待たされたとしても我慢する。でもそうではなく、価値があろうとなかろうと、ニーナは時間をかけて採取しては瓶に詰めて持ち帰ろうとするのである。そのせいで出発してから随分と経つというのに、振り返ればまだキャンプ場が見えた。あんまりにも進むのが遅いので、ロブなんかごろんと横になって眠ってしまっている。この調子ではいつまで経っても<トトリフ>を見つけられそうになくて、さすがのシャンテも怒ったのだ。
「ごめん、暇だったよね。シャンテちゃんも採取してみる?」
「暇とかそういう問題じゃない! このままじゃ日が暮れちゃうって言ってるの!」
「ああ、そっか。そうだよね。目的は<トトリフ>探しなんだから、早く前に進まなくちゃね」
そうそう。分かってくれればそれでいい。反省してくれるのなら、これ以上は何も言う必要はない。
と、思った矢先だ。ほんの少し歩いたところで、またしても「あーっ」と叫ぶのだ。
「あそこで光ってるの、もしかして<キャキャロット>じゃない!?」
まったくもう、あの子は……
走り出したニーナの後ろでシャンテは大きくため息をついた。




