真っ白な心でもう一度、何度でも
雪が降り止んでから、しばらくして。詰めかけた人々が見守るなか、解放された人質たちが時計台前の広場に続々と姿を見せ始めると、辺り一帯は歓喜の声に包まれた。抱き合い、笑い合い、涙を流して喜びあう人たちを見て、ニーナの胸のうちも熱くなる。
「兄ちゃん!」
戻ってきた人々のなかにアルベルの姿を見つけたレックスが、家族のもとへと一目散に駆けていく。その後姿を見ながら、よかったわね、とシャンテが隣で声をかけてくれた。うん、本当にみんなが無事でよかった。緊張の糸がほどけたニーナは安堵の息をつく。
続いて、黒いコートを纏った集団が、騎士に連行される形で広場へとやって来た。テロリストたちは白い仮面を脱ぎ、手錠をかけられた状態で大人しく指示に従っている。周囲を囲む人たちは、その様子を静かに見つめていた。凶悪な犯罪行為を犯したテログループに対し、誰もヤジ一つ飛ばさないのがかえって異様な光景に思えた。
「いったいどういう魔法を使ったのか、説明してくれるわよね?」
そう疑問を投げかけてきたのは、ニーナたちのすぐそばで一部始終を眺めていたリムステラだった。彼女はあと一息のところで計画が阻止されたにもかかわらず、特に苛立っている様子はない。口調もいたって穏やか。逃げるそぶりも見せず、今回の結末を冷静に受け止めているようだった。
「どういう魔法かと改めて問われると困りますけど……雪解けのように、胸のうちを支配する黒い感情を洗い流し、真っ白な心を取り戻す魔法とでも言えばいいでしょうか。時計台の内側に置かれた鐘を触媒にして、鐘の音を耳にした人々の頭上にフクロウの羽の形を模した雪を降らせる。その雪は肌に触れると熱で溶かされ、人々の心に染み入って、胸のうちに抱える憎しみやわだかまりを溶かしていく。私が編み出したのはそういう魔法です」
「なるほど。またしてもあなたたちに邪魔をされたというのに、妙にすっきりとした気分なのはそういうことなのね。……ほんと反吐が出るわ」
リムステラは義眼を付けていないほうの目で、ニーナを睨みつける。
「憎しみこそ人の本質。他人の感情を勝手に消してしまうなんて、あなた、とんでもないことをしたってわかってる?」
「別に、すべての感情を消し去ったわけじゃない。希望の灯は消えないんです」
<幻杖ロストスノウ>を編み出す際に使用した素材は六つ。<メロディガラス>で心を震わせ、<なごり雪の結晶>で胸のうちのわだかまりを溶かし、けれど<セントエルモの消えない火>によって希望の灯だけは消さない。そして<オオユグルドの羽>で心の平穏を守る。これら四つの素材が持つ特性を<世界樹の枝>と<輝く世界樹の葉>とで最大限まで引き出す。
そうして作り上げられたのが、いまニーナが手にしている杖だった。
テロリストたちが急に大人しくなったのは、ニーナの魔法が彼らの内面から湧き上がる黒い衝動を溶かして消してしまったから。欲望が消えたことで、犯罪を犯してまで大金を手に入れようとする行為が馬鹿げたことに思えたのだ。悪魔が消えたのも同じ。あれはもともと人々の欲望から生み出された存在であり、だからこそ醜い欲望が消えたことで形を維持できなくなったのだ。
それでも、ニーナは感情の全てを消したわけでは無かった。
「私だって欲望そのものは否定しない。欲があるから、人間はよりよい明日を目指して生きていく。欲望は、未来へ繋がる活力となるんだ。ただ、だからといって犯罪に手を染めて良いはずがない。だから私はこの白い雪の魔法で、みんなが胸に秘めている黒い気持ちをリセットした。そうして真っ白な心で明日を迎えて、また新たに湧き上がる衝動を胸に何度だってやり直すんだ。希望の未来を自分たちの手で掴み取るために!」
「あーあ、ほんとあなたってウザいわね。いいわ、早く連行して頂戴。どうせ私はこのまま牢獄に逆戻りなんでしょ」
そうしてリムステラはニーナたちの前から姿を消す。魔女は最後まで魔女だった。一度リセットしたはずの心に、早くも黒い感情が湧き上がっているみたいだった。
でももう関係ない。
今回の事件を阻止できたことで、魔女は残りの余生を牢獄のなかで過ごすはずだから。
「あ、アデリーナさん!」
おーい、とニーナが手を振ると、彼女は人目も気にせず駆けてきて、そして笑顔を浮かべながらニーナをぎゅっと抱きしめた。レックスのときとは逆に、ニーナの顔がアデリーナの豊かな胸に埋められる。苦しいけど、とっても嬉しい。そんな気持ちだった。すぐ側ではロブが、羨ましいぜ、と本音を漏らしていた。
「ねえ、さっきの白い雪はニーナが降らせたんでしょ? 絶対にそうだと思ってたわ!」
「えへへ。あの、お役に立てたでしょうか?」
「もっちろん! テロリストたちの変わりようをニーナにも見せたかったぐらいよ。それにほら、周りの人たちを見て。みんなニーナの魔法で笑顔になったのよ。だからニーナはもっと胸を張るべきだと思うわ!」
「そんな、私はただ必死にできることをやっただけで……」
「それがすごいことだと言ってるのよ! ほら、みんなのことをもっとよく見て!」
言われるがままに、ニーナは人々の表情を窺う。悲しみに暮れるものはもういない。みんな笑顔で、互いの無事を喜びあっている。
「ねーちゃーん!」
向こうでレックスが手を振っている。
「ありがとー! ねーちゃんのおかげでみんな帰ってきた!」
無邪気に笑うレックスに、ニーナも手を振り返す。
するとレックスの隣で兄のアルベルが無言で手を叩き、拍手をする。
えっ、どういうこと? 戸惑っていると、今度はニーナのすぐそばから拍手の音が聞こえた。
「ちょっと、シャンテちゃんまで?」
さらにアデリーナが続き、彼女に倣うように国家騎士の面々がニーナに拍手を送る。
するとどうだろう。周りを取り囲む人々が次々とニーナに向けて拍手をするではないか。
「うぅ、こんなの予想外だよ……!」
涙ぐむ小さな錬金術師に向けられた拍手の音は、いつまでもいつまでも鳴りやむことがなかった。




