涙をぬぐって前へと進め!
──どうして。
「シャンテちゃんは私の靴づくりに反対じゃなかったの?」
疑問を口にせずにはいられなかった。
もう一度挑戦してもいいと言ってもらえて嬉しいはずなのに、どうしてかその言葉を素直に受け止められない自分がいた。
「そうね。生活費もまともに稼げないうちから高い素材に手を出すことには、正直いまでも反対よ」
「だったら……」
「言ったでしょ。今回は買うことを許可しますって」
「うん。だからあのときの一回限りで、もう買ってもらえないと思ってた」
だから失敗できないと思ってた。
いや、シャンテが許可する、しないにかかわらず、<メーデスの人喰い馬の革>を購入した段階で生活費に手をつけていたはずなのだ。金銭的に二度目の挑戦はありえなかったはずなのだ。それなのにどうして、という疑問が消えない。
「馬鹿ね。初めて挑戦するレシピが失敗に終わることぐらい、素人のアタシにでもわかるわ。でもさ、もう一度訊くけど、失敗は錬金術師にとっていけないことなの?」
「わかんない……けど、私は……」
「今日ね、街を歩いていて二つの黒い煙を見たわ。もちろん一つはこの家からだけど、もう一つはオルドレイクの家からだった。頑鉄ジジイは今日もめげずに失敗してたわよ。アンタ、あの家から黒い煙が上がったときに目を輝かせてたじゃない。錬金術は挑戦することが大事だって言ってたじゃない。黒い煙は<挑戦者の証>だって自分で言ってたじゃない」
「うん……」
「アンタはまだひよっこ錬金術師で、村を飛び出したばかりで、この街に来てイザークの代わりに錬成を成功させてお客さんを喜ばせたけど、まだそれだけなの。凄い発明家になれたわけじゃないの。だから失敗して当たり前なの。初めて扱う素材に戸惑って当然なの。そこから試行錯誤することが大事なんじゃないの?」
「うん……」
「ねぇ、ニーナ。失敗はいけないことなの? ダメなことなの?」
「……だめじゃない」
本当にだめなのは、失敗から学ばずに目を逸らしてしまうこと。
そして失敗を恐れて立ち止まってしまうこと。
「アンタの調合が失敗することなんて初めから織り込み済みなの。だからさ、協力してあげるから一緒にお金を稼いで、そしてもう一度、ううん、成功するまで何度だって挑戦しようよ。世界樹を攻略するためにも、ニーナにはとびっきり優れた靴を発明してもらわなきゃ困るんだから、途中で投げ出すなんてアタシが許さないわ」
「シャンテちゃん……」
また、あふれ出した涙が頬を濡らした。今日はこれで何度目だろう。
でもこの涙は悔し涙じゃない。嬉しくて涙が止まらないのだ。
「ほら、冷めないうちに食べちゃいな。明日は<トトリフ>を探しに行くんだから、しっかり食べて体力つけときなさい」
「うん……!」
ごしごしと涙をぬぐう。そしてフォークを手に取ると、反対の手でお皿も持って、料理をかき込むように口いっぱいに頬張った。それはもう一心不乱に、ロブに負けない勢いで。
いますぐにでも錬金術に取りかかりたい。
忘れかけていた衝動が、早く早くと突き動かしてくるのである。
そして物の数分で平らげると、呆気に取られていたシャンテの前で「ごちそうさまでした」と手を合わせて立ち上がる。
「とってもとっても美味しかったです!」
「そう、それならよかったけど……でももうちょっと落ち着いて食べなさいよ」
「うん。でも、調合のことを忘れないうちにレシピブックを見直したいんだ。もう二階に上がってもいいかな?」
「そういうことなら後片付けはアタシがやっといてあげる。でも明日はマヒュルテの森に行くんだから、それだけは覚えときなさい」
「うん、ありがとう!」
シャンテが料理を並べるために整理したであろう錬金道具たちのなかからレシピブックとペンを取ると、その足で二階へと駆け上がり、寝室の隅に置かれた机の前に座って手帳を開く。
もう現実から目を逸らさない。
失敗を見つめて、そして改善点をあぶりだす。叶えたい夢のため、そして信じてくれるシャンテのために、こんなところで立ち止まってはいられない。涙をぬぐい、しっかりと両目を開き、失敗だらけのレシピブックと正面から向き合う。
思えば、素材屋で<メーデスの人喰い馬の革>を手にしたときにはもう、現実から目を逸らしてしまっていた。まだまだ自分が駆け出し者である事実から目を逸らし、失敗してしまう可能からも目を逸らし、ただ見たいものだけを見ていた。すべてを都合の良いように考えていた。イザークの家で調合を成功させたことで勘違いしてしまったのかもしれない。素材さえ揃えば、私でも凄い発明ができると思い込みたかっただけなのかもしれない。
でもそれじゃあだめなんだ。錬成を成功させる三つの秘訣は、上質な素材と、それを使いこなせるだけの豊富な知識と、念入りな下準備である。素材だけあっても、いくら準備に時間をかけても、それを使いこなせるだけの知識と技量がなくては失敗してしまうのだ。
──私はもっと学ばなくてはいけない。
夜は更けていく。
されどクノッフェン北西部にある家の二階の窓からは、いつまでもオレンジ色の温かな光が漏れ出していた。
◆
「準備できた?」
「うん、バッチリ!」
「寝不足じゃない?」
「それも大丈夫。今日は夢も見なかったし」
「そっか。それじゃ行きましょ」
朝早く、ニーナたちは家を出る。
<トトリフ>を手に入れて、そしてもう一度<ハネウマブーツ>の調合にチャレンジするために。
準備は前日のうちに終わらせていた。マヒュルテの森には珍しい生き物だけでなく、危険な生物、それこそ<メーデスの人喰い馬>のような人間を襲う獣もいるらしい。だからつい、あれもこれもと荷物が多くなってしまった。
水筒に保存食、素材を持ち帰るための<拡縮自在の魔法瓶>、ベルトに吊り下げられる魔法のランプ、意外と役立つ<マジカルミラーZ>に、もしものときのための<ラッキー十六面ダイス>。森林火災など起こらないと思うけれど、局地的大雨を降らせることができる<バケツ雨の卵>も念のため。それらを<天使のリュックサック>のなかに詰め込んだ。
素材採取時に頻繁に使用することになりそうなスコップやナイフは、ポシェットに入れてベルトで固定した。赤、緑、二種類のオリジナルポーションが入った小瓶も、もしものときにすぐに取り出せるようポシェットに入れておく。
服装は、ワンピースの上からいつもの朱色のジャケットに朱色のベレー帽を。護身用に<七曲がりサンダーワンド>も持っていく。けれど杖は長くて邪魔になりそうなので、かばんの側面にホルダーを取り付けて、そこに挿せるように改良した。(もちろん翼の動きの邪魔にならないよう、注意して取り付けた)
シャンテの槍も修復済みだ。女性でも扱いやすい短めのフレイムスピアである。シャンテの装備品はどれも派手さはないが上質で、素材にこだわっているのがよく分かる。身に纏う服も魔法耐性に優れたものらしい。
さあ、準備ができた。今日の主役であるロブを伴って玄関の扉をくぐる。クノッフェンを訪れてから五日連続の晴れ。私は天候にも恵まれているな、と澄み渡る青空を見上げながら思う。
今日は街の中心地を目指しているときと違って北を目指して歩いているので、行きの道が上り坂である。ニーナは街の景色を楽しみながらリュックに手を伸ばし、自作の発明品である<気まぐれ渡り鳥便箋>を取る。昨夜のうちに想いを綴った手紙。言わばラブレターである。
「それっ、羽ばたけっ!」
願いを込めて、それを空へと放った。
それはすぐさま鳥の姿を形取り、青空のなかをぐんぐんと力強く羽ばたいていく。
隣を歩いていたシャンテが、いまのはなに、と訊ねた。
「<気まぐれ渡り鳥便箋>っていうんだ。<魔法文>と似ていて、魔力を込めてから手放すことで、鳥の形になって羽ばたき、目的地まで一直線に飛んでいくの。ただ<魔法文>は相手の家のポストに届くのに対して、私が発明した<気まぐれ渡り鳥便箋>は、願った相手の手元に直接届くんだ」
「へー、ニーナの発明品の方が便利そうじゃない。これならメイリィの店で契約してもらえるんじゃない?」
「いやぁ、それがこの便箋はとっても気まぐれというか、届くか届かないかは半々ぐらいの確率なんだよね。それに届かないだけならまだしも、<願った相手に届く>性質だからか、他に条件を満たした相手に届いちゃうこともあるの。まったく見ず知らずの人に届くかもしれないから、想い人とは別の人に愛の告白をしちゃったりして。それにいまは電話も普及し始めたから、余計に売れないよね」
「なるほどね。で、ニーナは誰に手紙を書いたの?」
「オルドレイクさんだよ。この前怒らせちゃったから、そのお詫びと、よろしければ今度お家に遊びに行ってもいいですか、って書いて送ったの。あの家ポストが見当たらなかったから、これは私の発明品の出番かなと思ったんだよね。でも届くかどうかは気まぐれだから、これから毎日ラブレターを送らなきゃ」
「いいじゃない。オルドレイクのことは噂でしか知らないけど、きっとニーナなら友達になれるわよ」
「うん、私もそう思う!」
会って話すことさえできれば、気難しいオルドレイクとだって打ち解けられる気がしていた。
ただ問題は<気まぐれ渡り鳥便箋>がちゃんと手元に届いたとして、オルドレイクがそれを読んでくれるか分からないということ。偏屈で頑固で人付き合いが極端に悪いオルドレイクが、見知らぬ相手から届いた手紙に目を通してくれる保証はどこにもない。
それでも送り続けよう。
諦めなければきっと、この気持ちだっていつか届くと信じて。




