魔女のようにわがままを
「つまらない人生にはしたくない。世界中をあっと言わせることを成し遂げたい。これまで魔女がそうしてきたように、一度くらい私もわがままを押し通してみたい。それが、こんな馬鹿げたことを計画した理由だよ」
「例えその結果、多くの人々に迷惑をかけることになったとしても、ですか?」
男の言葉に、モーゼスは静かに頷いた。とんでもないことを計画していると頭では理解しているが、モーゼスは自分でも不思議なほど落ち着いていた。少しばかり高揚する気持ちと緊張を感じるが、それも含めて良い心理状態にあると言えるだろう。
「経緯はよくわかりました。あなたにその覚悟があるのなら、俺も協力は惜しみません」
「ありがとう。それで、計画の首尾はどうなんだ?」
「万全です。なにせ主催者が味方なんですから」
「上手くいくと思うか?」
「大丈夫でしょう。世界中から集まったお偉いさんや錬金術師たちをまとめて人質に取るのですから、さすがの国家騎士たちも我々の要求を呑むしかないはずです。問題があるとすれば魔女を連れて無事に逃げ切れるかどうかですが、なに、心配はいりません。仮に逃亡が失敗に終わったとしても、あなたの秘密は死んでも守ります」
「いや、別に喋ってくれてかまわんよ。これは自分の人生をかけた大勝負なのだから、もしもの時は潔く自らの罪を告白するつもりだ」
そう言ってモーゼスは男の向かい側に座る。男は空のグラスに赤いワインを注ぎ、それをモーゼスに渡した。
「それじゃあ明日の成功を願って乾杯といきましょうか」
◆
世界樹で迎える三日目の朝がやってきた。
お日様と共に目を覚ましたニーナは立ち上がり、大きく伸びをする。これまでの疲労からか体はちょっぴり重たいけれど、頭はスッキリと冴えている。大きく息を吸って、それから吐いて。朝の冷たい空気がニーナの肺をいっぱいに満たす。なんとも気持ちのいい朝だ。
「おー、起きたか、嬢ちゃん。体のほうはどうじゃ?」
「若干の気怠さは感じますけど、体の痺れみたいなものはまったくないです」
そう言いながら、ニーナは自身の左肩へと視線を向ける。毒蜘蛛に刺された箇所はまだ赤く腫れているけれど、昨日ほどではない。手で軽く押さえてみても、それほど痛みは感じなかった。
「……うん、大丈夫だと思います!」
「そうか、そうか。そいじゃあ今日こそ頂上目指して頑張っていかなくてはのう」
アレクはそう言って朗らかに笑った。さすがはなんども世界樹を攻略してきただけあって、まだまだ元気そうである。
みんな揃って朝食を食べたあとは、頂上を目指して歩き始めた。シャンテやロブがすごく気にかけてくれているのを肌に感じながら、ニーナは懸命に上を目指す。三日目にもなると、ただでさえ狭いエルフロードの道幅はより一層狭くなり、少し強く風が吹くだけでもよろけそうになる。ニーナは足を踏み外しそうになるたびに、恐怖に身を震わせた。
「ニーナ、大丈夫!?」
後ろから声をかけてくれたシャンテに、うん、と言葉を返し、ニーナはまた一歩を踏み出す。ここで歩みを止めてしまうと、恐怖に足がすくんで、そのまま動けなくなってしまいそうだ。
「シャンテちゃんこそ体は大丈夫? 無理してない?」
ニーナは足元に視線を向けたまま、風の音に負けないように大きな声で問いかける。シャンテは魔力欠乏症だというのに、昨日は多くの魔法を使わせてしまった。いまもニーナのペースに合わせてくれているが、それでよかったのだろうかと不安に思っていた。
さすがにちょっとしんどい。
そう言って、シャンテは正直な言葉を口にする。
「でもニーナが頑張ってくれてるのに、泣き言なんて言ってられないしね」
「無理しちゃ嫌だよ? 息苦しいとか、そういうの隠したりしないでね?」
「うん、ありがと。でもなんかあったら兄さんがなんとかしてくれるって信じてるから」
シャンテは振り返り、しんがりを務めるロブに視線を送る。
「おー、任せとけって。昨日はニーナを危険な目に合わせちまったからな。今日は二人がピンチになる前に、変身して助けてやるんだぜ」
妹に頼られて嬉しかったのか、ロブの声は普段よりも弾んでいた。そういえば世界樹を登り始めて今日で三日目にもなるのに、ここまでロブは疲れた様子を特に見せない。いつもは坂道だらけの街をだらだらと歩いては「疲れた」とばかり言っているのに、どうして元気なのだろう。とても不思議である。
「うわあ!?」
びゅう、と吹き付ける横殴りの強い風が一行を襲う。ニーナは深く腰を落とし、ほとんど四つん這いの姿勢になってそれに耐える。中層を抜けたころから、鳥の巣状に複雑に伸びていたマナの木はその数を減らし、いまや数本の木の幹が世界樹を中心に螺旋状に伸びているだけである。周りを遮るものがなにもないから、こうしてまともに風を受けてしまって動けなくなる。
「大丈夫?」
また声をかけてくれたシャンテに、うん、と返事をして立ち上がる。目指す場所はまだ遠いけれど、それでもゴールは見えている。着実に目的地へと近づいているんだ。その実感がニーナに力をくれる。もう少し。あと少し。今日頑張ればロブの呪いだって解ける。そう何度も自分に言い聞かせながら、折れそうになる心を励まし続ける。
そうしてニーナはついにエルフロードの果てへと辿り着いた。ここからは最後の難所。初日と同じように、世界樹の表面にできたわずかな窪みに手と足をかけながらよじ登っていく。
それはもはや岩壁を登ると何ら変わらない、とても険しい道のりだ。というより、もはや道とは呼べない。道なき道とはまさにこのこと。<ワイヤーバングル>があるからどうにか進むことができるけれど、魔力が切れたときが挑戦の最後となってしまうだろう。
ニーナは思う。
初めてここを登ろうとした人は勇敢なんかじゃなくて、きっとただの大馬鹿者だ。道なんてもうとっくに途切れているのに、それでもまだ登り続けようとするなんて、まともな人は考えない。ニーナたちには<輝く世界樹の葉>を手に入れるんだという明確な目的があるけれど、初めて頂上に立った人はなにが欲しくて命を懸けたのだろうか。富? 名声? それとも夢? 自分も同じ場所に立てばわかるだろうかと、ニーナは漠然と考える。
でもダメだ。ここに来て手と足が動かなくなってきた。魔力はまだ残っているけれど、先ほどからどうにも息が苦しい。肩にかかるリュックも重たい。ゴールは目と鼻の先だというのに、そこまでの距離が果てしなく遠い。そしてシャンテはというと、ニーナ以上に限界が近そうだった。肩で息をするシャンテは胸に手を当てたままで、先ほどから動けないでいた。
「おーい、もうひと踏ん張りじゃぞ! ここまで来たらあとは気力の勝負。負けちゃいかんぞ!」
そうだ、その通りだ。アレクの激励に、ニーナは無言で頷く。そして一度シャンテの元まで降りると、震える体を抱き寄せて「一緒に登ろう」と励ました。
ところがそのとき、頭上より不吉な影がやってきた。鋭い爪に長い尾を持つ、真っ黒な翼竜がこちらのすぐ側を飛び回り始めたのだ。それも一頭だけじゃない。列をなすように、次から次へとニーナの目の前を横切るのである。
「いかん、ヘイグルじゃ! こいつらは平気で人を食うぞ! 武器を構えて応戦するんじゃ! ロブ君も早う変身せい!」
「……だな。ここは俺に任せるんだぜ!」
大事な妹とその友達を守るため、ロブは果敢にも前に進み出る。一日に一度きりの切り札を持って翼竜たちを退ける気なのだ。
けれどそんなロブに、待って下さいっ、とニーナは叫ぶ。
「上からもう一羽、別の何かが来ます!」




