世界樹より、故郷へ
それからニーナは替えの服に着替えながら、気を失っていた間に起こった出来事の一部始終をシャンテから教えてもらった。あのゲパルたちをロブが力で従えたと訊いて、ようやくこの状況にも納得がいった。
「じゃあ、いま、結構高いところまで来てるんだ」
「うん。でもさすがにこれ以上はニーナに無理をさせられないし、今回の挑戦はここまでね。フラウを呼んでくるわ」
シャンテはそう言って、人差し指と中指のあいだに挟んだ<お呼び出し名刺>をひらひらさせる。
「え、なんで? たしかに今日はまだ体中が痛くて動ける気がしないけど、明日になればマシになってるかもしれないよ? 帰るかどうか決めるのは明日の朝を待ってからでいいと思うんだけど」
「そう言われてもねぇ。意外と進んだのはたしかだけど、それでも予定よりは遅れてるの。かなり厳しいと思うわよ?」
「じゃあさ、今日泊る予定だったところまで、またゲパルの背中に乗せて行ってもらおうよ」
ニーナがそう言うと、シャンテは目を丸くした。
「……いやいや、悪くない提案だと思うけど、でもやっぱりこれ以上無理して欲しくない。ニーナがどうこうというより、これ以上はアタシの心が持たないわ」
「うーん、心配してくれるのは嬉しいんだけど、私は私で心配なことが一つあるんだよね」
「え?」
「ほら、覚えてるかな、リムステラと面会したときに魔女が口にしてたこと。誰かが近いうちに私をここから出してくれるって、そんなことを言ってたよね。結局のところ、まだ脱獄したって情報は届いてないし、そもそもリムステラが嘘をついている可能性だってあるけれど、相手が相手なだけにやっぱり不安でさ。だからロブさんには一日も早く力を取り戻してほしいんだよね」
それに、とニーナは続ける。
「アレクさんも孫に会うために一度故郷に帰るって言ってたし、そしたら次に挑戦できるのはひと月以上後になっちゃうでしょ? ちょっと長いなぁって。もしその間に脱獄されたりでもしたら、今度は世界樹に登っているところを襲われそうだし」
「……あり得るわね」
「でしょ? だからもうちょっと、行けるところまで行ってみようよ」
「……わかった。でも明日になっても体が痛むようなら絶対に無理はしないこと。いい?」
「うん!」
そうと決まればさっそく出発だ。日が暮れる前に行けるところまで行こうということで、ニーナもゲパルの背中に乗せてもらう。
「振り落されないようしっかりつかまってなさい。かなり荒っぽいから」
「シャンテちゃんの背中に乗るよりも?」
「アタシが一度でも荒っぽい走りをしたことある? それにもし危なっかしく感じたことがあったなら、それはどっかの誰かさんが作ったブーツがじゃじゃ馬なせいよ」
「たしかに。間違いないや」
冗談もほどほどに、ニーナはゲパルの首にしっかりと腕を回す。よろしく、とニーナは声をかけるが、若干トゲのある言い方になったのは仕方のないこと。まだ、ゲパルたちから受けた仕打ちを許したわけじゃない。ゲパルの背中はシャンテよりもずっと広いが、それでもシャンテに乗せてもらう方がずっと安心感があっていいなとニーナは思った。
オレンジ色に染まる空のなか、ゲパルを従えたニーナたちはするすると世界樹を登っていく。たぶんだけど、こんな方法で頂上を目指した者は未だかつていなかっただろう。今日の事を思えば決して良い体験とは言えないけれど。こういった試練を乗り越えた先に求める素材があるのだろうと、ニーナは思うのだった。
◆
「それ、手紙ですか?」
二日目の夜。前日と同じような足場のしっかりとした窪みを見つけたニーナたちは、そこにテントを張った。夕食も終えて、あとは明日に備えて眠るだけである。
昨日と同じく、アレクが先に仮眠を取り、そのあいだだけニーナたちが見張りを受け持つこととなった。そのアレクは眠りにつく前に、一通の<魔法文>を夜空に向けて飛ばした。その手紙は鳥に形を変えて羽ばたき、闇夜に溶けて消える。今日の月は、やけに赤い。
ニーナはアレクの隣でその様子を眺めたあと、誰に送った手紙ですか、と興味本位で訊ねた。
アレクは少し考えてから、孫たちに向けてじゃよ、と恥ずかし気に頬を掻いた。
「今日は内容の濃い一日じゃったからな、どんな冒険をしたのか、いち早く伝えたかったんじゃ」
「ああ、なるほどです。……ちなみに、私のことはなんと?」
「巨大な蜘蛛に捕まった、哀れなヒロインというところかのう」
「ヒロインかぁ。悪くないポジションなんだけど、なんだけどなぁ……」
「ははは。そう悩ましげな顔をせんでくれ。手紙の中でぐらい、わしが主人公でもええじゃろ?」
そう言ってアレクはニカっと歯を見せて笑った。おそらくだけど、手紙の内容にはかなり都合の良い脚色が入っているに違いない。
「お嬢ちゃんも夜の番をしているあいだに書いてみたらどうじゃ。<魔法文>ならまだ余っとるから、よかったらあげよう」
「いえ、私もレターセットは持ってきてるので。元々は頂上に着いてから書こうと思ってたんですけど、明日どうなるかわからないですし、私もアレクさんの真似して家族に書いてみようかな」
「ご家族はどのあたりに住んでおるんじゃ?」
「リンド村っていう、小麦畑と牧草地が広がるだけの、なーんにもない田舎です。方角でいうと南西の方かな? でもさすがに遠すぎるので、いくら世界樹の上からでも見えないと思います」
ニーナは遠くの夜空を見ながら故郷の村のことを想う。今日も書くけど、明日も書こう。素敵な写真を添えて、いい報告ができるようにしよう。そのためにも頑張ろう、とニーナは思った。
ニーナは想いを込めた手紙を飛ばす。その手紙はたしかに、ニーナの故郷を目指して飛んでいった。
ところが、ニーナの手紙よりも先に飛び立ったアレクの<魔法文>は、彼の故郷を目指してはいなかった。それはクノッフェンの上空を旋回し、とある大きな屋敷の郵便受けに届いたのであった。




