怒りの矛先を向けるべきは
アレクたちを置いて、<ハネウマブーツ>を駆るシャンテが一足先にニーナのもとへと駆けつける。
しかしそこでシャンテが見たものは、変わり果てたニーナの姿だった。
「あぁ……」
さっと、血の気が引いていく。
背の赤い巨大な蜘蛛が吐き出す糸によってがんじがらめにされたニーナは、宙づりの状態でぐったりと首を折っていた。ピクリとも動かず、されるがまま。両者の間に三匹のゲパルたちもいたが、シャンテの瞳はニーナの動きばかりを追い続けていた。
「ニーナ!」
ようやく、シャンテは声を絞り出して叫んだ。けれどニーナはなんの反応も示さない。まさか死んでしまったの? 最悪の事態が頭をよぎったとき、シャンテはあまりの胸の苦しさに息を呑むことすらも辛く感じた。
なんだ、この状況は。誰がこの状況を招いた? アタシか? アタシの判断ミスがニーナを殺したのか? アタシと兄さんが付いていれば大丈夫だと、力を過信したからか?
シャンテは自分自身に問いかける。そうしているあいだにも巨大な蜘蛛はくるくると、ニーナを器用に糸で巻き上げ、拘束をより強いものに変えていく。その動きに合わせて、宙づりにされたニーナもくるくると回る。脱力しきった小さな体。一瞬、顔がこちらを向く。その目に光はなく、顔は血の気を失って灰色に近かった。
やがて巨大な蜘蛛はニーナを抱えると、そのまま上へと登り始める。
おい、ニーナを連れてどこに行こうというんだ。もう手遅れだったとしても、勝手に連れて帰ろうとするなんて許せない。絶望は怒りに変わり、手が真っ赤に染まるほど槍を強く握りしめる。
ニーナを返せ!
シャンテは声を上げながら駆け出した。そんなシャンテの行く手を、ゲパルたちが阻もうとする。邪魔だ。邪魔をするな。シャンテはゲパルたちを無視して跳躍。魔法のブーツで宙を駆ける。呆気にとられるゲパルたちの頭上を越えていく。槍を目いっぱいに振りかぶる。ニーナを捕らえる憎き毒蜘蛛が目前に迫る。
勢いそのままに、シャンテは毒蜘蛛の腹をフレイムスピアで切り裂いた。
──どさり。
ニーナの体が地面に投げ出される。シャンテはすぐさまニーナに駆け寄り、抱きしめようとした。けれども、この糸に触れてはいけないというアレクの言葉を思い出し、伸ばしかけた手を止める。代わりにニーナの口元に耳を近づけた。
息がある……!
微かにだけど、ニーナはまだ呼吸をしている。まだ死んでなかった。そのことがたまらなく嬉しくて、でも危険な状況にあることも理解していて、シャンテはどうすればいいのかわからなかった。ニーナ、ニーナ! 意識を取り戻してもらいたい一心で、シャンテは何度もニーナの名を呼ぶ。
「呼ビカケテモムダ。ソイツ、女王ニ毒針ササレタ。モウタスカラナイ。女王ノ毒ハトクベツ。クスリモキカナイ」
シャンテはゲパルをキッとにらみつける。ゲパルが人の言葉を話したことに驚きつつも、それ以上に怒りと憎しみの感情が勝っていた。
「ニラミツケテモムダ。オマエ、ソイツタスケラレナイ」
シャンテはなにも言い返せなかった。まだ生きているのに、なにもできない。こんなにも近くにいるのに、祈るように名前を呼び続けることしかできない。そんな自分の無力さが悔しくて、シャンテは唇をかみしめる。
そこでようやく、ロブとアレクが遅れて姿を現した。
ニーナは? と、ロブがシャンテに問いかける。
「まだ生きてる! でも毒針を刺されたみたいで、ずっと気を失ったままなの!」
「落ち着くんじゃ! 毒蜘蛛の毒は強力じゃが、すぐさま死に至らしめるようなものではない。世界樹のどこかに群生しておる<リトリアの花>があれば、解毒剤を作ることができる。まだ助けられるんじゃよ!」
「ムダ。オレタチ、ソノ花ノ場所知ッテルケド、オマエタチ絶対ニ見ツケラレナイ」
そのとき、場の空気が一変した。
変えたのはほかでもない、シャンテの兄であるロブだった。
白い煙がロブを包む。その向こう側から、低く、冷たい声でゲパルたちに語り掛ける。
「ほう……喋る獣か。それなら、相応に頭も良いんだろうな」
「オ、オマエ、ナニモノダ?」
立ち込める煙より現れたるは、偉大なる大魔法使い。怒りを隠そうともしないロブは、力の差を見せつけるかのように重苦しいプレッシャーを放つ。肌に突き刺さる魔力の波動。敵意を直接向けられているわけでもないのに、シャンテはここから逃げ出したい衝動にかられた。
そしてそれはゲパルたちも同じだった。この瞬間、ゲパルたちは本能的に実力差を理解したのか、その場から後ずさり始める。世界樹に巣食う悪魔と恐れられる三匹の獣も、偉大なる大魔法使いの前では赤後も同然だった。
「お前たちが<リトリアの花>の在りかを知っているというのなら話は早い。力づくで案内させてやる」




