中層に巣食う悪魔①
翌朝、日の出の時刻と共に目覚めたニーナたちは昨日に引き続きエルフロードを登っていく。朝食は現地調達。その辺になっている赤や黄色の果実の中からアレクが食べられるものを見つけてくれて、それらを分け合いながら進んでいく。
時折吹き付ける強い風に、ニーナは顔をしかめる。朝の風は昨日よりも冷たく感じる。体調は悪くないはずだけど、体のあちこちが痛い。それでもアレクが見張りを引き受けてくれたことで、昨夜はぐっすりと眠ることができたから、今日も一日頑張れると思う。
視線を少しばかり右に向ける。見えるのは朝日に照らされるクノッフェンの街並みだ。オレンジ色の屋根が立ち並ぶ異国情緒あふれる街と、その向こうに見える青い海。かろうじて街のシンボルである時計台の姿がニーナの瞳に映る。
「あんまりよそ見してると足滑らせちまうぜ」
前を歩くロブが珍しくまともなことを言う。
「ですね。何事も慣れてきた頃が一番怖いと言いますし」
エルフロードは、言ってみれば丸太渡りの連続だ。鳥の巣のように絡み合ったマナの木の幹の上をバランスを取りながら歩いていく。意外と足元はしっかりしていて揺れることもほとんど無いし、仮に落ちそうになってもワイヤーがあるから大丈夫なのだが、とはいえこの高さ。万が一のことを思うとゾッとする。昨日も苔を踏んでしまって足を滑らせ、二回もワイヤーのお世話になったところだ。
「いてっ!?」
そのとき、なにかがロブの頭上に落ちてきた。
これは果物の芯だろうか? これだけではなんの果実かわからないけれど、誰かがポイと捨てたものがロブの頭上に落ちてきたみたいだ。
なに、どうしたの、と不思議がるシャンテに落ちてきたものを見せる。
するとシャンテの肩越しでそれを見たアレクが明らかに表情を険しくした。
「これはヒョウタンリンゴの芯じゃな」
「これが落ちてきたってことは私たちの他にも世界樹に挑戦してる人が上にいるってことですか?」
「いんや。こいつを食すのはこの世界で一人だけ。いや、もっと正確に言えば一種類の魔物だけじゃ」
「え、魔物?」
ニーナはゴクリとつばを呑む。
「うむ。ヒョウタンリンゴは毒の果実でな、人間は絶対に食わん。……できれば奴とは出会いたくないんじゃが、なんにせよ、ここからはより一層気を引き締めて登っていくとしよう」
アレクがそこまで言う魔物とはいったいどんな相手なのだろうか。どことなく嫌な予感が漂うなか、それはすぐに現実となってニーナたちの行く手に立ちふさがった。
あれは霊長類の一種に当たるのだろうか。
毒々しいピンクの長い体毛に覆われた体。手足の皮膚は黒っぽくて分厚そう。爪は鋭く、絵本に登場する悪い老婆のように鼻が尖っている。そんな異形の生き物が片手でお尻を掻きながら、もう片方の手で赤い果実を口元に運んでいる。体格はゴリラに近いが、長くて奇抜な色の体毛のせいか、受ける印象はまったく違う。顔だけ見れば鳥の仲間に見えなくもない。
「あいつじゃ。あいつが中層の悪魔<ゲパル>じゃ」
アレクは斜め上のほうを睨みながら言う。
ここから距離がずいぶんと離れていることもあって、相手はまだこちらに気付いていないようだ。
「戻って別の道を行こう。遠回りになるが、この際仕方がない」
「待ってよ。確かに見るからに厄介そうな相手だけど、別に倒しちゃってもいいんでしょ?」
「何を言っておるか。あいつと戦うなどもってのほか。ここは逃げの一択じゃよ」
アレクはシャンテの意見を即座に却下した。
「なんでよ。どうせあいつは一匹だけじゃないんでしょ? これから出会う度に逃げ回ってたら、いつまで経っても上に辿り着けないじゃない」
「その通りじゃが、だからこそなるべく戦いたくないんじゃ。あいつらはとんでもなく性格が悪い。一度目を付けられたが最後。仲間を呼んで一斉に襲い掛かってくるじゃろう。一匹だけならなんとかなっても、この狭い道の上で四方から襲われたらひとたまりもない。別の道があるのなら、多少遠回りしてでも出会わないようにする方がええんじゃよ」
「でも……!」
「忘れてはならんが、ここは奴らのテリトリー。木から木へ、縦横無尽に飛び回る魔物を相手に戦い続けていたら体力も魔力も削られてしまう。それは嬢ちゃんも避けたいじゃろう?」
「……まあ、それはたしかに」
この先のことを考えれば、できれば無用な戦いは避けたいところ。ニーナたちはゲパルを横目に見ながら元来た道を引き返し、別のルートを歩み始める。常に頭上を注視しながら、なるべく危険の少ない道を選んで進んでいく。
しかしシャンテが指摘した通り、ゲパルは一匹だけじゃなかった。どのルートを選んでも、ふてぶてしいピンクの悪魔が幹の上に腰を下ろすようにして進路を塞いでいるのだ。
「ちょっと、どうすんのよ」
「ふうむ、こんなにも多いなんて予想外じゃ。もしかしたら冒険者の行く手を塞ぐという遊びを、あやつらは覚えたのかもしれんのう」
「予想外って、ねえ、いつもはどうしてたの? 何度も上まで登ったことあるんでしょ?」
「いつもならこうして別のルートを選んでいけば、そのうち奴らの縄張りを通り抜けることができたんじゃが。しかしこうまで多いとなると、どうしたものか」
ニーナたちは足を止めて考え込む。いつの間にか太陽はかなり高い位置まで来ていた。足もクタクタで、まだ半日しか歩いていないというのに、もう座り込んでしまいたいほどへとへとだった。進んでは戻り、また別の道を進んでは戻りを繰り返していたから、達成感も得られず、精神的に疲れ果ててしまったのだ。
「ここは一つ、今日は思い切って休んで、また明日挑戦してみるのも手かもしれんのう。明日になればゲパルがいなくなるという保証はどこにもないが……」
「でも明後日は雨の予報ですよ?」
持ってきた食料に余裕はある。けれども予定を一日後ろにずらすとなると雨に降られてしまうだろう。そうなれば、わざわざ出発日を前倒しにした意味がなくなってしまう。
「おい、うしろ」
ロブに声をかけられて、えっ、とニーナは振り返る。
すぐ後ろには誰もいない。しかし、もう少し後ろ、これまで歩いてきた幹の上を、あろうことかゲパルがいつの間にか陣取っていたのだ。
まさかここまで付けられていたのだろうか?
そんなことを考えていたときだ。
ゲパルがもう一匹、上から飛び降りてきた。




