エルフロードを渡って②
身をかがめ、時には両手でバランスを取りながら、確かな一歩を重ねるニーナたち。世界樹から見れば蟻のようなちっぽけな存在かもしれないが、それでもはるか遠くの頂きを目指して進んでいく。
「結構高いところまで来たなぁ」
そう実感できるほどに見える景色は様変わりしていた。マヒュルテの森の木々の上を飛ぶ鳥たちが、いつの間にかニーナたちの目線よりもずっと低い位置にいる。
「もう少ししたら開けた場所に出るからの。そこまで行ったら昼休憩としようか」
わっほい、とロブが跳びあがるのを見て、元気だなぁと思う。さすがのニーナもへとへとだった。まあこの瞬間ロブが元気になったのは、お昼ご飯のことを頭に思い浮かべたからかもしれないが。
「うわっ!?」
などと思っていたら今度はシャンテが跳びあがる。
そしてそのままバランスを崩して……
「シャンテちゃん!」
咄嗟に手を伸ばして何かにつかまろうとするシャンテだったが、その手は木の幹の表面を撫でるだけ。そのまま重力に引っ張られるようにして落ちていく。それはあまりに突然の出来事で、ニーナは驚きのあまり目を見開いて立ち尽くす。
「ワイヤーじゃ!」
しかしシャンテとアレクの反応は早かった。二人はほぼ同時にワイヤーを射出。シャンテは先ほどまで自分がいた足場に向けて、アレクはシャンテの体に巻き付けるように、それぞれ素早くワイヤーを放ったのだ。そのおかげもあって、どうにかシャンテは落下を免れる。
宙ぶらりんの状態になったシャンテを見て、ニーナは止めていた大きく息を吐きだす。
心臓が飛び出るかと思った。助かって本当によかった。
引き上げられたシャンテは、焦ったぁ、と素直な気持ちを吐露した。
「見てるこっちのほうが焦ったよ。でもどうしてバランスを崩したの? その直前に、何かに驚いてたようだけど」
「足元にでっかいトカゲがいたのよ。黄色と黒のまだら模様をした大きな奴。そいつが急に足元に来てびっくりしちゃって」
そいつはヤモリの仲間じゃな、とアレクが顎髭に手をやる。
「ここに暮らすヤモリは木の上での生活に慣れておるからのう。大方木の裏側に潜んでおった奴がぐるりと回って来たんじゃろ」
「たぶんそう。さっき引き上げてもらってるときに木の裏側が目に入ってきたんだけど、アタシを驚かせたそいつがそこにいたの。アイツら、逆さま向いてるのによく落ちないわね。鋭い爪でも生えてるのかしら」
「いんや、足の裏に物凄く細かい毛がびっしりと生えておってのう、そのおかげで逆さま向きでも落ちずに済むと言われておるよ」
「毛なんかで張り付いてるっていうの?」
「そうらしい。わしは科学者じゃないからそれ以上の詳しいことは説明できんがな。まあ、何はともあれ無事でよかった。意外と冷静で感心したわい」
「そのぶん魔力を無駄にしちゃったけどね。ほんと不覚だわ」
「いんや、ここで一度緊急時のワイヤーの使い方を実際に体感できたのは良かったと思うべきじゃな。もう一人のお嬢ちゃんもそう思うじゃろ?」
「はい。でも最初に足を滑らせるのが私だったら、慌ててうまく対処できなかったかも。こう言ってはなんだけど、シャンテちゃんが落ちるところを見たから逆に冷静になれた気がします」
「ニーナも一度落ちとくべき?」
シャンテが冗談交じりに言った言葉を、そうかもしれない、とニーナは真面目に受け止める。
「はははっ。やってみたいというのならわしは止めはせんがのう。でもそのまま落ちて死なんでおくれよ?」
「ワイヤーの扱いには慣れてるんで、冷静に対処できれば大丈夫だとは思います。……たぶん。でも本当に<ワイヤーバングル>って便利ですね。発明した人と知り合いなんですけど、改めて便利ですごい道具だなって思いました」
「そうじゃな。これがなかったころはそれはもう大変でな。みんなの体にロープを巻き付けて、それを命綱になんとか進んでいったんじゃ」
「うわぁ、想像するだけで怖いです」
「じゃろ? <ワイヤーバングル>が登場してからわしらの探索は劇的に変わった。お嬢ちゃんも錬金術師を志すなら、この発明に負けないぐらい便利なものを生み出さなくてはな」
「そうですね。本当にそうありたいと思います」
いつか、世界をあっと言わせる大発明を。
その夢は故郷を飛び出して一年経ったいまでも変わっていない。
言われるまでもなくそうありたいと願っているのは、他の誰でもなくニーナ自身である。
◆
それからほどなくしてアレクが言っていたポイントへと辿り着くと、ニーナたちは世界樹のくぼんだ大地に腰を下ろした。昼食はサンドイッチ。朝食の残りの具材をパンにはさんだだけの簡単なものだが、それが格別に美味しく感じるのは、ここが世界樹の上だからだろうか。水筒に入れてきた水も、いつもと変わらないはずなのに不思議と美味しく感じてしまう。
「やべー。お腹いっぱいになったら眠たくなってきたぜ」
などとのたまうロブの願い通りにはもちろんならず。
休憩もほどほどに、ニーナたちは午後からも世界樹を登り続ける。
「ここまでは順調なんですか?」
ニーナは先頭を歩くアレクに訊ねた。
「ああ、わしが思っとったよりも順調じゃよ。実はな、初めは心配しとったんじゃ。小柄な女の子二人にブタが一匹。しかも一人はいかにも運動が苦手そうな錬金術師のお嬢ちゃんときた。そう上手くはいかんと思っとったよ」
「この調子でいけば登頂できそうですか?」
「できる……と言い切りたいところじゃが、上に行けば行くほど道幅は狭く、険しく、それでいて吹き付ける風は強くなる。それに<危険で意地悪な魔物>に目を付けられてしまうとより一層困難となってしまうからのう」
危険で意地悪な魔物?
どんな生き物なんだろう。一目見てみたいような、でもできれば会いたくないような……




