獄中の魔女
エルトリア王国の南部に浮かぶ絶海の孤島、オルリベス。そこには大罪を犯した罪人が収容される監獄があるという。ニーナも話にだけは訊いていた、自分には一生縁のないところだと思っていたその施設に、いま、足を踏み入れようとしていた。
閉じていた目を薄っすらと開ける。周囲を海に囲まれたオルリベス島に向けた船は出ていない。空からの侵入者を拒むように張り巡らされた結界の内側に入る唯一の方法は<大陸間トランスポートシステム>ただ一つのみ。ニーナたちはアデリーナの使いでやってきた国家騎士の案内のもと、いままさに、空間転移によって島へと降り立ったところである。こんなにもワクワクしない転移は初めてだった。
「海だ……」
ニーナは見たままのそれを呟く。簡素な天井と、目の前に広がる海。吹き付ける強い風と、岩壁に打ち付ける波しぶき。前方には灰色の無機質な建物が一つ。
周りに木々はなく、鳥も虫も、生き物の姿はどこにも見当たらない。
なんて寂しい場所なんだろうとニーナは思った。
「さあ、こちらです」
男の騎士が事務的に告げる。二人の見張りが立つだけの小さな入り口を通って施設の内部へ。そこでまず武器の類をすべて騎士に預けて、それから面会用の小部屋へと通された。
ニーナたちは近くにあった椅子にそれぞれ座った。
ここに流れるおかしな空気のせいか、三人の口数は少ない。
そこは透明なガラスで仕切られただけの殺風景な部屋だった。窓もなく、数脚の椅子が用意されているだけ。部屋の反対側にも出入りできる扉があり、きっとそこからリムステラが姿を見せるのだろう。
ほどなくして、ニーナの予想通り、奥に見える扉からリムステラが騎士たちに連れてこられる形で部屋にやってきて、そして向かい合うようにして椅子に腰かけた。いつもの黒いドレス姿とは違い、囚人が身につけるような白い衣服に身を包んでいた。手は後ろで縛られており、あの印象的な赤い義眼は黒い眼帯によって覆われている。
魔法の瞳によって幻覚を見せられた過去のあるニーナは、義眼が封じられていることに秘かに安堵した。
「良い恰好ね。でも思いのほか元気そうで残念だわ」
そう言ったのはシャンテだ。
「それはどうも。私も久々の話し相手ができて嬉しいわ」
魔女はうっすらと口元に笑みを浮かべる。化粧をしていないから、その唇に色はない。
それでも意外と血色が良いことから、それなりにちゃんとした食事が提供されているようだ。
「それで、今日はわざわざこんなところまで来てどうしたの? 私に会えなくて寂しいから来た、という訳でもないのでしょう?」
「当たり前でしょ。……アンタ、兄さんの呪いを解く方法は知ってるの?」
「できるわよ。私をここから解放して、杖と箒を用意してくれるならね」
「アンタに解呪しろなんて頼んでない。知りたいのは<やり方>だけよ」
「信用されていないのね。悲しいわ」
リムステラはわざとらしく肩をすくめてみせる。
「それで? まさか質問はそれだけ?」
「いいえ、もう一つ。アンタを捕らえた騎士から、どういうわけかアンタには嘘を見破る<看破>の魔法が効かないと訊いたわ。それはいったいどうして?」
「さあ、私にも理由はわからないわ」
リムステラは余裕の笑みで応える。どこまで本当のことを口にしているのかニーナにはわからない。
そこでシャンテが、魔女の背後で見張りをする騎士に目で合図を送る。その騎士が手にしているのはニーナが持参した<お喋りリップシール>だ。この真っ赤な唇を模した発明品は、相手の肌に貼り付けることによって、相手が持つ知識をべらべらと喋らせることのできる効果がある。
そのシールを騎士はリムステラの首筋、鎖骨の辺りに貼りつけた。
「もう一度訊く。どうしてアンタには<看破>の魔法が効かないの?」
『いいえ、ちゃんと私にも<看破>の魔法は効いているわ』
<お喋りリップシール>の赤い唇がリムステラの代わりに喋った。
魔女本人は少々驚いたのか左目を丸くしている。
「そんなはずないでしょ? だってなにを訊ねてもアンタは知らないの一点張り。なのに<看破>の魔法は反応しなかった。でもそれはあり得ないことよ」
リムステラは自由気ままに生きる放浪の魔女だが、裏社会の人間とはかなり密接に関わっているはずだ。それはこれまでブラッドリー海賊団や錬金術師のリオンと関わっていたことからも明らかである。彼女から情報を訊きだすことができれば、多くの犯罪者を捕らえることができるはずなのだが。
そのすべての質問に対し、リムステラは「知らない」と答えた。
これは明らかな嘘だ。しかしどういうわけか<看破>の魔法はリムステラが嘘をついていないという。そればかりかあらゆる尋問も、リムステラから「知らない」という答えしか引き出せなかった。そこでアデリーナはニーナの<お喋りリップシール>に目を付けて、協力を要請してきたという次第である。
<お喋りリップシール>は「知らない」という答え以外を引き出した。
けれども<看破>の魔法が効いているとは、どういうことなのだろうか?
『だから本当に知らないのよ。誰かが私の記憶の大事な部分に<鍵>をかけたみたいだから』
「鍵を?」
『そうよ。まあそれが誰なのか、そのあたりの肝心な記憶もないから知らないけれど』
鍵をかけられているから、記憶を封じられているから、だから犯罪者たちに通じる情報の一切を知らない。
つまりはそういうことなのだろうか?
『でもね。その誰かさんは私の味方みたいなの。私に恋をしてるんだって。だから私をここから助けてくれようとしているみたいなのよ』
「は? 嘘でしょ?」
『嘘なんかじゃないわ。まあ信用に足る人物なのかは私にも判断できないけどもね。でも、覚悟しておくことね。私は近いうちにここから出る。そのときは必ずあなたたち兄妹を殺してあげる。そっちの小さな錬金術師さんもね』
その声は、いままでに訊いたどの魔女の声よりも低く、そして怒りに満ちていた。その眼差しにも静かな炎を灯していた。これまでも殺気を向けられたことはあるけれども、いま見せる表情はこれまでのものと明らかに違う。もっと攻撃的で荒々しい憎しみの感情をそのままぶつけてきたのだ。
ニーナは息が詰まる思いがした。ガラス一枚を隔てた無力な魔女が恐ろしかった。
しかしこれにも臆さず、ロブは「させねーよ」と言う。
「残念だが、俺も近いうちに力を取り戻すからな。お前の願いは叶わねーよ」
『それは知りたくなかった情報だわ』
固く口を結ぶ魔女に代わって<お喋りリップシール>が本音を漏らした。




