ニーナ、十六歳になる
はっ、はっ。
吐き出される白い息。蒸気する頬。まだ若干の肌寒さが残る朝の街並みを走る二人の少女。ようやく朝日が昇り始めた早朝の街のなかを、ニーナとシャンテは並んで走り、その後ろを少し遅れてロブがのろのろと追いかける。
「ほら、もう少しで家に着くよ、ロブさん」
「も、もう俺はダメだ。構わず先に行ってくれ」
なに情けないこと言ってんのよ、とシャンテが呆れるが、ロブはその場でぱたりとみっともなく倒れてしまう。なだらかな上り坂の半ば。ロブを後ろから照らす太陽の眩しさに、ニーナは目を細めた。
季節は春。あのお遊戯会を経てクノッフェンへと帰ってきたニーナたちは、あのあと三人での平和な年越しを迎えた。比較的温かな地方に属するこの街でも冬の寒さというものは厳しく、長らく布団が恋しい季節が続いたが、けれどようやく日差しに温かさが戻り、最近は街を歩く人々の服装にも変化が見られるようになってきた。
季節は春。もうすぐニーナが村を飛び出し、シャンテたちと出会って丸一年が経つ。
あっという間だった。まさに「駆け抜けた」という表現がピッタリなんじゃないか、とニーナは思っている。よくやってるよね、と自分を褒めてやりたい。きっと家族のみんなも、おばあちゃん以外は、こんなにもニーナがこの街で長く暮らしていけるなんて思ってもみなかったことだろう。
実際、ここ数か月は順調を通り越して、怖いぐらい商品が売れていた。<絶対快眠アイマスク>がニーナの予想を大きく超えて、大反響を呼んでいるためだ。メイリィの店に並べてもらった当初から、売れ行きは好調だったものの、そこからさらに口コミが広がり、いまや入荷待ちとなる程の盛況ぶり。素材の一つである<羊毛>を実家の農家から送ってもらっていたのだが、いくら羊の毛を刈ってもそれだけでは足りなくなってきたので、いまでは知り合いの農家に片っ端からお願いして掻き集めている状況だ。
そんな嬉しくも忙しい日々のなか。
ニーナは大人の階段を一つ登り、十六歳となっていた。
今年の目標はと問われると、もちろん夢は変わらず「世界をあっと言わせる大発明を成し遂げること」だ。
しかし、いまはもう一つ目標がある。それは、世界樹のてっぺんまでシャンテたちと一緒に登り、そこで錬金術師なら誰もが欲しがるレア素材<輝く世界樹の葉>を自分の力で手に入れることである。
世界樹とはクノッフェン北部、マヒュルテの森に位置する、世界で最も巨大なマナの木のことだ。街のどこからでも姿を確認できるほど大きな大きなその木は、他のマナの木と同じとは到底思えないほど神秘的で、圧倒的な存在感を誇る。ニーナも初めて間近で見上げたときは、ただただ息を呑むことしかできなかった。
こんなところを本当に登っていく日がいつか来るのかな。
そう、あのときは漠然と思っていた。
しかしルチルの協力もあって、先日ようやくロブを人間に戻すための薬の素材を、<輝く世界樹の葉>を残してすべて揃えることができた。<妖精の涙>という希少な素材も、ルチルが探してくれて、遠い国から送ってくれた。だからあとは世界樹に登るだけ。あの頂へと絶対に辿り着いてみせるんだ、といまは強く意識している。ここ最近ずっと朝の街を走っているのも、世界樹を登るための体力づくりのためなのだ。
世界樹は高さ二千メートルを超えると言われている。そしてその周囲に巻き付くように、別のマナの木が螺旋状に、とぐろを巻く蛇のように複雑に絡み合っている。冒険者たちはその太い木の幹を道に見立てて、世界樹の頂点を目指す。通称<エルフロード>と呼ばれる、自然が生み出した天然の道だ。
しかし当然ながら<エルフロード>は舗装された道とは違って足場は非常に悪いと訊く。とにかくデコボコで、たいらではなく、道幅もバラバラ。また雨に濡れるととても滑りやすいらしい。しかも世界樹の幹の周囲をぐるりと回りながら登っていくことになるため、直線距離が二千メートルであっても、実際に歩く距離はもっとずっと長くなる。
それこそ数日かけての、山登りならぬ世界樹登り。
ちょっと走っただけでバテているようでは、お話にならないのである。
「そんなところで眠っちゃう人には、朝ごはん抜きですよー」
ニーナが叫ぶと、ロブは飛び起きて、そして猛然とダッシュ。かと思えば、一瞬にしてニーナたちを追い抜いてしまった。
これにはシャンテも、やれやれ、と肩をすくめる。
「アタシたちもいこっか。今日この後、意外と予定立て込んでるし」
「だね。行こう!」
今日は午後より、世界樹挑戦に協力してくれるという金等級の冒険者と初めて顔を合わせる予定なのだが、急遽手紙が届いたことにより、もう一つ別の予定が入っていた。
差出人はアデリーナから。
ようやく魔女リムステラとの面会が可能となったと、その手紙には書かれていた。




