勝負の一皿②
まな板の上に殻から外したアワビを置き、シャンテは下処理に取り掛かる。肝と紐の部分を取り除き、クチの部分も切り落とし、表面に格子状の切れ目を入れてから塩を振りかける。それから付け合わせの野菜にアスパラガスを選ぶと、根元の邪魔な部分を切り落とし、硬い皮の部分をピーラーで剥いてから、それを半分にカットする。
次に中火で熱したフライパンにオリーブオイルを引き、そこへ先ほど下準備したアワビとアスパラガスを。アワビの表面に焼き色がついたら裏返し、火が通るまでじっくりと焼く。
途中でアスパラガスを取り出したら、白ワインを加えて中火のまま加熱。
「お酒を入れたのに炎は上がらないんだね」
「フランベみたいなのを期待してた? あれはアルコール度数がもっと高いお酒じゃないと無理よ」
アルコールが飛んだらアワビを取り出し、そのままソースづくりへ。フライパンに残ったアワビのエキスを捨てずに、そこへバター、すりおろしたニンニク、塩と胡椒を一つまみ加えて、加熱しながら全体を馴染ませる。
あとはお皿にアスパラガスとベビーリーフ、そして主役のアワビを盛り付け、上から特製ソースをかけてやれば、シャンテお手製<アワビのステーキ>の完成だ。
「おぉ、美味しそう! 香りもいいし、見た目もすっごくおしゃれだよ! これならルチルさんも絶対喜んでくれるね!」
「ふふっ、ありがと。まあ今回はニーナが採ってきてくれたアワビが良いものだったから、シンプルにステーキにしてみたわ。奇をてらってマリネにすることも考えたんだけどね」
「いやあ、これはもう間違いないよ! ね、ロブさんもそう思うでしょ?」
こくこくこく、とロブはなんども頭を縦に振る。アワビとバターが混ざり合った芳醇な香りに、ロブはノックアウト寸前だ。これを食べられるのはルチルだけだなんて、ある意味拷問に近い。これにはニーナも、自分達が食べるぶんも採ってくるべきだったかな、と後悔した。砂時計を見れば、まだ時間は三分の一ほど残っている。あのままアワビを探し続けても、じゅうぶんに時間は確保できただろうに、他の参加者のことが気になって急いで戻ってきてしまったのだ。
ロブの口からこぼれる涎を拭いてやっていると、ちょうどルチルが別室から戻ってくる。
「なんだか食欲をそそる良い香りが部屋中に満ちてるね。うん、じゃあそろそろ実食に移っちゃおうかな。もちろん時間は残ってるから、まだ出来上がってないチームは料理を続けていていいからね」
ニーナたちの料理が完成したのは六番目。それまでは<旨味濃縮クローシュ>をお皿にかぶせて、実食のときを待つ。
これは一見するとなんの変哲もない、銀色のドーム型をしたフタだけど、これが実に優れモノ。なんとかぶせるだけで料理の味、香り、熱を半日以上も出来立ての状態で保っておける素晴らしい発明品なのだ。これさえあればいつ仕事から帰ってくるかわからない旦那さんも、いつだって熱々の料理で出迎えられるだろう。
ルチルがテーブルの前に姿勢を正して座る。お疲れ気味だと訊いていたけれど、目元はたしかに眠たそうではあるのの、それでも元気そうでなによりだ。
そこへリオンが近づいてきて、耳元で何事かを呟いた。ルチルは参加者全体を見渡しながら、へえ、と感心するので、ニーナもそれとなく辺りを見渡してみる。キッチンの数の関係から一組だけ料理をすることなく脱落することになっていたが、その一組になってしまったのは誰なのかが気になったのだ。
──フラウさんたちはちゃんと料理に取り組んでる。レオナルドさんの誘惑に失敗していた女性たちもキッチンは確保できたみたい。となると……あ、もしかしてあの筋肉質の男の人たちがいない?
ウサギ狩りゲームのときに上半身裸で野原を駆けまわっていた男性たち。たしかゲーム開始前はニーナたちと一緒にルールの説明を受けていたはずなのに、その姿が見えない。あれだけ存在感のある人たちを見落とすはずがないから、つまりはそういうことなのだろう。
──別に知り合いってわけじゃないから残念がるのもおかしいけれど、でもあの人たちがどんな料理を作るのか興味あったのにな。
そんなニーナの想いをよそに実食は開始される。ルチルの前にリオンが皿を置き、その上にかぶさった<旨味濃縮クローシュ>を外す。
立ち上る湯気と共に現れたのは唐揚げと思しき一品だ。
頬を緩めるルチルへ、リオンが料理の説明を行う。
「こちらは<アレクサンダーチーム>が作ったタンドリーウシガエルです」
──タンドリー……ウシガエル? え、訊き間違えじゃなくて?
そういえば三回戦を始める前にチーム名の提出があったことを思い出す。名前があったほうが進行を進めやすいとのことで決めたのだが、いまはそんなことよりもカエルのことが気になって仕方ない。
「メイン食材はウシガエル。カレー風味に味付けしたものだそうです」
「へえ、鶏肉じゃなくてカエルを使ったんだ。それじゃあいただきまーす」
フォークとナイフで器用に切り分けて、一口。特に抵抗感もないようで、それをあっさりと口にした。
「うわ、カエルを食べちゃった」
「ニーナは食べたことないの?」
「え、逆にシャンテちゃんはあるの?」
「まあね。旅をしてると色んな国や地域を歩くことになるから、必然的にその地域のものを口にする事があるのよ。味は鶏肉に似てるんだけど、場所によっては高級食材だったりするのよ」
ニーナからすればカエルといえば錬金素材。特に<マナガエル>という体内にマナを豊富に含んだ鮮やかな緑色のカエルを思い浮かべるのだが、シャンテからすれば食べ物になるのか。一つ勉強になった。
次に登場したのが<焼きリンゴ>で、島で採れたリンゴを使ったのだとか。芯をくり抜き輪切りにカットしたリンゴをフライパンで焼いたもので、作り方はシンプルながら美味しそうである。その次が<キノコたっぷり赤辛鍋>というメニュー名の、見るからに辛そうな鍋料理で、これにはルチルも額の汗を拭いながら食べていた。さすがに<激辛レッドポーション>ほどではないだろうけれど、見ているだけで舌が痛くなる。
「ふぅ、いやぁ、これは参った。予想してたよりキノコのうまみもちゃんと感じられて美味しかったんだけど、それはそれとして舌がひりひりするね。体も熱いしさ。リオン君、お水のお替りをもらってもいいかな?」
リオンはすぐそばの水差しを取って、グラスに冷えた水を注ぐ。
それをルチルは一息に飲み干した。
「あー、冷たいお水が美味しい! なんだか生き返るようだよ。……うん? さっきから私のことじーっと見てるけど、もう料理は完成したのかい?」
そう訊ねられたのはレオナルドだった。幼馴染であり、片思い中であるルチルに見とれてしまっていたのだろうか。
しかしその横顔は真剣そのもので。
「なんだか顔が赤いな」
「そりゃああれだけ辛い料理を口にしたらね。……って、私が食べてるところ目の前で見てたよね?」
「ああ、見ていたよ。君が指摘する通り、じーっとな」
レオナルドはそう言うと、ふいと横を向いて砂時計から零れ落ちる金の砂粒を見つめる。
「ルチル、いまからメニューの変更は可能か?」
「え? 別に時間に間に合うなら構わないけれど、いまから?」
「そうだ。もう既に渾身の一皿を完成させていたんだがな、気が変わった。余った料理は先ほどから涎を垂らしているブタにでもくれてやれ」
え、マジで? お前良い奴だな。
ロブなりの感謝の言葉も訊かず、レオナルドは足早に食堂をあとにする。まさかいまから食材の調達を始めるつもりなんだろうか。残された時間はそれほど多くないというのに。
ざわつく会場のなか、リオンがロブへ持ってきた料理は<七面鳥のロースト>だった。丸々と太った七面鳥を一羽贅沢に使った一品で、焼き目の付き具合も完璧。これまで登場した三品と比べても明らかにレベルの高い料理だというのに、どうしてレオナルドはメニューの変更を申し出たのだろうか。ルチルも困惑気味に眉をひそめている。
「えっと、私にもよくわからないけれど、気を取り直して続きを始めようか。リオン君、次はどのチームの料理かな?」
「はい、次は<筋肉はすべてを解決するチーム>の……」
──あれ、このチーム名って……!




