ゴーストハウス・ラビリンス②
「なんかすごく雰囲気のある迷宮だね」
前、後ろ、右、左。
それから頭上と、もちろん足元も。
どこからなにが襲ってくるかわからない迷宮のなか、ニーナは慎重な足取りで進んでいく。頼れるのは魔法のランプの灯りのみ。魔力を込めれば込めるほど、鳥の形をした淡い光が空間を満たすけれども、それでも周囲を満足には照らしてくれない。物陰からいつ何が飛び出してくるのか分からない。そんな不安との戦いだった。
「声、震えてるわよ」
シャンテが肩越しに振り返る。剣を持つシャンテと盾を体に巻き付けるロブが前を行き、その後ろをニーナが周囲を警戒しながら歩いていた。通路は狭く、ここまでは一本道。まだ幽霊らしきものには出会っていない。
「だ、だって」
「ニーナってそんなに怖がりだっけ? 夜中に一人でトイレいけるでしょ?」
「オバケは怖くないよ。どうせ偽物だし。ただ魔法のランプを落としてしまわないか心配なだけで」
時間制限以上にニーナが恐れているのは、魔法のランプが割れてしまわないかということ。このゲームは正しい道順を選べるかどうかより、ランプを落とさずにゴールまで進めるかどうかが重要なのだろう。ルチルの性格から考えても、とんでもない方法で参加者を驚かせて、その反応を楽しもうとしているのは想像に難くない。
ただその方法がわからない以上、ニーナは最大限に警戒するしかないのだ。
「だからっていまからそんなにビビってたらいつまでたってもゴールに着けないわよ?」
「そ、そうだね。制限時間もあるんだし、途中で迷っちゃうかもしれないから、もう少し早く歩かないと……って、うわ!?」
「え、なに?」
それはまさに幽霊。半透明の人間が右側面の壁をすり抜け、ちょうどニーナとシャンテの間に割って入ってきたのだ。
そのあまりの唐突ぶりに、ニーナは思わず体を強張らせる。オバケは、そんなニーナに覆いかぶさろうとしてきた。
「ちっ!」
そのことに気付いたシャンテが素早く反転。勢いそのままにオバケを一刀両断する。肩から胴体を真っ二つに斬られたオバケは霧散するように消えた。
「あ、ありがとう」
ニーナは知らず知らずのうちに止めていた息をほっと吐きだした。本当は鼻先を掠めそうなほど近くを通り過ぎた剣の軌道にも驚いたけれど、それは黙っておくことにする。
シャンテは、どういたしまして、と言いながら、手にした剣を軽く振り回した。
「壁の向こうからやってきたオバケを斬れちゃうなんて不思議な剣ね」
「魔力の消費はどう?」
「全然よ。なんの力も込めてないわ」
「そうなんだ。じゃあなんでオバケは消えたんだろうね?」
オバケのほうに仕掛けがあったのかもな、とロブがニーナの疑問に答える。たしかにあり得そうな話だ。
「さ、要領もわかったし、ここからは急ぐわよ!」
◆
ぎゃあぁ!
ぐわぁあ!
迷宮内に品の無い断末魔がひっきりなしに反響する。
ニーナたちはいま、迫りくるゾンビたちの波にさらわれそうになっていた。彼らの狙いはニーナが持つ魔法のランプ。まさか物理的に割ろうとしてくるなんて、これはこれで想定外だ。なんとか駆け足でゾンビの群れから逃げていたニーナたちだったが、その途中で道を間違えて行き止まりに追い詰められてしまっていた。
こうなったらやるしかない。そもそも逃げるなんて性に合わないのよね。
そう言ってシャンテは果敢にも生ける屍の群れに立ち向かう。それはもう、ばっさばっさと斬りまくる。そのたびにゾンビが悲鳴を上げる。シャンテは容赦なしに斬って斬って斬りまくる。ぐぎゃあ! ぐごぉう! 楽しそうに剣を振るシャンテと、可哀そうなほど遠慮なしに打ちのめされるゾンビ。何人かは肋骨の辺りを抑えながら痙攣したみたいになっている。きっとこのゾンビたちはルチルに雇われて変装しているだけなのになと思うと、すごく申し訳ない気持ちになってくる。
あとでこっそりルチル伝いに謝ろう。
「さあ、これ以上アタシに斬られたくなかったら道を開けなさい!」
ゾンビにそんな知性なんてあるっけ?
あくまでも創作上の存在でしかないけれど、本来なら言葉なんて通じない相手。しかしながらシャンテが剣の切っ先を向けると、道を塞いでいたゾンビたちは面白いように壁際に寄って道を開ける。
これはゲームの趣旨的にありなんだろうか?
「よしっ! 行くわよ!」
ニーナはゾンビたちの間を素通りする。シャンテの脅しが訊いているようで、誰も手を出してこなかった。
これぞまさに勇者の威光。と、言えば聞こえはいいが、実際には狂戦士の睨みと表現する方がふさわしそうだ。
「あれ、どっちから来たんだっけ?」
左右に道が分かれている。たしか一方は元来た道で、もう一方が進むべき道なんだろうけれど。ゾンビたちに追われて時間をロスしてしまったこともあって、ここはなんとしても正解の道を選びたい。それなのに壁はどこに行っても似たような白くて無機質な作りで、目印らしきものは所々に飾られた謎の絵画だけ。それもゾンビに追いかけられていたから余裕が無くていちいち覚えていなかった。
「右に進むと逆戻りになるな」
「そうなの?」
「ああ、俺の嗅覚がそう告げているんだぜ」
そうか、ロブなら一度通った道は匂いでわかるのか。
「ねえ、その自慢の嗅覚で前の参加者の匂いは追えないの?」
「追えるっちゃ追えるが、それが正解とも限んねーしな」
それもそっか、とシャンテは頷く。
「まあこれまでに進んだ道がわかるだけもじゅうぶん有利よね。とにかくここは左に進んでみましょ」
ニーナはこれから進む道へ鳥型の光を先回りさせる。暗闇は敵。シャンテたちの視界を確保するためにも、ここで魔力を惜しんではいけない。
「ニーナ、足元に割れたガラスの破片みたいなのが散らばってるから気を付けて」
「お、なんか飛んできたな? これは血……じゃなくてトマトか。もったいねーことするなぁ。……あむあむ。ま、とにかくここは盾役の俺がニーナを守るぜ」
「うわっ、ちょっ、クモはダメだって! しかもデカいし!」
「おー、幽霊でもこんな美人なら俺も連れてって……って、おぶっ!? じょ、冗談なのにひでーよ」
ああだこうだと言いながらも、シャンテとロブがどんどん道を切り開いていく。ゴーストハウスもこれだけ賑やかな二人と一緒だとなんだか楽しくなってきた。
「……え、あれ、シャンテちゃんが二人?」
「うわ、アンタ誰よ!? しかもいつの間に隣に?」
二人のシャンテの声が重なる。声も姿も、さらには仕草までもが全く同じ。まるで鏡写しのようにそっくりで、どっちが本物なのか見分けがつかない。
「兄さんならアタシが本物だってわかるわよね!?」
またしても重なる声。
これは間違えるとあとが怖そうだ。
「へへっ、外見をいくら真似たって無駄無駄。当然俺にはどっちが本物かわかってるんだぜ」
そうか、ロブならば匂いでどちらが本物か嗅ぎ分けられる。だからそんなに自信満々でいられるのだ。
「シャンテちゃんのパンツは全種類把握してるんだ。だからちょーっとそのスカートをめくってくれれば……おぶうっ!!」
どごぉ、二連発。
どちらも素晴らしく強烈なげんこつだった。
やっぱりまったく見分けがつかない。
「ほんと兄さんには失望したわ」
──うん、私も。
「でもまあパンツを見せないと証明できないっていうなら、ほら。これで満足?」
──ええっ!? シャンテちゃんが自分からパンツを見せた?
「おほっ、今日は水色のセクシー系か! これはまさしく本物のシャンテだぜ!」
「んなわけないでしょ!」
──どごぉ!!!
先ほどよりも数段強力なげんこつが炸裂した。もう一人のシャンテは笑いながら通路の奥へと消えていく。
あっちが偽物だったのか。そりゃそうだよね。自分が本物だと証明するためとはいえ、自分からロブに下着を見せつけるなんてありえないのだ。
──でもなんであの偽物はパンツの色まで真似することができたんだろう? それともロブさんが適当なこと言ってるだけなのかな?
どっちもありえる。
けれど、いまはそんなこと気にしている場合じゃない。
「アイツを追うわよ!」
「お、落ち着いて! 時間もないし、いまはゴールを目指さなきゃ」
「……ちっ、わかったわ。でも今度同じような真似したらぶった斬ってやるんだから」
どうにかシャンテをなだめながら、ニーナたちは迷宮の攻略を続ける。相変わらず迷宮は似たような道ばかりだが、それほど内部は複雑なつくりではない。道を間違えてもすぐに引き返せば時間のロスはそれほど気にしなくても良さそうだ。
それよりもランプを壊されないように気を付けないと。始めはびっくりさせてランプを落とすよう仕向けてくると思っていたけれど、まさかここまで物理的に割ろうとしてくるなんて、ちょっと予想外だった。不意にトマトを投げつけられたときは本当に危なかった。
さらに奥へと進むと、今度は白い布を被った三匹の小柄なオバケが駆けてきた。正面から向かってくるということは、彼らもまた物理的にランプを割ろうとしてくるのだろう。ニーナは半身になり、マントの裾を引っ張ってランプを隠す。
「アタシに向かってくるとはいい度胸ね!」
シャンテも踏み出し距離を詰める。
オバケさん逃げて。いまは特に怒ってるから怪我するよ。ニーナはついオバケ役の心配をしてしまった。
ところが、薙ぎ払うように真横に振るった剣は空を切る。三匹のオバケは一斉に跳んでそれを躱すと、懐から銀色に光るナイフを取り出して……?




