ありがとう
極度の緊張から解き放たれて動けなくなったしまったニーナに代わり、二人の冒険者が完成した美容液を瓶詰にしていく。その作業を眺めるニーナはイザークの側で、両膝でお山を作るようにして座っていた。心地の良い疲労感。体は火照ったように熱い。
イザークは最終チェックとばかりに、目を細めて完成品を確認している。小瓶を光に照らしてみて、うんうんと納得の表情で頷いていた。それでもニーナは心配で、どうでしょうか、と恐る恐る訊ねてみる。
「驚いたよ。俺が作るものと比べても遜色ない出来だ」
ニーナはほっと胸をなでおろした。時計を確認しても、約束の時間までまだ少しだけ余裕がある。なんとか自分の役割を果たせたようで、心の底から安堵する。
「ありがとう。今回は本当に助かった。受け取った納品分のお代はそのまま君がもらってくれ」
「いえ、そんな! だって工房も素材もイザークさんのもので、私はただかき混ぜただけですから、お代をいただくわけにはいきません」
錬金術はなにかとお金がかかる。なにかを生み出すには素材が必要だが、その素材を手に入れるためには資金が必要となるからだ。素材屋で買うならその代金が、冒険者たちに依頼するなら契約金が発生する。それに加えて生活費が圧し掛かってくることを思うと、人の素材を使ってお金をもらうわけにはいかないと思った。
けれどそんな遠慮がちなニーナに、イザークはそれでも受け取って欲しいという。
「客や店の信頼を裏切らずに済んだ。これがクノッフェンで生きていくうえでどれほど重要なことか。金なんかより、信用を失わないことのほうがよっぽど大事だ」
「ですが……」
「心配はいらない。たしかに生活はギリギリだが、それでもこの程度で揺らぐことはない。それに君の頑張りには勇気づけられた。……本当は、そろそろクノッフェンで生きていくことが辛くなって、もうじき店をたたもうかと考えていたんだが、なんだか初心に戻った気分だよ。早く病気を治して、もう一度錬金術を学び直したいと思っている。そのお礼も含めて、代金は受け取っておいて欲しい」
「お店を閉めちゃう予定だったんですか?」
「そうだ。さっき作ってもらった<海月美人>は、俺がこの街に来てすぐに完成させたヒット作だったんだが、最近は似たような発明品も増えてきて、以前のようには売れなくなってしまった。家族を養うこともできず、妻とも別れた。それでも足掻こうとは思ったが、なかなか新商品の開発が思うようにいかなくてな。そんなときに熱を出して倒れてしまったんだ。もし彼女がいてくれたなら病気にならずに済んだかもしれない。独り身の辛いところだよ」
イザークは完成品にぺたりとラベルを張った。ピンク色のラベルには可愛らしいクラゲ模様が描かれている。その絵に視線を奪われていると、妻がデザインしてくれたんだ、とイザークが教えてくれた。
「妻と別れたあと、荷物も整理したんだが、この絵だけはどうしても変えられなくてな。唯一残った思い出のようなものだ」
「素敵だと思います。独特なタッチが、海を漂うクラゲを上手く表現されてて、とってもお洒落ですよね」
ニーナがそういうと、俺もそう思うとイザークが笑った。気難しそうな顔つきも頬を緩めると、随分と違った印象になる。すっきりとした、晴れやかな表情に見えた。
なんとか箱詰め作業も終わった。<海月美人>と石鹸と香水とが一緒になったギフトセットだ。箱にもイザークの妻がデザインしたクラゲが描かれている。あとはこれを店に届ければ今回の依頼は達成だ。
「こっちは準備できたわよ。立てる?」
「うん。なんとか。でものろまな私が走って間に合うかな?」
「きっと大丈夫よ。一緒に行ってあげるから、お客さんの喜ぶ顔を見に行きましょ」
ニーナはギフトセットをわきに抱えると、シャンテとロブと共に魔法雑貨店を目指して走り出す。もう疲労でいっぱいいっぱいだったが、あと少しだけ頑張れ、と自分に言い聞かせた。
店の前まで来たころにはへとへとだった。それでもニーナは額の汗を拭うと、呼吸を整えて、自分の手で店の扉を開けた。
なかを覗くと、カウンターの奥のメイリィと話し込む若い女性の姿があった。メイリィから手招きを受けて、ニーナは店の奥へ。
「どうだい、上手くできたかい?」
「はい。普段から納品している商品と比べても遜色ないと、イザークさんからお墨付きを頂きました」
その出来栄えを報告すると、メイリィは顔をほころばせた。そしてお客さんに商品を渡してあげて、と頼まれる。ニーナは頷き、遅くなりましたといって品物を女性に差し出した。
「ううん、時間ピッタリよ。ありがとうね。えっと──」
「ニーナです。昨日街に来たばかりの新米錬金術師なんですけど、この度はやむを得ない事情もあって、イザークさんの指導の下、及ばずながら錬成に関わらせていただきました」
「うん、話は聞いてるよ。私のためにありがとう。これね、お母さんにプレゼントする予定なんだ。お母さんはね、もともとお洒落に気を遣わない人で、いつも表情も暗かったんだけど、この商品を使うようになってから見違えるように綺麗になったの。それからお洒落にも興味を持ち始めて、いまでは二人で洋服の買い物にも行くようになったんだ。だけどお母さんは肌が敏感で、ほかの美容液だとすぐに肌が荒れちゃうの。これじゃなきゃダメ。だけど地元では売ってないから、今回手に入れられて本当に助かったわ。ありがとう、ニーナさん」
こんなにも喜んでもらえるとは思ってなくて、つい照れてしまう。そわそわと、なんだか落ち着かない気分だった。
「ふふっ、この可愛いクラゲのパッケージ、変わらないな。私ね、このデザインに惹かれてお母さんに買って帰ろうって決めたの。まさに運命の出会いね。ニーナさんにもそういう経験ある?」
「はい。いま背負っているリュックサックがまさにそうで、幼いころ、錬金術師だったおばあちゃんに作ってもらったんです。市販のリュックに羽を付けただけなんですけど、ほら」
リュックに魔力を込めて白い翼を上下にパタパタとさせると、女性は目を輝かせた。
「わあ、とても可愛らしい翼ね!」
「羽ばたくだけで空は飛べないんですけどね。でもとっても気に入ってて。錬金術師を志すきっかけとなった大切なリュックサックなんです」
「そっか。ニーナさんにとってまさに、運命の出会いだったんだね」
それじゃあね、と手を振る女性に手を振り返し、扉が閉まるそのときまで見送った。母親想いの素敵な女性だった。そんな人に喜んでもらえた。とても嬉しくて、夢でも見ているかのようで、女性が去ったあとも呆けたように立ち尽くしていた。だから力強く肩を叩かれたとき、ひゃあ、と恥ずかしい声をあげてしまう。
「お手柄だよ、あんた! お客さんもとっても喜んでた。最初は疑っちまったけど、やればできるじゃないか!」
「いえ、そんな……」
「若いのに謙遜するんじゃないよ。あたしはあんたのことを見直したんだからさ」
「よかったです、上手くいって。初めて挑戦するレシピだったんで緊張しすぎて、終わったあと腰抜かしちゃったんですけどね」
「あんた、やっぱり初挑戦だったのかい。自信満々に見えたから、似たようなレシピを試したことがあるのかと思ってたよ」
「自信満々だなんてとんでもない。むしろ口を挟んだことを最初は後悔してて。でもシャンテちゃんが背中を押してくれたので、勇気を出してみたんです。成功して本当によかった。シャンテちゃんも今日はありがとう。私の代わりに怒ってくれて嬉しかった」
「べ、別にニーナのためじゃないというか、アタシが個人的にあの客にムカついてただけというか……と、とにかく上手くいってよかったわ。お客さんも嬉しそうだったし、頑張った甲斐があったんじゃない? で、肝心の契約のほうはどうだったの? 上手くいった?」
あ、あはは……
このタイミングで訊いてきますか。でも誤魔化したってしょうがないよね。
ニーナはあえて満面の笑みを浮かべる。
「うん、全然だ──」
「一つだけ、契約したよ」
ニーナは驚き振り返った。契約してもらえなかったと報告しようとした、その言葉にかぶせてきたのは、なんと店主であるメイリィだ。
「あの赤いポーション、<激辛レッドポーション>と言ったかい? あれなら数量限定で契約してあげてもいい。目立つところには置いてあげられないけれど、そうだね、レジの近くに置いてあたしが直々に宣伝してあげるよ。一本試しにどうですか、ってね」
「ほんとですかっ!?」
嬉しさのあまり、レジスターが置いてあるテーブルにしがみつくようにして身を乗り出す。
「ああ。飲んでからすぐには効き目を感じられなかったけど、時間が経つにつれてどんどんと体が軽くなってきて、いまなら荷下ろしからお客さんの呼び込み、店のレイアウト変更まで、一人でもバリバリ働けそうだよ」
「確かにアタシも飲んだけど、効き目だけは良いのよね。味は殺人級だったけど」
「そういうこと。今回のお礼という意味ももちろんあるけれど、それ以上に効果が気に入ったからね。店で扱ってみてもいいと思ったんだ」
「うわぁ……ありがとう、メイリィさん! ありがとう、シャンテちゃん!」
私の商品が錬金術師の街、クノッフェンのお店に並ぶ……!
ニーナは込み上げる喜びそのままにありがとうと言った。いままで自分の作品が認められることなんて、ほとんどなかった。それが契約という形で認めてもらえたのがなにより嬉しくて、これまで頑張ってきてよかったと、また契約してもらえるように頑張ろうと、そう心に誓うのだった。