黒き古の悪魔 VS 大魔法使い
ガレハドが上げていた右腕を振り下ろす。その動きに合わせるように、巨大な金のピッチフォークがロブ目掛けて一直線に突撃してくる。
これに対しロブはお得意の光る防壁を展開。これまで数多の攻撃を無力化してきた絶対防御魔法で迎え撃った。
──激突……!
防壁もろとも貫かんとばかりに向かってきた刺突武器の強烈な一撃を、ロブの魔法はきっちりと防ぎきる。激突の瞬間、光る壁に波紋のようなものが広がったが、防壁は無傷。わずかな亀裂すらも許さない様は、まさに鉄壁と呼ぶにふさわしかった。
しかし、二人の攻防がこれで終わったわけでは無かった。ロブの防御魔法はたしかにガレハドの一撃を受け止めてみせたが、弾き返すことができたわけでは無い。ピッチフォークの先端は依然として光の壁を貫こうとしているのである。
そのとき、ニーナたちの目の前でピッチフォークの形状が変化していく。三つに分かれていた先端が一つに統一され、円錐状へと、騎馬兵が用いるランスのような武器へと変わったのである。さらにその巨大なランスが高速で回転し、火花を散らしながら光る防壁を削っていく。
「ロ、ロブさん!?」
思わず耳を塞ぎたくなるような嫌な音が虚無の空間に響く。それは、ニーナたちの心すらも削り取っていくかのようだった。
「ねえ、大丈夫なのよね、兄さん!?」
さすがのシャンテも焦りを隠せない。これまで、マシンゴーレムが放つ熱光線すらも防ぎ切った光の防壁に絶対の信頼を置いてきたニーナたちだったが、今回ばかりは相手が悪すぎる。どうしても最悪の事態が脳裏をよぎってしまうのだ。ニーナは自分でも気づかぬうちにこぶしを強く強く握りしめていた。
しかし、そんなニーナたちの心配とは裏腹に、ロブは表情を崩さない。
──ううん。むしろ笑ってる?
光の壁に目を凝らす。激しい火花こそ散ってはいるが、防壁は依然として健在で、わずかな裂傷も見当たらない。もしかしなくても、ロブは悪魔の一撃を余裕を持って防ぎきってしまうのだろうか。
『これも凌ぐか。ならばっ!』
ガレハドが金色のランスに魔力を込める。するとまたしても状況が一変した。ランスから炎が上がり、それは地獄の業火を思わせる赤黒い焔となって光の壁を覆っていったのだ。
熱い。熱すぎる。
光の壁に守られながらも、それでもなお身を焦がれるようである。まともに炎に触れたら骨すらも残らないだろう。灼熱の炎はすぐそこまで迫っていた。
……はずだった。
「……わぁ」
それはまさに一瞬の出来事だった。瞬きをしているあいだに見逃してしまっていたかもしれない。そう思わせるほど刹那の間に、辺り一面を氷の花が咲き誇った。荒れ狂う炎の全ては凍り付き、高速で回転していたはずのランスも青い彫刻と化した。
そして、氷の花は、その花びらを散らすように粉々に砕け散った。
『……我の負けのようだな』
「ああ、俺の勝ちだ」
『約束通り、我はお前たちの前から消え失せよう』
また、空間が歪んでいく。
圧倒されるほどのプレッシャーを放っていたガレハドの存在が急に希薄になる。
ロブはというと、いつになく真剣な眼差しで、けれど口元には笑みを浮かべていた。
そしてニーナたちは、何事もなかったかのようにスヴェンの仕事場へと戻ってきていた。
「いまのはなんだったんだろう……」
まるで夢か幻かを見ていた気分だった。まったくもって現実感がわかない。脳が理解を拒否するなんて初めての経験だった。
──ぼふんっ!
「おわっ!? ……あ、ロブさん。お疲れ様です」
「おー」
「あの、いまのって」
「現実だぜ。間違いなくな」
ロブがそういうのなら、きっとそうなのだろう。
「悪魔相手によく勝てたわね。さすがに今回はダメかもと思ったわ」
「別にあれぐらい何ともねーよ。所詮は悪魔も人間が生み出した存在にすぎねーからな。神でもなければ超常的ななにかでもない。そんな奴に俺が負けるなんて」
──ぎゅるるるるぅ……!
「……あはっ! もう、ほんと締まらないんだから」
「でもロブさんらしいよね」
「ホントねぇ。ま、とにもかくにも一件落着ってことで、帰りましょっか」
そう言ってシャンテはミスティに手を伸ばす。
「ミスティも。一緒に帰りましょ?」
「だねっ! みんなで帰ろう!」
ニーナもシャンテに倣って手を伸ばす。この手を取ってくれれば、またみんな笑顔でいつもの日常に戻れる。そう信じて疑わなかった。
ところが、ミスティは二人の手を取ろうとはしない。そればかりか暗い顔をして俯いてしまった。どうしてだろう。まだ気になることでもあるのだろうか。それともなにか後ろめたいことがあるのか。
……いや、きっとそうだ。ミスティは物凄く真面目な性格だから、今回のことで責任を感じているんじゃないか。知らなかったとはいえ、不幸を招く指輪を手にしながら家に転がり込んでしまった。そんな自分の不注意が招いた今回の事件の責任を、彼女が感じないわけがないのだ。
──だとしたら、私がミスティさんに言ってあげられることは……
「もしかして、迷惑をかけたからこれ以上一緒に居られないとか、そんなこと考えてません?」
「え? あ、その……」
「図星みたいですね。……まったく、私は悲しいです。こんなことぐらいでミスティさんのことを嫌うはずがないって、わかってもらえていると思ってたのに」
「それはわかってるつもりなんです。皆さんは優しいから、どんなことがあっても受け入れてくれる。でもいまは、その気遣いが心苦しくて」
「もう! いいですか!? 私はミスティさんが側にいてくれることが嬉しいんです。もしこのままお別れしたら悲しいんです。私のもとに来て<弟子にしてほしい>と言ってもらえたとき、初めこそ戸惑いはしましたけど、でもとってもとっても嬉しかったんですよ。私の夢は偉大なる錬金術師になることだから、私のことをすごいと思って憧れてくれる人がいたんだって、そのことがすごく嬉しくて、幸せで、だからついミスティさんのことを気にかけちゃうんです。同情じゃないんです。迷惑とも思ってないです。私はミスティさんと一緒に錬金術がしたいんです!」
「ニーナさん……」
「それに、確かにミスティさんは指輪と共に不幸を運んできたかもしれませんが、だからといって幸せではなかったかというと、決してそんなことはなかったと断言できます。アンラッキーではあったかもしれない。今日も冷たい水の中に落ちちゃったし、風邪もひいたし、実はまだちょっと頭痛いなぁとか思ってますけど、でも、それがなんですか! 私は今日も昨日も楽しかった! きっとミスティさんと一緒なら明日も楽しい! 一緒にいる理由なんてそれでいいじゃないですか! ミスティさんはどうなんですか? 私と一緒じゃ楽しくないですか?」
「そんなこと……そんなことあるわけないじゃないですかっ!」
「だったら一緒に帰ろう。明日からも一緒に錬金術を学んで、みんながあっと驚くような凄い発明を一緒に成し遂げましょうよ。でもってお互いをライバルと呼べるような、遠慮なく意見をぶつけ合えるような、そんな友達に私はなりたいです!」
ニーナはミスティに向かって手を伸ばし続ける。
必ずこの手を取ってくれると信じて。
「本当に、いいんですか?」
「それを決めるのはミスティさんですよ」
俯きがちだった彼女の瞳がゆっくりとニーナに向けられた。
その純粋な眼差しを、ニーナは真正面から受け止めて、そして小さく頷いた。
「私は……できることならこれからもこの街で、ニーナさんの近くで錬金術を学びたいです」
遠慮がちに伸ばされた手。
その細くて綺麗な手を取って、ニーナはぎゅっと強く握る。うっすらと目に涙を浮かべながらはにかむ彼女の笑顔は美しくて、それでいてどこか儚げで、なんだか守ってあげたくなってしまう。こんな表情が自然とできるなんて卑怯だな。ちらりとロブを見ると、やっぱりデレデレと鼻の下を伸ばしていた。嬉しい気持ちもわかるけど、いまにもシャンテのこぶしが落ちやしないかと心配である。
うんうん、みんな笑顔が一番だよね。
いろいろな問題が一度に起きて、でもそれが無事に解決して、安心したらどっと疲れが押し寄せてきた。けれどそれと同じくらい充実感を感じている。少しばかり不運が続いたぶん、きっと明日からは明るい日々が待っているに違いない。ニーナはこれからの未来を想像して、一人表情をほころばせるのであった。




