関わったのが運の尽き①
とん、と目の前に置かれた皿の上にはパンの切れ端が。
「食べないのかい? わかってると思うけど、別に毒なんかいれちゃいないよ」
それはそうだろう。
そもそもこのパンは、シャンテに頼まれてミスティが買ってきたものだった。
パンの他にツナの缶詰めが一つと、スプーンと、リンゴが二切れ。それから水の入ったコップが汚れた床の上に置かれている。少し離れた場所では、男と女がテーブルを挟んで向かい合うようにして同じものを食べていた。
いまだけは手を縛るロープも、口元を覆っていた布も、どちらも外してもらえているから食事を取ることはできる。
けれども、とてもそんな気分にはなれない。
「まっ、いらないって言うなら別にいいよ。一日ぐらい食事しなくたって死なないからね」
女はそう言って笑みを見せると、ミスティの前からコップだけを残して食事を取り上げた。
いまより少し前のこと。
老婆に扮した女は一人で帰ってきた。誘拐はうまくいかなかったらしい。とりあえず食事にして、これからのことを話し合おうと女は男に提案した。女としてはリスクに見合ったリターンを得るためにも、もう何人か捕まえておきたいのだろう。それまでミスティを運び出す気は無いようだ。それを聞いてミスティは内心ほっとしたが、裏を返せばそれは、不幸な目に合う人が増えるということを意味していた。それに状況が長引いたとしても、逃げ出す術がなければ意味が無い。だからまったく喜べなかった。
「助けてください」
ミスティは口元の布を外してもらったとき、一度だけ女に頼んだ。
もちろん答えはノー。馬鹿言うんじゃないよ、と一蹴されてしまった。男の方はというと、あれから一度も目を合わせてくれようとしない。情が移らないようにしているのだろう。ミスティはどうすることもできなかった。
逃げ出すチャンスが残されているとするならば、二人が眠ったあとか、もしくはここから運び出されるタイミングぐらい。でも、それも期待はできないだろう。男のほうはともかく、この状況下で逃げ出せるほどの隙を女が与えてくれるとは到底思えなかった。
ミスティは意味もなく天井を見上げた。そこには、室内をオレンジ色で満たすアンティーク調のランプが取り付けられていた。どうもこの家はガスや電気や水道が通っていないらしく、だから照明としてランプを使用しているようだった。普段ここで生活しているわけでは無いから、これでもじゅうぶんなのだろう。きっと食事がパンや保存食だけなのもキッチンが機能しないためだ。
──わんっ!
えっ?
ミスティは急いで扉のほうに視線を向ける。
いま、どこかでマルの鳴き声が聞こえたような。
男と女がまったく反応していないから、聞き間違えかもしれない。あるいは、ここから助け出して欲しいという願いが生み出した幻聴なのかもしれない。しかし、それでもミスティはマルが戻ってきてくれたんじゃないかと淡い期待を抱いた。
そしてそれは決して間違いじゃなかった。
◆
マルに導かれて、こぢんまりとした民家の前でやって来たニーナたち。一見すると特に変わった様子はない普通の家だが、くんくんと匂いを嗅いだロブが、ここにいるのは間違いないと言う。
「突入するわよ。準備はいい?」
シャンテが敵に気付かれないよう小声で確認する。ニーナはマルを引き取りながら、うん、と静かに頷いた。
「扉を破る。少しだけ離れてて」
紅蓮の槍から繰り出される連撃が、木製の扉を素早く斬りつける。そして仕上げとばかりに蹴り飛ばすと、扉はガラガラと音をたてながら崩れ落ちた。舞い上がる土埃のなか、ニーナたちは雪崩れ込むように室内に侵入する。
驚き、目を見開く男と女。
そして部屋の隅からこちらを見つめる、一人の少女。
「ミスティさん!」
……いた!
間に合った!
もう遠くへ連れ去られてしまったあとだったらどうしようと、不安に思っていた。でも、まだ手の届く場所にいてくれた。
しかし、相手の行動も速かった。戸惑う男を余所に、女はニーナたちの姿を見るなりミスティの背後に回ると、手にしていたナイフを首元に突きつける。
「動くんじゃないよ! いったいどうやってここがわかったか知らないけども、少しでも動いたらこの子の首を切り裂くからね!」