アンラッキー・デイ⑤
男に腕を掴まれたミスティはとっさにそれを振りほどこうとした。
けれども力では到底敵わず、そのまま家のなかへ強引に引きずられてしまう。
「ちょっと、何するんですか!」
紙袋から零れ落ちるリンゴ。ただ事ではないとわかっていても、がっちりと腕を掴まれてしまっていて抵抗らしい抵抗ができなかった。
そんなミスティに代わって、マルが果敢にも男の腕に噛みつく。
「うおっ、なんだこの犬は!?」
男は驚きつつも力任せにマルを振り払うと、さらに男は向かってくるマルを蹴り飛ばし家の外に追い出し、素早くドアを閉めてしまった。
「マルっ!!」
「アンタはこれでも咥えてなさい」
「むぐぅう!?」
ミスティは叫んだが、女によって背後から口元に布を押し当てられて黙らされてしまう。
そのあいだにも扉の向こうではマルがミスティを助けようと懸命に吠えていた。
「ちっ、うるさい犬だね。アンタ、アイツを黙らせて来なさいよ」
「わかった」
再びドアが開く。すぐさまマルが男の足に噛みつこうと跳びかかるが、男は冷静にマルを蹴り飛ばしてしまった。
「むぐぅう……マ、マルっ!?」
ミスティも必死に抵抗した。後ろから布を押し当てて来る女を突き飛ばすようにして振り払い、空いた扉の隙間から逃げようとする。
けれども運悪く男はすぐに引き返してきた。そして突き飛ばされた女を見て、男はカッと目を見開く。
「かはっ!?」
腹部に突き込まれる男の太い腕。ミスティは息ができず、その場に膝を折ってうずくまった。
さらに男は下を向くミスティの髪を鷲掴みにして強引に顔を上げさせると、顔を近づけて言った。
「てめぇ、よくもジェシーを突き飛ばしてくれたなぁ? お前が大事な商品じゃなけりゃあ顔の形が変わるところまで殴っていたところだ。おい、もう二度とふざけた真似すんじゃねーぞ。いいな?」
この人は危ない。
この人を決して怒らせてはいけない。
そう直感したミスティは、目に涙を浮かべながら無言で頷いた。
もし逆らったらどんな酷い目にあうかわからない。最悪殺されてしまうかもしれない。ミスティは恐怖から、ただただ相手を怒らせないように素直に言うことを訊くしかできなかった。
「そんなに怯えなくても、大人しくしてさえいればこれ以上痛くしないから大丈夫よ。さ、縛るから後ろで手を組みな」
もう隠す必要がないと考えたのか、女は変装を解いていた。グレイヘアーのウィッグを脱ぎ捨てると、その下からはブロンドのショートヘアーがお目見えする。
「……私を騙してたんですか?」
ミスティは怯えながらも、震える声で訊ねた。
そうさ、名演技だったろ、と女は手足を縛りながら得意げに答える。
「声は?」
「ん? あぁ、声だけは演技してもバレると思ったからね、魔法の飴玉の力を借りたのさ。さすがは錬金術の街。便利な世の中だね。アンタもそう思うだろう?」
錬金術をこんなことに利用するなんて……
ミスティは悔しさから唇をかみしめた。
「そういや、こいつは錬金術師なのか?」
「さあ? とりあえず見た目が良くて真面目そうなお嬢ちゃんだったから、騙しやすいと思って連れてきたけど、そういやなにしてるか訊いてなかったね。どうなんだい?」
ミスティは目を逸らして口をつぐむが、おい、と男に低い声で訊ねられると答えざるを得なかった。
「……見習いの錬金術師です」
「ってことは、立派な錬金術師を夢見て田舎からやって来たお嬢ちゃん、ってところかい?」
女の言葉に、ミスティはこくりと頷く。
「なるほどね。見習い程度の実力じゃあ付加価値にはなりそうもないけれど、まぁ見た目が良いからそれなりに高値で売れるだろう。親が近くにいないのはアタシたちにとってラッキーだね。こいつがいなくなっても騒ぎ出す奴がいないのは好都合だ」
「犬には逃げられたがな」
「なんだ、殺してなかったのかい。まっ、ご主人様を見捨てるような犬なんて放っておいてもどうってことないさ。
マルはまだ生きている。
それだけがミスティにとって救いだった。
「……よしっ、この調子であと二、三人捕まえてくるかね」
「まだやるのか?」
「当たり前だろ? たった一人売り捌いた程度じゃ何の足しにもなりゃしないじゃないか」
「……あの、私はこれからどうなるんです?」
「ん? あぁ、まだ話してなかったね」
女は意味ありげにニヤリと笑う。
その不敵な笑みが恐ろしくて、ぎゅっと胸を締め付けられるような感覚に襲われる。
「アンタはこれから貴族連中に売り飛ばされるのさ。そのあとのことはアタシの知ったことじゃないけど、貴族ってのは悪趣味な奴らが多いからね、色々と辱めを受けたりするんじゃないかい? まっ、せいぜい良い奴に買ってもらえるように、いまから神様に祈っておくことさ」
「どうして私なんです?」
「真面目で世間知らずそうなアンタを見て、こいつは楽に捕まえられるとアタシの直感が囁いたのさ。それ以外に理由なんてない。美人であれば誰だってよかったのさ。まあ強いて言うなれば<運が悪かった>だけ。アタシに目を付けられた、不幸な自分を呪うんだね」
運が悪かっただけ。
そんな言葉を聞かされても、ミスティはどうしても納得することができなかった。




