呪いの装備
ふぐぐ……
ニーナは頭を覆うフードをなんとか脱ごうとするのだが、いくら手に力を込めても外れてくれない。大きめに作られたフードは頭の小さなニーナなら簡単に外すことができるはずなのに、ピタッと張り付いたみたいに取れやしないのである。
そうして悪戦苦闘していると、異常に気付いたシャンテが立ち上がって協力してくれようとするのだが、けれどやっぱり手伝ってもらっても結果は同じ。後ろからフードに手をかけて強引に外そうとしても首が前後に動くだけだった。
「ねえ、ちょっとこれどうなってるの?」
シャンテは顔を上げて製作者であるミスティを見た。
「私にも、よく……」
わからない、というのが正直なところなのだろう。
けれどニーナにはこの現象に心当たりがあった。それは錬金術に携わるものなら誰もが耳にしたことのある言葉で。
「……呪いの装備」
ミスティは消え入りそうな声でそう言った。行きついた答えは同じだったようだ。
けれどシャンテにはその言葉が特別不穏なものに聞こえたようだ。「なにそれ」と問いかけるその声は、いつもよりずっと低かった。
「アンタ、まさかニーナのことを呪ったの?」
「いや、そんなつもりはなくて……」
「じゃあ誰を呪うつもりだったの?」
まあまあ落ち着けって、とここでロブが会話に加わる。
「呪いの装備っていうとあれだろ。身につけたものを外せなくなっちまうっていう装備を意図せず作ってしまうってやつ。俺も詳しくは知らねーけど、そういうことなんだろ?」
俯いてしまったミスティに代わって、ニーナが頷きでもって答える。
まさにニーナも、その可能性を真っ先に疑っていた。
ロブの言う通り呪いの装備とは、魔法的ななにかによって、身につけたものを自分の意志で外すことができなくなってしまう現象を指す。ただ言葉通りの意味かというとそうではなくて、あくまでも比喩的な表現にすぎない。実際に呪いをかけることを目的とした装備品に対してではなく、どちらかというと偶発的にそうなってしまった品物を揶揄するときに使われる表現だったりする。
今回もきっとなにかしらの原因で外せなくなってしまっただけで、呪いをかけてやろうという意図は全くないのだろう。初めての錬成には失敗がつきもの。ニーナだってこれまでシャンテに数々の迷惑をかけてきた。だからミスティは悪くないと伝えてあげたいのだが。
──そっか、言葉は通じなくても気持ちを伝えることはできるんだ!
どうしよう、と呪文のように繰り返すミスティを、ニーナは優しく抱き寄せる。怒ってなどいないこと、不安に思う必要なんてないことを、体全身で表現してみる。
ぎゅーっと抱きしめる。
互いの体温が交わり合う。
強張ったように全身を硬直させていたミスティの体から次第に力が抜けていく。
耳元で聞こえる息遣いも段々とゆっくりになる。
「……もう、大丈夫です。ありがとうございます」
そうして離れたときには、ミスティは幾分か落ち着きを取り戻していた。
「すみません、取り乱してしまって。まさかこんな形でご迷惑をおかけすると思ってもみなかったので」
ニーナは返事をする代わりに微笑んで、それからマルをそっと抱えてミスティに預ける。腕の中に納まったマルは首を伸ばして、ご主人様の頬をペロペロと舐めた。うんうん、二人はこういう関係が良いよね、とニーナは見ているだけで癒された。
ふと、シャンテと目が合う。これからどうすんのよ、とその目は訴えかけていた。たしかにこのままでは色々である。ニーナはスケッチブックを手に取った。
『呪いを解くために解呪師に会ってお願いしたいです。誰に頼めばいいと思う?』
「この状況は解呪師に頼めば解決してくれるってことね? そういうことなら、兄さんの呪いを解くためにこの街の解呪師には一通り会って話を聞いたことがあるから、知り合いは多いわよ。この近くに住んでいる解呪師となると……たしかメイリィさんの店の近くに住んでいる人がいたはず」
メイリィが経営する魔法雑貨店<海風と太陽>は、ニーナたちが暮らす家と同じく西区に存在している。ただ、そこまで歩くとなると二十分ほどかかってしまう。普段ならなんてことのない距離だが、この見栄えの悪いパーカーを着たまま歩くのはちょっぴり恥ずかしい。知り合いに見られて声をかけられたらどうしようか。
ニーナはまたスケッチブックに『この家に来てもらうのは無理なのかな?』と書いて、見せる。するとシャンテは不思議そうに首を傾げるので、余白に小さな文字で『この姿で外を歩くのは恥ずかしくて……』と付け足した。
「あはは、確かに恥ずかしいわよね。万が一アルベルにでもばったり会おうものなら<なんだその恰好は>ってバカにされるに決まってるし、満足に反論もできないしね。でも、どうだろう? そういうサービスやってるのかな? 調べてみてもいいけど、それよりフラウに来てもらって箒に乗せてもらった方が早いかも。彼女と一緒なら、もし解呪師が用事で不在だったとしても、別の誰かのところまでひとっ飛びしてもらえるわけだし」
フラウなら<お呼び出し名刺>を使えば五分と経たずに飛んで来てくれるはず。いいアイデアだと思った。
「それじゃあ兄さんはニーナについて行ってあげてよ。私はもしも来客があったときに困らないように、ここに残るからさ」
「ほーい。そんじゃまあとりあえずフラウを呼んでみるか」
シャンテがミスティの側についていてくれるのならひとまず安心である。そうしてニーナはフラウの箒に乗って解呪師に会いに行った。
◆
その日の夜のことだ。解呪も無事に完了し、夜の団欒を終えて、お風呂に入って。それぞれ思い思いに夜の時間を過ごして、そしてお休みと言葉を交わし合って寝室へと。ニーナもそのときは二階へと上がろうとしたのだけれど、ミスティはもう少しだけスケッチの練習がしたいと言うので、先に一人で寝室まで上がって布団の中にくるまった。
ところが、一時間近く経ってもミスティは寝室に姿を見せなかった。まだリビングで練習に励んでいるのだろうか。
──今日のこと、まだ引きずっているのかな?
どうも気になって眠ることができなかったニーナは体を起こすと、毛布を羽織るようにしてベッドから降りた。
軋む階段を静かに降りると、明かりのついたリビングにて、ミスティはスケッチブックと向き合い続けていた。テーブルの上ではタオルケットに包まれるようにマルが眠っており、ミスティはそんな愛犬の姿をスケッチしているようだった。
「まだ練習してたんですね。良いことだと思いますけど、あんまり根を詰めすぎるのも良くないですよ?」
「はい。でも、もう少しだけ」
「夜はまた一段と冷えますね。寒くはないですか?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
ミスティはわずかに顔を上げたあと、また鉛筆を握る手を動かし始める。手元には消しゴムも置かれていて、何度も何度も線を引き直した跡が見られた。どうやら全体のバランスを取ることに苦戦しているようである。
「もう、失敗したくないんです」
描きながら、ミスティは言う。
「迷惑かけてばかりの不甲斐ない自分が嫌になるんです。だから自分自身に納得がいくまで頑張りたくて」
「頑張ることはいいことです。ただ、私は迷惑だなんてこれっぽちも思ってませんよ?」
「はい。でも……」
どうやらニーナが思っていたよりずっと、今日のことを気にしていたらしい。
ニーナとしては自分がこれまでそうしてきたように、とにかく調合にチャレンジしてほしいと思っている。失敗することは悪いことじゃない。失敗で終わってはいけないが、そこから何かを学び取ってくれればそれでいい。錬金術は何かと費用が掛かるからこそ、余裕のあるいまのうちにたくさんの経験を。そうした想いから、これまでミスティが調合に携わる機会を意識して増やしてきた。
けれどミスティの性格を考えると、もしかしたらいまのやり方は合っていないのかもしれない。量より質というわけじゃないが、きちんと準備をしたうえで確かな調合を積み重ねていく方がミスティのためになるのではないか。知識をコツコツと積み上げて、ひたすら模写の練習に励んで。できることを増やして、それを自信に変えていくことで前向きになれるのなら、調合の回数にこだわる必要はないのかもしれない。
──これまで少なくとも一日に一度は調合に取り組んでもらったけれど、明日は天気もいいみたいだし、お外で絵を描くのもいいかもしれないね。
場所はどこにしようか。どうせなら景色の良いところを選びたい。クノッフェンの街並みをスケッチブックに描き出してもいいし、船着き場というのもいい。いつものようにマヒュルテの森へ向かうなら、ウルドの滝の近くがいいだろうか。あそこなら日当たりもよく、採取活動もできて一石二鳥である。
──森にピクニックに行くのもいいよね。いつもよりちょっとだけ早起きして、お弁当を作ってみたりなんかしてさ。シャンテちゃんたちにも聞いてみないとだけど、想像しただけでなんだかワクワクしてきた。……うん、絶対楽しい一日になるよ!




