ポーションを作ってみよう
「ひえー、まったくひでーめにあったぜ」
素材屋で必要なものを購入したあと、その足で市場まで行って食材を買い足した。そのころには雨が止んでいて、傘を差す必要もなくなった。空も明るくなり、気分良く帰ることができるはずだった。
けれど事件は起こった。
雨は上がったが道路にはまだ至る所に水たまりができており、不幸にもロブは近くを通った馬車に泥をかけられてしまったのである。これにはさすがのシャンテも怒っていた。
あと少しで帰宅できたというのに、本当に、とんだ災難である。
そんなこんなで、ロブは家に帰ってすぐにお風呂場へ。
ミスティはニーナに見守られながら調合の準備に取り掛かる。
まずは錬金釜を<マナ溶液>で満たし、それを<ヴルカンの炎>で温める。
「ここにあるものは好きに使ってくれて構いません。もちろん家から持ってきたものを使ってもいいです。ミスティさんのやりやすいようにしてください」
続く作業は素材の計量だ。多少分量を間違えてもポーションは完成するが、やはり質の良い<ハイポーション>を目指すなら、計量の段階から気が抜けない。ミスティは傍らにノートを開きつつ、真剣な面持ちで素材を秤にかける。とても慎重に、何度も繰り返し確認作業を行いながら準備を進めていく。
一通り計量を終えたら、再びノートに視線を落とす。恐らくミスティのことだから、手順は完璧に頭に入っているのだろうが、それでも確認せずにはいられない性格なのだろう。それに見られていることを意識してしまうのか、表情も硬く、不安そうである。
──そう言えば私もイザークさんの代理で調合することになったときは、物凄く緊張したな。
あのときは見られていたからだけでなく、なんとしてもお客さんに商品を届けなくちゃいけないというプレッシャーがあった。ただ、良くも悪くも時間がなかったから、迷うこともなく、やるしかないと覚悟を決めて取り組むことができた。とにかく必死だったから、見られていることはあまり意識せずに済んだのだった。
すー、はー……
すー、はー……
準備を終えたらしいミスティが深呼吸を繰り返す。
それも、何度も何度も。
「あの、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。別に失敗したって死ぬわけじゃありませんし」
「あ、ありがとうございます。……それでは調合を始めます」
ミスティは意を決したように錬金釜を見据え、用意した素材を順に錬金釜へと投入していく。
すでに計量は終えてあるので、ここは順番を間違えないように投入していくだけ。あとはひたすらかき混ぜ続けることになるのだけれど、ここが一番重要なポイントでもある。ただぼーっとかき混ぜるだけでは良いものは作れない。完成品をイメージする想像力と、一定の速度でかき混ぜ続ける忍耐力と、<かき混ぜ棒>を通じて送り込む魔力が一定となるように調節する、魔力コントロールの繊細さが問われるのである。
失敗するときは大抵、ここで余計なことをイメージしてしまったり、あるいは知らず知らずのうちにかき混ぜるスピードが速くなったり遅くなったりする。もしくはかき混ぜることに集中しすぎて火加減の調節を怠ったり、素材の投入タイミングを逃して<錬金スープ>を焦がしてしまったりする。集中することは大切だが、<錬金スープ>の色の見極めは同じぐらい大事だ。
──なんとなくだけど、ミスティさんは一定の速度でかき混ぜたり、魔力をコントロールすることは得意そう。あとは<錬金スープ>の色の変化にどれだけ対応できるかがだけど……
錬金術は閃きと経験がものを言う。素材選びはそれぞれの特性を知ったうえで組み合わせることが重要で、ここは知識が必要となってくるが、いざ調合を始めたあとは、頼れるのは己の閃きと経験だけになる。この辺りは料理と似ていて、同じ素材を使って同じものを作ろうとしても、作り手の腕前によって出来栄えに随分と差がつく。火加減や火にかける時間、塩加減などが作り手によって微妙に異なるからだ。
錬金術も同じだ。火加減を調整し、ベストなタイミングで素材を投入。そして焦がさないようにしっかりとかき混ぜる。形がない液体状のものをひたすら混ぜることになるため料理よりもずっと難しく、人によっては理解してもらえないが、しかしながら気を付けるポイントはさほど変わらない。そして、もしもうまくいかなかった場合は手順を見直したり、素材選びからやり直したりするのも料理と似ている。
ただし、これらの商品を店で販売するならば、商品の品質は一定でなくてはいけない。料理の塩加減が毎回異なってはいけないのと同じように、きちんとレシピ化して、いつでも同じ品質のものを作れるようにならなくてはいけない。適当でも美味しければいい家庭料理を目指してはいけないのだ。
その意味において、ミスティはとても基本に忠実である。煮詰める時間もタイマーをセットし、それに従って素材を投入していくから間違えることもない。火加減だって、素材を投入するたびに細かく調節している。むしろ気にし過ぎなぐらいだ。
<錬金スープ>の色が薄紫色に代わる。ここでミスティは<真っ黒ヤモリの粉末>を手に取り、釜のなかへと回し入れる。すると溶液は黒く変色するが、ミスティはそのままかき混ぜ続ける。
「おー、やってるかね」
風呂上がりのロブがリビングへと戻ってきた。ニーナはロブを抱えて調合の様子を見てもらう。
「ありゃりゃ、真っ黒じゃん。大丈夫なのか?」
「はい、ここまでは正しい反応なので問題ないんです。この調子でかき混ぜ続ければ段々と白いスープに変わっていくんですよ」
「へー、錬金術ってやっぱ不思議だな。ニーナは<ハイポーション>は作ったことあるのか?」
「もちろん! これぐらいできないとオリジナルのポーションは作れませんからね」
「ほう、ということはあの<激辛レッドポーション>も実はすごい発明だったのか。まあ味はともかく、たしかに効果は凄かったもんな。で、<エクスポーション>は?」
「あれは私でも無理です。そもそも最上級のポーションを作ろうと思ったら素材も最上級のものを用意しなくちゃいけませんし、気温や湿度を一定に保つことができる環境を準備する必要があるんです。もちろん錬金術師の腕前も重要で、例えば素材の投入タイミングがたった十秒ずれるだけで、もう<エクスポーション>にはなりえません」
「ひえー、めちゃくちゃシビアなんだな」
「しかもいくら最上級の素材といっても、自然界にあるものなのでどうしても品質にバラツキができてしまうんです。ですから決められた時間に縛られることなく、その都度<錬金スープ>の微妙な色合いを見極めて判断しなくちゃいけないので、すごく難しいんですよ。まあ<ハイポーション>クラスならそこまで神経を使わなくても作ることができるんで、このまま順調にいけば問題なさそうですけどね」
「その割にはめちゃくちゃ真剣な顔してるな」
「初めからずっと、あんな感じですよ」
終始緊張しっぱなし。この調子で大丈夫なのかなって、正直思う。これは見られているからいつも以上に緊張しているのか、それとも性格的に普段からこんな感じなのだろうか。
それでもミスティは最終工程間際までこぎつけている。<錬金スープ>も白っぽく変わってきた。あとは手にした<秘密の胡麻>を投入して、少しばかり煮詰めれば完成だ。
ここまでくれば、もう失敗する要素は──
「……くちゅん!」
不意にミスティはくしゃみをしてしまう。
吹き飛ぶ<秘密の胡麻>。見開かれる眼。ミスティは凍り付いたように動きを止めてしまった。
「ど、どうしよう」
これは生理現象。だから止めようと思って止められることではないけれど、それにしてもタイミングが悪すぎた。くしゃみの反動で、薬包紙の上に乗せていた<秘密の胡麻>が床の上に散らばってしまったのである。これまたとんだ災難だ。
「落ち着いて。散らばったのは気にしなくていいですから、新しいものを早く量り直してください!」
「は、はい!」
せっかくここまで順調だったのに、投入するタイミングを逃せば調合は失敗に終わってしまう。
ミスティは慌てて瓶に残っていた素材の分量を量り直そうとするが、焦っているからかうまく量ることができなかった。
そうこうしているあいだにも釜の底は焦げ付いてしまい……
「あぁ……これは……」
うっすらと白く濁るような色をしたスープは、いつのまにか焦げ茶色のドロドロとしたものへと変わり果ててしまっていた。