魔法雑貨店の女店長
揺れる小瓶。その中には赤々とした液体が。
およそ人が飲む液体とは思えないほど赤いそれを前に、魔法雑貨店の女店主はしかめ面をしている。そしてニーナはというと、長椅子の上にちょこんと座りながら、蛇に睨まれた蛙のように体を縮めていた。
「本当は飲みたくなんかないんだけどねぇ」
「……すみません」
女店主メイリィが持つのは、ニーナお手製の<激辛レッドポーション>だ。ただいま契約交渉の真っただなか。唯一お眼鏡にかなうかもしれないポーションを試飲してもらことになったのだけれど……
◆
それは錬金術師オルドレイクの家から追い払われた日のことだった。午前中に食材などの日用品を買いそろえたあと、家に帰ってシャンテが作ってくれた昼食をみんなで食べた。そしてその日の午後、ニーナは夢への第一歩として、さっそく魔法雑貨店<海風と太陽>を訪れていた。
ちなみにシャンテたちとは別行動中。折られてしまった槍の修理を鍛冶師に依頼して、それからロブの呪いを解く手がかりを求めて街で情報集めをするらしい。
シャンテたちも目標のために動き出した。自分も負けていられない。絶対に契約を勝ち取るんだ。意気込むニーナは緊張の面持ちで店の扉を開けた。
(すごい、ここがクノッフェンの魔法雑貨店。本のなかでしか見たことがない魔法の品でいっぱいだ……!)
カランカランと鈴の音に出迎えられてやってきたそこは、まさに別世界。木の温もりが感じられる店内には、所狭しと魔法の品々が並んでいる。どれもこれもリンド村ではお目にかかれないものばかり。ニーナはつい手に取って試してみたい衝動に駆られる。
けれど、ここへやってきたのは他でもない。これらの商品と一緒に、ニーナの発明品も置いてもらえないか交渉に来たのである。
女性店員に事情を話すと、さっそくとばかりに店の奥へと通された。そこは小さな部屋で、在庫置き場と休憩室が一体となっているような場所だった。段ボールが壁面にずらりと、棚に整頓されて並んでいる。部屋の一角には長椅子と、膝より少し高いぐらいのテーブルがあって、ニーナは店員とテーブルを挟んで向かい合うようにして座った。
話を聞くとすぐに、その店員こそがこの店の主人であることが分かった。ニーナはてっきりもう一人いた、男性のほうが店主かと思ったが違った。緊張気味だったニーナはとりあえず同性であるメイリィに話しかけたのだが、まさか彼女が店主だったなんて。
「そんなに緊張しなくてもいいよ」
「はっ、ひゃい!」
気を遣ってくれたけれど、それは無理な話。なにせニーナは交渉事などこれが初めてで、しかも生活が掛かった大事な交渉なのである。緊張するなというほうが無理だった。
店主がテーブルに書類を並べるなか、ニーナは長椅子の上でカチコチに固まっていた。
メイリィは母に似た体型の太ましい女性だ。袖をまくった腕も、ニーナのか細い腕と比べたら倍ぐらいの太さはある。茶色い髪の毛は、商売の邪魔にならないように、後ろでお団子にしてまとめていた。
(あっ、いま手元に置いたの<クモ脚の自動筆記補助具>だ)
それは<昆虫模倣の錬金術師ロクサーヌ>が作りし偉大なる発明品である。指輪とセットで売られているもので、八つの細長い脚を持つクモの形をした補助具の、その真ん中には人差し指一本分ぐらいの穴が空いており、そこにペンを通して使用する。セット売りの指輪を通して命令を与えることで、八つの脚が独りでに動き出し、手を使わずに文字を書くことを可能とするのだ。ニーナも錬金術の調合中など、手が離せないときによくお世話になっていた。
「はい、それじゃあ色々と訊いていくよ」
「よ、よろしくお願いします!」
いよいよ交渉が始まる。
まず訊かれたのがニーナ自身についてだった。名前、住所、年齢、錬金術協会に登録済みかどうか、今日持参した品物は特許申請を済ませてあるかどうか、今までに品物を納品した経験はあるのかなど、細かいところまで聞かれた。それに答えるたびに、紙の上で<クモ脚の自動筆記補助具>が珍妙なダンスを踊る。
一通り質問を終えると、話はニーナの発明品に移った。
「それじゃあ納品してくれるという発明品を見せてもらおうか」
メイリィの前に作品を一つ一つ並べていく。<激辛レッドポーション><ゲロ不味グリーンポーション><バケツ雨の卵><携帯用蚕ちゃん><絶対快眠アイマスク><気まぐれ渡り鳥便箋><ラッキー十六面ダイス>……
店主はそれらを手に取り、訝しげに見つめた。
「変わったものが多いねえ。ポーションだけじゃなく、手広く色々と発明しているようだけど、とりあえず一つずつ説明してもらおうか」
「は、はい!」
そうそう、とメイリィがニーナに釘をさす。
「先に言っておくけどね、これらの商品はあたしが気に入ればお店に並べることになる。でもね、こっちも商売人だから、お客様に提供するものはしっかりと見定めさせてもらうつもりだ。もしも万が一変なものを売ってしまったら、お客様の信頼を失ってしまうからね。言ってる意味が分かるかい?」
「はい、それはよく分かります」
「つまりだ。商品の良いところばっかりじゃなく、欠点だったり、副作用だったり、そうした悪いところがあるなら前もって教えておくれよ。そうでないと契約はできない。隠し立てしたら、今後一切あんたの商品は取り扱えない。商売仲間にも、あんたのことは悪徳な錬金術師だと伝える。そうなればこの街では二度と商売できないと思いな。いいね?」
ニーナはゴクリと唾を飲み込む。
これは忠告だ。でもニーナは死刑宣告を受けたような気分だった。これから始まるのは交渉ではなく取り調べ。欠陥ばかりのガラクタ品を売りつけようとしたニーナに対する裁判。そしてニーナは、死刑が言い渡されるのを待つだけの被告人。
(うぅ……どうしよう。もともと嘘をつくつもりなんてなかったけれど、でも、もしも私の発明品で街の人に迷惑をかけてしまったら、どのみち街から追い出されてしまうってことだよね……)
だからニーナに許されたのは、ただただ真実を話すことだけだった。もちろん粗悪品を売りつけようと思って交渉に来たのではない。ただ自分の商品がクノッフェンのお店に並ぶことを夢見ていただけ。それでもニーナは、早くもここに来たことを後悔していた。せめて死刑は免れますようにと願いを込めて、自分の発明品がいかにガラクタ品であるかを余すことなく語る。
「──えっと、こっちは<絶対快眠アイマスク>というんですけど、身に付けるとすぐさま深い眠りにつくことができる商品なんです。ただこれを付けて眠ってしまうと、誰かに外してもらわない限り自分では目を覚ますことができなくて……」
「ふーん。つまり?」
「取り扱いを間違うと、そのまま永眠しちゃいます」
「だろうねぇ」
ニーナはその場から消えてしまいたくなった。自分の生活が懸かっていなければ、今すぐにでも商品を回収して逃げ出していたことだろう。
「あとはこの二つのポーションだね」
メイリィは<絶対快眠アイマスク>を突き返しながら、ため息交じりに言った。
ここまで交渉は全敗中。店主の表情を見ても、残る二つのポーションにも期待されていないのは明らかだった。記す価値がないからか、さきほどから<クモ脚の自動筆記補助具>は動きを止めたままである。
「それじゃあ商品の説明をしてもらおうか。……元気よくね」
「は、はい……」
ニーナは困り果てた。あまりに憂鬱で、とても元気よく説明する気分にはなれない。それに緑の液体の方は、味に非常に問題のある秘薬だった。
(うぅ、どうしよう……。<激辛レッドポーション>はともかく、<ゲロ不味グリーンポーション>のほうはなんて言って伝えたら……。「解毒剤としてはとっても優秀ですけど、飲んだらあまりのまずさに吐き気を催します」なんて言ったら、さすがに怒られちゃうかな? でも正直に言わないと……)
なかなか話を切り出せないニーナを見かねてか、メイリィは言った。
「まあ、ここまで全部突っぱねて悪かったよ。せめて最後のポーションぐらいは試しに飲んであげるからさ、とりあえず説明だけでも──」
「だ、ダメです!」
身を乗り出してグリーンポーションの小瓶を両手で覆い隠すと、するすると体を引き戻しながら小瓶を回収する。そして目を丸くしていたメイリィに、こっちはもういいです、と消え入りそうな声で伝えた。
「そうかい? どうしてなのかは深くは訊かないけれど、それじゃあ残ったこっちの赤いほうだけでも説明してもらおうか」
「はい……」
ニーナは元気よくとは程遠い小さな声で、商品の説明を始める。
「名前は<激辛レッドポーション>といいます。飲むと体がぽかぽかとしてきて、それから半日は疲れ知らずで元気に働けます。疲労回復効果もあって、傷の治りも早くなります。ただとっても辛くて、痛いぐらいです。人によっては口もつけられないかも……」
「うん、そんな感じの色をしてるねぇ」
メイリィが小瓶を揺らし、それから栓を開けて匂いを嗅いだ。するとたちまち咽こんでしまう。
「うぐっ、これはまた強烈だねぇ……」
メイリィは鼻を押さえながら小瓶を遠ざける。一応まだ手に持ったままでいてくれているが、飲みたくないという気持ちがひしひしと伝わってきた。
「あ、あの、無理しなくていいですから」
「一応訊くけど、効果の方は本当なんだろうね? 毒とか、副作用は?」
「いえ、ただ辛くて痛いだけです」
メイリィは眉間にしわを寄せながらレッドポーションを睨み続ける。
「本当は飲みたくなんかないんだけどねぇ」
「……すみません」
「でも、お客様に提供する前にすべての商品を自分の体で試すのが、あたしのモットーだからね。それに一つぐらいはあんたの商品も店に並べてあげたいし……」
自分の不甲斐なさと、メイリィの優しさに涙が出そうだった。
メイリィが目をつむる。それから深呼吸を一つ。そして意を決したようにレッドポーションを口に含んだ。
「……っ!! うっ……!?」
限界まで見開かれる目。額から玉のような汗が噴き出してくる。メイリィは空になった小瓶を激しく揺らしながら、辛さにじっと耐えた。そして俯きながら、声を絞り出す。
「……申し訳ないけど、これは当店では置けないね」
◆
失意のなか、帰り支度を済ませる。一足先に売り場に戻っていたメイリィに面接のお礼を告げて、店を出ようとした。もちろん、没になった発明品はリュックサックに詰めて持ち帰るつもりだ。置いていっても迷惑になるだけ。それにいくら欠点だらけの不採用品とはいえ、ニーナにとってはどれもこれも愛すべき発明品。だからどうしても捨てられなかった。
扉の前に立ってもう一度、ありがとうございましたとお辞儀を一つ。それからドアに手をかけ店をあとにしようとした。
けれどその手はなぜか空を切る。手が触れるより先にドアが開いたからだ。
「大変だ! イザークさんが病気で倒れた! このままじゃ商品を納品できないかもしれない!」
入ってきたのは汗だくの男性。なんだか慌てているようだけど、納品できないかもしれないって、実はとっても困った事態なんじゃないだろうか。ニーナは男の切迫した様子に、悪いことが起こりそうな予感を感じていた。