ミスティのレシピブック
「あまり創作レシピは多くないのですが……こちらがこれまで挑戦したなかで一番の出来だと感じている、<空飛ぶドッグウェア>と名付けた発明品です。これはニーナさんの<天使のリュックサック>から着想を得たもので、わんちゃんが着る衣服に翼を生やせたら素敵だなと思い、作り始めたものとなります」
ミスティは大きなカバンからそれを取り出す。淡いピンク色をしたかわいらしい衣服に、純白の小さな翼が背中に当たる部分から生えている。使っている素材は毛糸だろうか。
ミスティがそれを掲げると、それを見た彼女の愛犬のパグが膝の上に飛び乗った。まるで着せられるのを望んでいるかのように、くるんと巻いた特徴的なしっぽを左右に振っている。
「この子はマルといって、とってもお利口さんなんですよ」
「たしかに全然吠えないですもんね」
知らない人たちに囲まれているというのに、マルはとても大人しい。怯えているわけでも無く、とても堂々としているように見えるのだ。先ほどからどこか表情の硬かったミスティも、マルの前では自然な笑顔を見せている。
ミスティはマルにドッグウェアを着せていく。ここでもマルは嫌がるそぶりを見せることなく、されるがまま。むしろ協力的である。
そんなミスティに包まれるように膝の上に納まるマルを見て、ロブは羨ましそうな顔をしていた。あとで俺もそれ着させて、なんて言い出しそうである。
ドッグウェアを着せられたマルがテーブルの上に降ろされる。
すると、一同が注目するなか、背中の翼がゆっくりと羽ばたき始めた。
「おぉ、動き始めた! これはいったいどういう仕組みで動いているんです?」
「仕組みといえるほど大した仕掛けはないのですが、マルがしっぽを振ると、その動きに連動するように翼を羽ばたかせるんです。嬉しいことがあると、より力強く羽ばたくんですよ」
「ということは、マルを喜ばすことができれば空も飛べると?」
「いえ、そこまでは残念ながら。翼に魔力を送ることで空を飛ぶことはできるのですが、さすがのマルも使い方がわからないのか飛び立とうとしないのです。完全な失敗作でした」
そんな高度なことを理解してくれるとすれば、それは魔女の使い魔か、もしくはロブのように元は人間だった犬ぐらいだろう。
ただ、これはこれで可愛い。ミスティが意図したものではなかったかもしれないが、うまく宣伝すれば売れそうな気がする。
「でも、ここから改良したんですよね?」
「はい。せっかくの翼も羽ばたき方を理解してもらえなければ意味が無い。そこで私は発想を変えて、飼い主が魔力を送り込むように改良を施しました。具体的には、ドッグウェアにリードのような長いひもを取り付けまして、これを通じて魔力を送り込むようにしたのです」
ミスティはピンク色のドッグウェアにリードを取り付ける。
そして──
「おぉ、飛んだ!」
ぱたぱたと純白の翼が羽ばたき、マルはみごとに宙に浮いた。空を泳ぐように四つ足で風をかく姿がなんとも愛らしい。
「すごい、すごいじゃないですか!」
「そう言ってもらえて嬉しいです。ですが……」
「あれ、なにか問題でも?」
「……はい。マルがこうして気持ちよさそうに空に浮かぶ姿を見て、私もすごい発明ができたと一度は喜んだんです。そこで他のわんちゃんに試してもらおうと考えたのですが、実際に試してもらうと必ずと言っていいほど怖がってしまって。どうも地に足がつかないと落ち着かないのか、みんな怯えてしまって、なかには<早く降ろして>とばかりに大声で吠えるわんちゃんもいて」
「あぁ、それはまた……」
「もう一つ、魔力の消費が激しすぎるという問題もありまして。どれだけ体調がいい日でも五分ともたずに体中の魔力がすっからかんになってしまうのです」
うーん、たしかにどちらも困った欠点である。これは売れなさそう。いや、売ってみれば案外物は試しとばかりに買っていってくれる人も多いかもしれない。ただ、試した人からは不評だろう。悪いイメージが先行してしまったらクノッフェンで暮らしていけなくなってしまう。だから販売するならばさらに改良を重ねないといけないけれど。
「<空飛ぶドッグウェア>という発想は面白いですけれど、わんちゃんが怯えちゃうのなら、どうしようもなさそうですね」
「そう、ですよね……」
と、ミスティは困ったように眉尻を下げた。
なんとかミスティのためにも商品化のアイデアを捻りだしたいところだけれど、こればかりはどうしようもない。それこそ空を飛ぶ機能を諦めて、可愛い洋服として売り出すほうが人気を博しそうだが、たぶんこれぐらいの機能ならすでに誰かが商品化していることだろう。
そこへ、なあなあ、とロブがテーブルの上によじ登ってミスティに声をかける。
「その右手の指輪もミスティが作ったものなのか?」
「いえ、これは貰いものなんです。旅……に出ると言ったら両親から。幸運のお守りだと訊いています」
へー、とロブは金色のリングを見つめる。
錬金術師が自分の作品以外のものを身につけていたって別に珍しいことでもなんでもないけれど、なにか気になることでもあっただろうか。
──もしかして指輪を見つめるふりしてミスティさんの胸を見てたり……?
……あり得る。
ミスティは決して豊かなお胸の持ち主ではないけれど、それでも確実にニーナよりは大きいのである。
けれどいまは深く考えないでおこう。
「あの、他の発明品についても話を訊かせてもらえませんか? よければレシピブックも見せてもらえたら嬉しいんですけれど」
「もちろんです。ぜひご意見を訊かせてください!」
ニーナはミスティからレシピブックを受け取ると、最初の一ページ目から順番に目を通していく。錬金術師を志すようになってからまだ半年という話だが、ノートの端から端まで文字がびっしりで、一目見ただけで彼女の勤勉さが伝わってくる。
ただこれはレシピブックというよりは勉強ノートだ。オリジナルレシピの案はあるものの、そのほとんどがたった一度の挑戦すらできていない。そもそも故郷の村では満足に素材を手に入れられなかったようだ。この辺りの悩みはかつての自分と重なる部分もあるが、それにしたって調合回数が圧倒的に少ない。
──私も他人のこと言えないけれど、どう見たって経験不足なのに都会に来るなんて随分と思い切ったなぁ。それとも、もともとこっちで先生を見つけて、働きながら学ぶ予定だったのかも。でもなぁ、これはなかなか独り立ちできるまで時間かかりそう。
それでもミスティの力になりたい。このノートを見る限り、既に簡単な調合なら問題なく成功させることができるみたいだ。たった半年でこれだけできるようになったのなら、絶対に才能はあるのだから、このまま諦めて村に戻るなんてもったいないと思うのだ。それに失敗の数なら自分だって負けていない。そんな自分でもこうしてなんだかんだうまくやれているのだから、ミスティだって暮らしていけるはずなのだ。
「私、これまで人に錬金術を教えた経験なんてないんですけど、それでも頑張って色々と伝えようと思います。だから、明日から頑張りましょうね、ミスティさん!」