煙突屋根の見える景色
「ふわぁ……うーん、よく寝た!」
ベッドのなか、寝ぼけまなこのニーナは上半身を起こして大きく伸びをする。
待ち望んでいた新しい朝がやってきた。嬉しくて自然と笑みがこぼれてくる。
ベッドから抜け出してみる。備え付けの二段ベッド。上の階を使用するシャンテはまだ静かに寝息を立てている。昨日の疲れもあるのだろう。起こしてしまわないように、カーテンを少しだけ開けて外を見る。
「うわぁ、綺麗だな……!」
朝焼けの空。きらきらと輝く三角屋根の街並み。遠く向こうの水平線。
異国情緒溢れる絶景に思わず感嘆の声を漏らす。昨夜は気付かなかったけれど、ここから見える景色は素晴らしかった。クノッフェンの北西部、上り坂ばかりの街のなかでも小高い丘の上に位置するこの家の二階の窓からは、街の景色を一望できた。
オレンジ屋根の民家が建ち並ぶなかでも一際目立つ建物は、やはり街のシンボルともなっている時計台だろう。左右対称の建築模様が美しいリーンベル大聖堂は、多くの観光客が足を運ぶ教会であり、中央に位置する尖塔には巨大な時計盤が設置されている。その内部には<黄金の間>と呼ばれる場所があり、毎年優れた発明を成し遂げたものを表彰するセレモニーが開催されていることでも有名だ。いつか自分もこの教会で栄誉ある賞をいただきたいと、ニーナは強く願う。
「また白い煙だ」
空高く、もくもくと伸びる薄っすらとした白い煙。こうして街の景色をぼんやりと眺めている間にも、煙突屋根の至る所から煙が上がっている。その色はどれも白色だった。
(こんな朝早くからみんな調合してるんだ。やっぱり凄いな……)
煙突から伸びる薄くて白い煙は、錬成の成功を示す。その一方で失敗を表す黒い煙は一つもない。もしかしたら、ここで黒い煙をあげてしまったら、村にいたときより笑いものにされてしまうのかも。
(ふんっ。どうせみんな失敗を恐れて簡単なレシピしか挑戦してないだけでしょ? でも私は違うよ。だって大発明は、失敗を積み重ねた先にあるものなんだ。だからどんどん失敗……は言い過ぎだけど、でも、すっごい素材を手に入れて、誰も成し遂げたことのないような発明をそのうちしてみせる。そのために私はこの街に来たんだ!)
「──あっ、黒い煙だ!」
ニーナは小さく声を弾ませる。
ここにもいた。失敗を恐れない挑戦者。錬金術師はこうでなくちゃ。ニーナは目を輝かせて黒い煙の出所を探る。
民家にしては少し大きめの建物。オレンジ屋根の民家に交じって、黄土色の妙に光沢のある建物が陽の光に照らされて異彩を放っている。形も歪で、屋根の部分が丸みを帯びているように見える。とってもヘンテコな家だ。でもだからこそ興味をそそられる。近くを通ることがあればぜひ立ち寄って、どのような発明に取り組んでいるのか住人に話を伺ってみたい。
……うん、私も頑張らないとね!
本格的に行動するのはシャンテが目を覚ましてからにするとして、とりあえず着替えだけでも済ませよう。それから<天使のリュックサック>の中身を整理して身軽にしてから、忘れないうちに家から持ってきた<スロジョアトマト>の苗木を花壇に植えよう。この苗木が実をつけてくれないことには<激辛レッドポーション>を錬成することができないのである。
ニーナは頭のなかで今後の予定を立てながら、身につけていたパジャマを脱いで、そしていつものワンピースを手に取った。
部屋の片隅にいたロブと目が合ったのは、そんなあられもない姿になったときだった。
◆
「なんでしれっとアタシたちが寝る部屋で一緒に寝てたのよ、このバカ兄貴!」
シャンテが怒っている。その原因の一端が自分にもあると思うと、申し訳なく思えてくる。
あのとき、ロブと目が合ったニーナはつい悲鳴を上げてしまった。
下着姿だった。相手がただのブタなら見られたって気にしないが、本当は男の人だということを知ってしまっていた。恥ずかしくて、シャンテがまだぐっすりと眠っているにもかかわらず、ニーナは大声をあげてしまった。だからシャンテは不機嫌なのだ。
「なんでと言われてもなー。いつも一緒に寝てたじゃん」
「それは旅の途中で宿に泊まった日の話でしょ! 今日は空き部屋がたくさんあったし、それにいまはニーナだって一緒なんだから、ちょっとは気を遣いなさいよ!」
「でもなー、お兄ちゃんとしては妹の成長を見守る義務が」
──どごぉ!
「うっさい、このエロブタ!」
「いや、そういう変な目で妹を見てるわけじゃなくてな」
「言い訳無用! とにかくこれから着替えるんだから、さっさとこの部屋から出ていけ!」
ビシッと扉がある方を指さし、シャンテはロブを部屋の外へと追い出した。
なにはともあれ着替えを済ませて、ニーナとシャンテは一階へと降りる。
ロブは言いつけを守って大人しくリビングで待っていた。
かと思えば、ニーナたちを見るなりお腹が空いたとロブは言う。
「外に飯でも食いに行こうぜ!」
「は? そんなお金の余裕がどこにあると思ってるの?」
ぴしゃり。
シャンテはロブの願いを切り捨てた。
「まともに稼げるようになるまで今日から節約生活だから。ニーナも協力しなさい」
ニーナは素直に頷いた。今日ぐらい外で食べてもいいのでは、と思ったことは口に出さないでおく。
「でもなー、この家には食材もなにもないぜ?」
たしかに、これに関してはロブの言う通りだった。
この家には必要最低限のものが一通り揃っているけれど、裏を返せば、それ以外のものはなにもない。本棚はあっても本はなく、机と椅子があっても紙とペンがない。そしてキッチンや冷蔵庫はあっても食品がない。素材がなければ料理は作れない。錬金術と同じである。
「ないなら買いにいけばいいじゃない」
「こんなに朝早くから? 市場も開いてないだろー」
「だったら、とりあえず今朝は各自の保存食で済ませましょ」
「でもニーナが持ってきてた食料は、昨日俺が全部食べちゃったぜ?」
そういえばそうだった、とシャンテがしかめ面する。
「……はぁ、しょうがない。今日だけ外で食べましょうか。ちょうどこれからのことを話し合いたいとは思ってたところだし、ついでにお店が開いたら買い出しも済ませてしまいましょ」
ニーナはなにか食べたいものでもある、とシャンテが訊ねてくれる。
「すぐには思い浮かばないけれど、本屋さんには行きたいな」
「別に構わないけど、それって急ぎの用事なの?」
「うん。空いた時間に読む本が欲しいんだ。いずれはあの大きな本棚に入りきらないぐらいの本が欲しいんだけど、とりあえず数冊、お金と相談しながら買いたい。本読まざる者、錬金術師たる資格なし──新たな発明には、知識の幅を広げることがとても大切だから」
錬成を成功させる秘訣は、上質な素材と、それを使いこなせるだけの豊富な知識と、念入りな下準備の三つだと言われており、ニーナも暇さえあれば本を読むようにしている。といっても、ニーナの小遣いで買える書物は多くなく、おばあちゃんから譲り受けた工房にも数冊しかなかったが。
「目標に近づくためにってことね。いいわ、許可しましょう」
「やったぁ! あとね、もう一か所行ってみたいところがあるんだ。変わった屋根のお家なんだけど」
ニーナは窓から見えた、黄土色の歪な建物の話をした。黒い煙を吐き出していた、たぶんニーナと同じくヘンテコな発明を繰り返しているのであろう錬金術師に会ってみたいと、シャンテにお願いする。
「いいわ。誰かさんのせいで早起きしちゃったことだし、この際だからニーナに付き合ってあげる。ということで、さっそく家を出ましょ。アタシももうお腹ペコペコよ」




