覚醒のロブ
「偽物でも幻覚でもなさそうだけど……あなた本物? いったいどういうカラクリを使ったのかしら?」
聖女セレスの口づけにより力を取り戻したロブの登場に、リムステラは驚きを隠せない。かろうじていつものように微笑みを浮かべているが、その笑みがどことなく引きつったような印象を受けるのは自分だけではないはずだ、とニーナは思う。
「それにいつにも増して迫力が違うじゃない」
それはニーナも感じていたこと。この姿のロブはどんなときだって頼りになるが、いまは普段以上に魔力が漲っているように感じられる。なんというかオーラが違うのだ。
この予期せぬ事態にリムステラとジェラルドは互いに顔を見合わせる。ジェラルドはわかりやすく狼狽えているが、その一方でリムステラはむしろいつも以上ににっこりと微笑んでおり、それがまた不気味に感じられた。
「ごめんなさいね。あなたとはここまでの縁だったみたい」
「なっ、それはどういう意味ですか!?」
リムステラの存在感が急に希薄になったかと思えば、ふわりと宙に浮かび、なんとそのまま大部屋の天井をすり抜けるようにして逃げてしまった。一人置いていかれたジェラルドは天井を見上げたまま呆然と立ち尽くす。
が、騎士に詰め寄られてハッとしたジェラルドは下がれっ、と叫び出した。
「俺に近づくな! まだお前たちの大切な騎士の命は俺が握って……!?」
ジェラルドはアデリーナを人質にこの窮地をなんとか脱しようとした。
ところが、どういうわけか途中から声が出せなくなってしまう。口をぱくぱくとさせながら戸惑うジェラルドの視線の先には、落ち着いて杖を構えるフラウの姿があった。首輪に仕掛けられた呪いを発動させないために<黙れ>の魔法で声を封じてしまったのである。
首輪の力を発動させるには、あらかじめ決められた呪詛を声に出す必要がある。それが封じられたいま、ジェラルドは身を守る術を失ってしまった。自身の終わりを悟ったジェラルドは膝から崩れ落ち、虚空を見つめながら狂ったように笑うが──開けられた口から声が漏れ出すことはなかった。
その傍らでニーナたちはアデリーナに駆け寄っていた。いまは意識を失っているのか、蹲るような格好で横たわっている。その姿を見たニーナは死んでしまったのかと心配したが、かろうじて豊かな胸が上下していたので、まだ息はあるようだった。
そんなアデリーナの側でロブが膝をつき、首輪と仮面にそっと指で触れた。
「ねえ、それ外せないの?」
「俺は呪術師でも解呪師でもないんだけどなー」
シャンテの問いかけに、そうロブは答えた。どうやら首輪も仮面も呪いによって簡単には外せないようになっているらしい。きっと力づくで取り外そうとしたり手順を間違えてしまうと良くないことでも起こるのだろう。ロブは指先で首輪に触れながら、目をつむって難しい顔をしている。
「で、どうなの?」
「ん、もう外れた」
言うが早いか、カチッと音がして首輪が外れた。この調子なら仮面だって取り外すことができるはず。そう期待したニーナの前で、ロブはまたしてもそれに応えるように<狂人化の仮面>の呪いを解除した。誰もが手をこまねくような難しいことを事もなげに成し遂げてしまうロブはやはり頼りになる。
ロブの手が仮面を外す。アデリーナの素顔がさらされると、一同は息を呑んだ。
血色の悪い肌。いつもなら艶めく唇もカサカサで、目元にはクマができている。口元からだけでなく鼻からも血を流し、息を吸うことでさえ苦しそうだった。赤薔薇のような美貌を誇るアデリーナのやつれた姿に、ニーナは思わず目を逸らしてしまう。
それでもセレスが手を握るとアデリーナは意識を取り戻したようで、弱々しいながらも微笑んで見せた。身を挺してかばったセレスが無事だったことを喜んでいるのだろう。
──ひとまず、これにて一件落着なのかな?
ジェラルドを押さえ、アデリーナたち人質を奪還できた。まだ船の上では戦いが繰り広げられているのかもしれないが、リムステラが逃げ出したいま、ロブを止める術は残されていないはず。
と、思った矢先だった。
ぐらりと大きく船が揺れてニーナはその場で尻もちをついた。
「い、いまの揺れはなに!?」
先ほどの揺れはどう考えでも普通ではない。少なくとも波が引き起こしたものではなく、たとえばなにか大きなものにぶつかったか、もしくは──
ニーナの脳裏にとあるバケモノの存在が浮かんだそのとき、またしても海賊船は大きな揺れに見舞われた。
同時に不吉な音が響き渡る。メキメキとなにかがへし折られるような音だ。天井に取り付けられた照明が明滅し、大部屋に緊張が走る。
「ちょっと、この揺れなんなのよ!」
さすがのシャンテもこの揺れに耐えられず床に手をつく。
「……クラーケンだ」
「は? いやいや、そんなわけないでしょ。だってこの船は海賊が所持しているもので、まだ船内には仲間がたくさん残っているのよ? それなのにこんな場所で召喚するなんて愚かなこと、いくら海賊たちが馬鹿でもやらないでしょ」
シャンテはそう言うが、ニーナはロブと同じ意見だった。このいつまでも続く揺れはあまりに不自然である。だとしたら考えられる理由はそう多くない。
「そうだな。だがリムステラならやりかねん。この場から逃げたあと船長から<青の宝珠>を奪い、クラーケンを呼び出した。俺を殺すためか、この場から確実に逃げ出すための時間稼ぎか、あるいはただの腹いせか」
「理由なんてどうでもいいわよ。本当にクラーケンが召喚されたなら一大事じゃない。早くここから逃げないと船を沈められちゃうわよ!」
「その通りだ」
ロブは目をつむって思案する。
そうこうしているあいだにも船はありえないほどに傾いていた。もう船の一部が沈んでいるんじゃないかと思えるほど。もしそうだとしたら、いまこの瞬間にも海水が流れ込んで来たら、誰も助からないだろう。
──ううん、弱気になっちゃダメ。こういうときこそ錬金術が必要とされるときじゃない!
ニーナはリュックサックに手を伸ばし、中から青色の飴玉が入った小瓶を取り出す。
「シャンテちゃん。それにみんなもこれ、口に含んでおいてください。<エアドロップ>といって、少しのあいだなら水中でも呼吸ができるようになります」
ニーナはふらつきながらも立ち上がり、この場に居るもの全員に<エアドロップ>を配った。意識を取り戻した海賊たちにも平等に一つずつ配り終えると、続けて<暗視のポーション>を飲み干し、さらに<お目目ぱっちり潜水目薬>を目に点して、それから<人魚姫のパレオ>を腰に巻いた。もしも誰かが海に投げ出されても、こうしておけば助けることができるはずだ。
「シャンテちゃんもこれ使って。もしものときは私たちがみんなを助けるんだ」
そうしてシャンテも<人魚姫のパレオ>を身につける。
そんな二人の姿をロブはまじまじと見つめていた。
「なによ?」
「いや、二人とも頼もしいなと思って」
「兄さんの方はなにか妙案でも浮かばないの? いくらなんでもアタシたちだけじゃどうにもならないわよ?」
「そうだな。シャンテたちがみんなを守ってくれるというのなら、いっそ俺はクラーケン退治に専念してみるか」
「やれるの?」
「ああ、聖女に力を分け与えてもらったいまならやれるはずだ。ニーナ、すまないが<七曲がりサンダーワンド>を貸してもらえないか?」
「もちろん構いませんが、なにに使うんです?」
「もちろんイカ退治に、だ。クラーケンなんて大層な名前がついているが、所詮は少しばかり図体のデカいイカだろ? なら雷撃が有効なはずだ」
そうは言っても、<七曲がりサンダーワンド>がクラーケンに通用するとも思えないけれど……
それでもロブの自信に満ちた目を見て、信じてみたいと思った。ロブの力と、自身の発明品に秘められた力を。




