海賊船に乗り込め!①
ブラッドリー海賊団が誇る大型海賊船のとある一室にて、魔女リムステラは一人ワイングラスを傾けながら、船が動き出したことを感じていた。まだ夜明け前だが、一度目が覚めてからというものの、妙に目が冴えてしまって寝付けない。用意されたベッドの上では、絨毯のように毛足の長い白猫が居心地良さそうに丸くなっていた。
ノックの音が室内に響く。どうぞと声をかけると、やってきたのは貿易商を営む若き資産家、ジェラルド・マークスだった。丸眼鏡にトレードマークである水色のマフラーを首元に巻いた彼は、リムステラを見て微笑を浮かべるが、その顔には疲労が浮かんでいた。
「今回の件は災難だったわね」
「ええ、まったくですよ。大事な商品を燃やされた挙句、獲物にはまんまと逃げられてしまいました。おかげで計画は前倒し。あれだけの海賊たちを動員したというのに信じられませんよ」
「それは……少しだけ申し訳ないことをしたわね」
ロブたちに恨みを持つリムステラはあのとき、船長のキースに、逃げ出した三人をすぐに捕まえてしまっては面白くないからと、夜通し追い掛け回すことを提案した。追い詰めるときは執拗に、まずは兄妹の心を折る。そして体力と魔力をじわじわと消耗させてからじっくりと獲物を捕らえようという魂胆だったのだが……まさか空から箒に乗った魔女が助けに来るなど思ってもみなかった。結果としてリムステラの提案がジェラルドの計画を狂わせてしまったというわけだ。
「ワイン、飲む?」
「ええ、いただきましょう」
労いの意味も込めて、向かいに腰を下ろしたジェラルドのグラスに赤ワインを注ぐ。真夜中に海賊たちから獲物に逃げられたという知らせを受けてからというものの、彼はこのアジトに溜め込んでいた武器や薬物などを運び出すためにここ数時間、ずっと海賊たちに指示を出していたのだった。
「リムステラさんは思いのほか落ち着いていますね。昼間の話では、あの三人には恨みがあるとか言ってませんでした?」
ワインを一口飲んでからジェラルドが訊ねる。
「ええ、そうよ。といっても本当に恨みがあるのは兄妹の二人だけだけれど」
「逃げられたというのに怒っていないのですか?」
「そうねぇ、まんまと逃げられたって知らされたときは驚きを通り越して呆れたわ。でもいまは別にって感じ? こう言ってはあなたに悪いけれど、逃げられたからって私にはなんの被害も無いもの」
「ははっ、たしかにそれは仰る通りだ」
「そもそも、今回に関しては私はなんの関与もしていない。あの子たちが偶然この島に流れ着いたことに驚いているのは私の方なのよ。だからここで捕らえられたならラッキーだけど、別に逃げられたってそれほど悔しくはないわ。それに、どうせ再会の時は近いでしょうし」
「と、言いますと?」
「あの兄妹、特に妹の方は、兄にかけた<動物化の呪い>を解くために私を追ってるの。だからきっと、私がここで待っていれば向こうからやってくるわ」
「それは……俺としては困りましたね。たしかあのブタは、あなたと同等の力を持った魔法使いという話じゃないですか」
そうね、と微笑みでもって答えると、ジェラルドは困ったなと頬を掻いた。ただでさえ国家騎士に追われている身としては、これ以上余計な敵を増やしたくないというのが本音なのだろう。
「迷惑ならば出ていくけれど」
「いえ、あなたには色々と恩義がありますから、いまさら追い出したりはしませんよ。それにリムステラさんの話通り彼らが追ってくるとしたら、当然この船を目印にやってくるはず。むしろ残ってもらわないと困ります」
「あら、この私に野蛮なことをさせようと考えてる?」
「最前線に立って戦えとは言いませんが、少なくとも抑止力になってもらいたいとは思っています」
「ふふっ、正直者ね」
リムステラはそう言って口元にワイングラスを運びながら窓の外に目を向けた。動き出した船はすでに洞窟を抜けたはずだが、外はまだ暗く、窓の向こうの景色は相変わらず真っ暗だ。
ジェラルドによると、このあと船は東へと舵を取り、国外にある別のアジトに逃げ込む予定だという。彼は潤沢な資金を元手にモーゼス島の他にもいくつかの無人島を買い上げている。そのうちの一つにアジトを移すそうだ。島一つを丸ごと手放すことになるのは痛手だが、それでも捕まるよりかはマシですよ、とジェラルドは苦笑する。
「まあ今後はいままでみたいに表立っての活動はできないでしょうが、これまでに築き上げてきた貿易ルートがありますからね。どこへ行ったって上手いことやっていく自信はありますよ」
そこまで話したとき、慌ただしい足音が聞こえてきた。続けて乱暴に扉を叩く音。
「ジェラルドさん、そちらにいますかっ!?」
「ええ、いますが、どうしたのです?」
「国家騎士の奴らが早くも攻めてきました! 現在、船上にて戦闘状態に突入。船長以下、グレゴリー隊長とマイルズ隊長率いる部隊がこれに対応中です!」
ジェラルドは苛立ち混じりに豊かな金色の髪を掻き上げた。
襲撃は予想していたが、随分と早いお出ましである。
「敵船は? 見張りはなにをしていたのです?」
「それが奴ら魔女と結託しているのか、箒に乗ってやってきたんすよ」
ジェラルドは苛立ちを吐き出すように大きく息をついた。クラーケンに対抗するために、国家騎士たちは空から奇襲する作戦に出たらしい。
けれどそれならば敵の数はそれほど多くはないはず。ジェラルドは伝令役に相手の戦力はどの程度か確認する。
「乗り込んできたのは二十人ほどなんですが、それが奴ら、驚くほど手ごわくて」
「相手が強いのは百も承知。それでも船上ならばあなたたちのテリトリーでしょう?」
「それはそうなんですが……」
「言い訳は許しません。船内に侵入を許す前に必ず迎撃してください」
「サーッ!」
掛け声を残して伝令役が走り去っていく。
ジェラルドは大きくため息をつくと重い腰を上げた。
「あら、あなたも戦場へ?」
「まさか。もしもの時に備えて実験を早めるんですよ。あなたも来ますか?」
「それはとっても楽しそうね」
◆
一方その頃、騎士たちと別行動をとるニーナたちはフラウの箒に乗り、海上の低いところを飛んでいた。これより船の後方から奇襲をかける。見張り役は全員船上に気を取られているから、夜の闇に紛れることができるいまなら比較的安全に船に近づくことができるはずだ。
そうしてひっそりと海賊船に接近したニーナたちは、右舷後方にて船と並走するように速度を緩めると、明かりのついた窓をコンコンとノックして、素早く身を伏せる。そして何事かと訝しんだ海賊が窓を開けた瞬間、フラウが<沈黙>の魔法をかけて声を封じると同時に、シャンテが槍の石突の部分で男の顎を殴って気絶させた。実に鮮やかな手際である。
「さあ、いまのうちに乗り込むわよっ!」
室内に他の海賊が潜んでいないか確認したのち、ニーナたちは窓から海賊船の内部へと潜入を開