ニーナのアトリエ
アデリーナの一言がきっかけで、ニーナたちは一緒に暮らすことを決めた。
二人ならどんな苦難も乗り越えられるんじゃないか。なんとなくだけど、そんな予感がした。
話は決まったみたいね、とアデリーナが微笑む。
「あとは住む場所だけど、よかったら私が紹介しましょうか?」
「いいんですか?」
「ええ。といっても、私の知り合いが所有している空き家を紹介するだけなんだけどね。でも以前は錬金術師が住んでいたところだし、ニーナにとっては暮らしやすい場所のはずよ。北西の方角にある家だから、ここからそう遠くないし、いまから行ってみる?」
願ってもない申し出に、お願いしますっ、とニーナは声を弾ませる。
するとシャンテが顔を寄せてきて、また騙されてるんじゃないでしょうね、と小声で言った。
ま、まさかね。
もしそうなら笑えない冗談だけど……
「まあいいわ。装備品を見る限り本物の王国騎士様っぽいし、ここまで来たらとことん付き合ってあげる」
シャンテはふらふらと立ち上がって、衣服についた汚れを手で払うと、折れてしまった槍の残骸を拾い集める。顔色はまだ優れないけれど、それでも歩けるぐらいには回復したみたいでよかった。
ところがその一方で、ロブは地べたの上でぐったりとしていた。
「……なにしてるの? さっさと行くわよ、ロブ」
「ブヒブヒ」
力なく鳴くブタさん。まさか先ほどの戦いで力を使い果たして、その後遺症で人の言葉を話せなくなったんじゃ……!
などと不吉な考えがよぎったところで思い出す。そういえばさっき、ご飯をねだるときにしっかり言葉を話してたじゃないか。
つまりこれは演技。もう歩きたくないと駄々をこねているだけなのだ。
「もう! アタシもニーナも疲れているんだから、自分の足で歩きなさいよね!」
シャンテが腰に手を当てて怒っている。しっかり者の妹と、怠け者のお兄さん。シャンテちゃんも大変だな、とニーナは苦笑する。
ところで、ひょい、とアデリーナがロブを抱きかかえた。
「ふふっ、困ったブタさんね。いいわ。私が連れていってあげる」
あっ、ずるい!
というか、なんですか、その緩み切った表情は。私が抱きかかえてあげたときよりよっぽど幸せそうじゃないですか。なんでなんですか。ニーナは憤慨するが、その理由はすぐに思い当たった。
──胸か。そうか。そんなにも大きな胸がいいのですか。
アデリーナは同性から見ても魅力的な女性だと思う。艶めく紅蓮の髪。魅惑のボディライン。服の上からでもわかる豊かな胸のふくらみ。艶やかで、妖艶で、ミステリアス。表情は自信に満ちていて、堂々としている。どれもニーナにはない魅力ばかりだ。そんなアデリーナに抱かれて、さぞロブは幸せなことだろう。このエロブタが。正体が人間だってバラしてやろうかしら。
というか、早く謝ったほうがいいよ、ロブさん。
シャンテちゃん、めちゃくちゃ怖い顔してるから。
アデリーナを先頭に街を歩く。もう日は落ちかけで、辺りもだいぶ暗くなってきた。
それでも大通りを選んで歩けば、街は華やかな明かりに包まれていて、怖いとは感じなかった。シャンテはまた騙されることを警戒していたけれど、その心配もなさそう。もしものときはエロブタを置いて一緒に逃げようね、シャンテちゃん。
そうしてかれこれ一時間近くは歩き続けただろうか。
アデリーナが足を止めたころには、もう空は真っ暗。けれど騎士が先導してくれたおかげで、あれから一度も誰かに絡まれることはなかった。
「……えっと……ここはどこでしょう……?」
疲れ切っていたニーナは息を整えながら質問する。
目の前には何の変哲もない民家が建っている。木枠にベージュの石材、そしてオレンジ色の屋根。窓から明かりが漏れ出しているから、誰かが暮らしているみたいだ。アデリーナはこの家の住人になにか用があるのだろうか。
「ここは私の親友の家よ。といっても、相手は私よりもずっと年上なんだけどね。それでも性格が合うからか、とっても話が弾むの」
アデリーナがさっそくとばかりにチャイムを鳴らす。
ややあって顔を見せたのは真っ白な髪のお婆さんだった。見たところ年齢は六十歳を少し超えたところ。小柄ではあるけれど、痩せても太ってもおらず、いたって健康そうである。
アデリーナは手短にお婆さんに事情を説明してくれた。相手の名前はイザベラというらしい。
「あら、そうだったの。大変ねぇ。いいわ、ちょっと待っててくれるかしら」
そう言ってイザベラは家の奥へと消えてしまった。
かと思えば、鍵の束をもってすぐに戻ってくる。
「さあ、行きましょう」
──まだ歩くの?
ニーナは疑問に思ったけれども、ここは黙ってついていくしかない。ニーナはアデリーナたちの後ろをついて歩く。シャンテも疲れているからか、もうロブに文句を言う元気も残っていないようだった。
などと思っていたら、早くも目的地に辿り着いた。
先ほどの民家の目と鼻の先で、まだ歩いて一分も経っていない。
目の前にあるのはこじんまりとした二階建ての建物だ。決して大きな家ではないけれど、ちゃんと煙突はある。家の横手には花壇もあって、ここを利用すれば錬金術の素材となるハーブなんかも育てられそうだ。
「あの、ここは?」
もしかして、と期待も込めてイザベラを見た。
「今日からあなたたちが暮らす家よ。そうね、言うなれば<ニーナのアトリエ>といったところかしら」
(ここが、私のアトリエになるかもしれないお家……)
微笑むイザベラ。がちゃりと鍵が回される。
ゆっくりと開かれる扉。期待に高鳴る鼓動。真っ暗だった室内にぱっと明かりが灯る。
その光に誘われるように、ニーナはドアをくぐった。
(わぁ……なんて素敵なんだろう!)
そこは少々埃っぽいながらも、ニーナには勿体ないぐらいの素敵な家だった。扉を開けてすぐリビングのような空間が広がっており、視線を右に移すと錬金釜と煙突穴が見える。テーブルやソファー、それに棚や食器まで備え付けられてある。まるで、いつ誰が来ても迎えられるように準備して待っていたかのよう。
これにはシャンテも、随分と立派なのね、と舌を巻く。
「でもなんでこんなにも準備がいいの?」
シャンテの疑問にイザベラは、つい一月ほど前まで別の人が住んでいたからよ、と答えた。
「この街は人の入れ替わりが激しいから、始めから家具や錬金釜が備え付けられていることのほうが多いの。だからここが特別というわけでもないわ」
イザベラはこの家のオーナーで、他にもいくつかの家を所有しており、それらを夢見る若者に安価で貸し出しているらしい。賃貸業は趣味みたいなものだとイザベラは言う。
「あなたたちだけ特別扱いするわけにもいかないから毎月の家賃はしっかりと貰うけれど、アデリーナの紹介だし、契約金はタダでいいわ。もう今日からここで暮らすでしょ?」
「そうさせてもらえると……えっ、契約金タダでいいんですか?」
イザベラはにっこりと微笑む。なんと有難いことだろうか。
「えっと、私はここに住めたらいいなと思うんだけど、シャンテちゃんは?」
「アタシも文句なし。求めてた条件にもピッタリと合うしね。それにニーナのほうがここで長く暮らすことになるでしょうから、ニーナに合わせるわ」
「ありがとう! 今日からよろしくね、シャンテちゃん!」
今日ここから、本当の意味で私の新生活は始まるんだ。
ニーナはあらためて室内を見渡す。決して広くはないけれど、温かみを感じられる素敵な家。錬金術ができる、私の工房。私のアトリエ。ここで新しい友達と一緒に暮らせるのが嬉しくて、わくわくする気持ちが抑えられない。不安がないといえば嘘になる。実際、怖い目にもあった。でもそれ以上に期待する気持ちのほうがずっと大きかった。だからニーナは、明日が待ち遠しくて仕方がなかった。




