助けに来たよっ!
自ら身を投げ出したシャンテは、落下する最中、唖然とするグレゴリーを見て笑った。くだらないプライドかもしれないが、一泡吹かせてやれて嬉しかった。見たか、全部全部お前の思い通りになんかならないぞと言ってやりたかった。
もちろん、シャンテは死ぬつもりなどなかったが。
「──俺の前で自殺なんて二度とするな、馬鹿野郎」
シャンテは背中から落ちて死ぬはずだった。
けれどそうならなかったのは、地面に激突する直前に、突如現れた男性がシャンテを助けたから。
その人はシャンテを抱きかかえたままゆっくりと地表へ降り立つ。
「バカは兄さんよ。助けてくれると信じてたからに決まってるでしょ」
「だとしても、せめて一言言ってから跳べ」
「それはまあ、悪かったわ。……で、いつまでそうしてるわけ?」
言うまでもなく助けてくれたのはロブだった。そしてシャンテはというと、ロブにお姫様抱っこのような姿勢で抱えられていた。助けてもらったとはいえ恥ずかしくて、それとなく兄から視線を逸らしたものの、ロブは一向にシャンテを離そうとしない。
「無茶をしてごめんなさい、と素直に俺の目を見て謝るまでだな」
「ちょっと、こんなときにふざけてるの?」
「いいや、怒ってるんだ」
「だから、そのことについては悪かったって謝ってるじゃない」
「……」
どうやら兄は本気らしい。本気でシャンテが自棄になって自殺しようとしたと勘違いして怒っているらしい。兄への信頼がイマイチ伝わっていないのが納得いかないが、たしかに一言言ってから跳ばなかった自分も悪かったように思う。
「……わかったわよ。その……無茶をしてごめんなさい」
「目はこっちに向けて」
「うぅ……無茶をしてごめんなさい」
「よし」
ようやく降ろしてもらえて両足を地に落ちつけることができた。
そこへ、ワイヤーを利用して降りてきたニーナが駆け寄ってくる。
「シャンテちゃん!」
「ニーナにも心配かけたわね、ごめんなさい」
「ううん。それより怪我は?」
「大したことないわ。鼻は痛いけど折れてないと思うし、手の甲もヒリヒリするけど、一瞬だったから火傷もそんなにひどくない」
「良かったぁ」
ニーナはほっと胸をなでおろした。そして、一人勇敢に戦ったシャンテの無事を喜び、ぎゅっと抱きしめた。
そんなニーナたちに水を差すかのように、鞭を手にした男が歩み寄ってくる。
「いやはや、なんとも美しい友情、そして兄妹愛ですね。思わず私も見とれてしまいました……ですが、どうもあなたたちは自分が置かれている状況をお忘れではありませんか?」
すらりとした長身。男だというのにブロンドの髪はニーナよりも長く、端正な顔立ちをしている。身だしなみも綺麗に整っており、化粧を施せば女性と見間違えてしまうかもしれないと思えるほど。
その男に気を取られていると、今度は頭上から轟音が鳴り響いた。
グレゴリーが鞭を手にした男の足元目掛けて砲撃を放ったのである。
「おい、マイルズ! 俺様の獲物を横取りしやがったら許さねーぞ!」
「なにを言っているのです。こちらのテリトリーに落ちてきたのですから、彼女たちは我が四番隊がもらい受けます。あなたこそ邪魔をするようなら先に殺しますよ?」
隊長を名乗る二人がニーナたちを挟んで言い争っている。このままこちらの存在を忘れて見逃してくれる、なんてことはないだろうけれど……
どうするの、とシャンテは兄に小声で訊ねた。
「囲みを突破する。残された時間は少ないが、やれるだけやってみよう」
「そう言う割には貴重な時間を無駄遣いしてたように思うんだけど」
「いいや、あの時間は俺が本気を出すために必要不可欠だったさ」
ロブはにこりと歯を見せて笑った。
かと思えば、次の瞬間にはマイルズの目前へ。
「なっ、あなたは!?」
音もなく、一足飛びで距離を詰めたロブに対し、マイルズは慌てて鞭を構えようとしたものの、それはあまりにも遅すぎた。
とん、と軽くお腹を手で押されたマイルズは凄まじい速さで後方へ吹き飛び、遥か向こうの樹木に激突。がっくりと項垂れ、たったの一撃で気絶してしまった。しかもどういうわけか洋服はびりびりに引き裂かれて裸に。美しかったブロンドヘアーも短く角刈りにカットされている。そのあまりのすごさに、取り巻きの海賊どもは開いた口が塞がらない。
続けてロブはなにかを察したのか、その場で素早く反転した。
すると、どういうわけか崖の上から爆発音が聞こえてくる。
なにが起きたのかわからずに頭上を見上げると、立ち込める黒煙のなかで、グレゴリーが右の肩口を押さえながら蹲っていた。
しかもよく見てみると、つい先ほどまで確かに存在したはずの機械の腕が見当たらない。
──いまロブさんはなにをしたんだろう?
その目で見てもなお、なにが起きたのか見当もつかなくて。
ニーナが疑問を口にすると、呟きを拾ったシャンテがたぶんだけど、と前置きしたうえで答える。
「氷のつぶてか何かを投げて砲身を詰まらせたんだと思う。機械って精密な造りをしているから、ちょっとしたことで暴発しちゃうのよ」
そうか、先ほどの反転したタイミングで投げていたのか。その速さといい、正確に砲身を射抜く技術といい、驚くことばかりだ。
「それにしても状況が状況とはいえ、兄さんも結構えぐいことするわよね」
「怒ってたんじゃないかな、目の前でシャンテちゃんが傷つけられて」
「あぁ、うん、あり得そう」
そうこう言っているあいだにも、ロブは瞬く間に戦場を制圧していく。屈強な海賊たちもロブにとっては赤子も同然。全身を凍らせ、風の刃で切り刻み、連鎖爆発によって辺り一帯を燃え上がらせる。蟻地獄のようなものを生み出し、海賊たちの動きを封じたりもした。まさに魔法の大盤振る舞いだ。
「ちょっと、いくらなんでもやり過ぎじゃない!?」
「ああ、これだけ派手にやればこの場に居ない海賊どもも集まってくるだろうな」
「ダメじゃない。もうすぐ魔法も使えなくなるんでしょ?」
「その通りだ。だから──」
そう言ってロブは、ニーナたち二人のもとに駆け寄って同時に抱きかかえる。
「ここから逃げる。しっかり捕まれよ!」
「えっ、ちょっとそれどういう」
言い終わらないうちに風が巻き起こり、足元には深緑色に輝く魔法陣が現れる。<風紋>にも似た模様の上でロブは身をかがめると、両ひざを曲げて、その場で大きくジャンプした。
「ひゃあっ!?」
それはいままで体験したことのないほどの大跳躍。<ハネウマブーツ>顔負けの跳躍で遥か上空、薄雲の上まで一気に跳んだのである。
そのままニーナたちは洞窟があった場所とは正反対の北の方角へ。ロブの首に腕を回す格好でしがみつくニーナとシャンテは、振り落とされないよう必死だった。
「ちょっと、兄さんこそ跳ぶなら跳ぶって先に言っておきなさいよ!」
「すまんすまん。目を見て謝ればいいか?」
「ふざけんな!」
──ばちーんっ!
豪快な平手打ちがロブの顔面を捉えた。
「おいおい、暴れたら危ないって!」
「というかこれ、このあとどうなんの?」
「高く上がったってことは、当然そのあとは落ちるのみだ」
「着地の方法は?」
「……すまん。思ったよりも魔力が残ってなくて焦ってる」
ふわりと無重力。
限りなく満月に近いお月さまの前で、ニーナたちの動きが一瞬止まる。
「あっ、落ち始めた」
「ちょっと、どうすんのよ!」
「おー、どうしよっかな」
ぼふん、と白い小さな煙が上がったかと思うと、ロブの顔が鼻だけブタに戻ってしまった。それだけ魔力が残りわずかだということなんだろう。
「なぁニーナ、ワイヤーでなんとかならねえか?」
「えっ、どこに引っ掛ければいいんです?」
薄雲にでも引っかけろと?
「だよなー、無理だよなー」
「──おーい」
「いやあ、万事休すだ。シャンテってこんなときに役立つ魔法を覚えてたりしない? 例えば空を飛んだり、落下の衝撃をゼロにしたり」
「初級魔法ですら魔力のやりくりに困ってるアタシが、そんな高度な魔法を使えるわけないじゃない!」
「──おーい」
「うーん、そんじゃあ俺のほっぺたに可愛くキスしてくんない? 出来れば二人同時に。そしたらもうちょっとだけ頑張れそうなんだけど」
「寝言は寝てから言え! それともバカ兄貴はビンタがお好み!?」
「──おぉーい!」
「ねえ、さっきから誰かが私たちを呼んでません?」
風の音に紛れて遠くから、けれど段々と近づいてくる女性の声。
ニーナは誰もいないはずの後ろを振り返る。
「……フラウさん!」
えっ、と声を揃えるシャンテとロブが顔を後ろに向けると、そこには確かにフラウが箒の上で身をかがめ、落下する三人を猛スピードで追いかけてきていた。
そのまま真横に並び、並走するように速度を合わせる。
「お待たせしました! 早く掴まってください!」
どうしてここに、などという疑問を覚える前にニーナは伸ばされた手を取り、腕を引かれる形でどうにかして箒にまたがる。
続けてシャンテがニーナの後ろに座って、最後にブタの姿に完全に戻ったロブがシャンテの背中にしがみつく。
「あっ!」
そこへ強い風が吹きつけてきて、ロブが一人飛ばされてしまう。
あーれぇー、などと気の抜けた声を発しながら四つ足をばたつかせるロブに向けて、ニーナは咄嗟にワイヤーを伸ばした。最後の最後までドタバタではあるけれど。
「し、死ぬかと思ったぜ」
「皆さん、大丈夫ですか?」
「はいっ、どうにか!」
これでようやく島から脱出できる。
地面すれすれ、草原の上を飛びながらも徐々に高度を上げていく。その最中、呆けていた海賊たちの真横を飛ぶと、やや遅れてあっと口を開けた間抜けな男たちに、ニーナは手を振って別れを告げる。
「あっ、おいっ待てっ!」
「やだよ! さようならー!」
ロブが変身したあたりから展開が怒涛過ぎて感情が追い付いていなかった。けれど遠ざかりゆく名も知らぬ島を眺めていると、ようやく、自分たちは助かったのだという実感が湧いて来た。嬉しくて、これが夢でないことを確かめるために振り返ると、シャンテとロブが笑みを返してくれる。
「やったわね、ニーナ!」
「……うんっ!」
ほっとしたら涙が込み上げてくるけれども。
目にいっぱいの涙をためながら、ニーナもまた二人に笑顔を見せるのであった。




