大冒険の終わり
ニーナは桟橋に立ち、大きく手を振る。遠く向こうからやってくるのは、ヤックたちを乗せた帰りの船だ。それが白い帆を張り近づいてくる。抜けるような青空と巨大な入道雲のコントラストがとても美しいと感じた。
「楽しかった?」
「うんっ!」
シャンテの問いかけにニーナは笑顔を浮かべる。
「海で泳いだことも、バーベキューでわいわいしたことも、夜に星を見ながらお喋りしたことも、森で探索したことも、ぜんぶぜんぶ楽しかった。アンネリーネさんと出会ったときは少し緊張もしたけれど、でもまさか人魚とお話できるとは思わなかったよ」
「イルカと一緒に泳いだことも貴重な経験よね」
ニーナはこくりと頷いた。
「それになにより調合できたことが楽しかった。アンネリーネさんと一緒に調合していると、なんだかおばあちゃんから錬金術を学んだときのことを思い出したよ」
「今回は珍しくほとんど失敗しなかったんじゃない?」
珍しくは余計だよ、と口をとがらせるが、たしかにその通りだとニーナ自身も思う。
気分転換に来たはずなのに結局は調合ばかりしていた。でもそれがニーナのやりたいことであったし、なにより楽しかった。普段は挑戦しないようなレシピにもチャレンジできて、自分とは考え方の違う錬金術師のレシピを学ぶことができて、しかも結果までついて来て。とても実りのある時間だった。
ジョーが船を桟橋に寄せる。ヤックが白い歯を見せてニーナたちを迎えた。どうでしたかと訊ねる彼に、とてもとても楽しかったです、とニーナは答える。フラウが側にいてくれるが、ニーナは帰りも船に乗る気満々だ。最後の最後まで旅を、大冒険を満喫したいのである。
動き出した船が西へ向かって舵を取る。ニーナは船尾に立ち、遠ざかるセオドア島を眺める。名残惜しい気持ちもあったが、それ以上に充実感を感じていた。吹き抜ける暖かな風。マージョリーの店で仕立ててもらったギンガムチェックのワンピースが揺れる。今日は初日と同じく、麦わら帽子にワンピースという格好だった。他の荷物はもちろん、フラウが包んでくれた魔法の風呂敷のなかである。
斜めがけしたかばんから小さな笛を取り出す。それをニーナは、興味を示すヤックの前で吹いた。最後に会いに来て欲しいな、と願いを込めて。
「……来たっ!」
すぅーっと船に並走するようにやってきた黒い影が、水面から顔を出した。ミルクにココアにチョコ。三頭のイルカが別れのあいさつに来てくれたのである。
「えぇ、いまその笛で呼んだんすか?」
驚くヤックに、この笛はアンネリーネさんからもらったんです、と伝える。
するとヤックはまたまた驚いた。
「へぇ、あのお婆さんに会ってきたんすか?」
「はい、いっぱいお話してきました」
ニーナはイルカたちに手を振りながら答える。ミルク、ココア、チョコは交互にジャンプを繰り返している。三頭とも、とっても楽しそうだ。
また会いに来るからね。
ニーナたちもみんなで手を振った。
そうしてイルカたちに送り出してもらったあと、ふとニーナはアンネリーネの言葉を思い出す。
「そういえばヤックさんは、ギムレットさんという方をご存知ですか? 同じ船乗りだと思うのですが」
「あれ、どうしてその名を? ……ああ、あのお婆さんに訊いたんすね。ええ、知ってますよ。というかそれ、俺の親父ですから」
「ええっ!?」
今度はニーナが驚く番だ。まさか、アンネリーネの恋の相手がヤックの父親だったなんて。
けれどこれで話が繋がった。ヤックは行きの船で、父親は人魚の声を聞いたと言っていた。ヤック自身は父親の話を嘘だと思い込んでいるようだが、あの話は本当だったのだ。その人魚というのがアンネリーネであることをギムレットは気付いていたのか、また別の疑問が残るけれども。
「で、親父がどうしたんです?」
「ああ、えっと、アンネリーネさんからの伝言です。よろしくお伝えくださいとのことでした。アンネリーネさんは故郷に戻るそうです」
「おお、ついに島を出るんですね! いやあ、俺も心配してたんすよ。彼女も結構なお歳でしたからね。よかったよかった」
「ヤックさんはアンネリーネさんの事情を知ってたんですか?」
「いやあ、どうして彼女が頑なに島を離れなかったのか、結局その理由は教えてくれませんでしたね。なんか訊いたんすか?」
やはりアンネリーネは自身の秘密を誰にも明かしていなかったようだ。打ち明ければ、ギムレットが自責の念に駆られると思ったのだろう。もう呪いは解けたのだから、彼女が抱えていた事情を話してもいいのだろうけれども。
「ふふん、ナイショです」
「ええーっ、そりゃないですよ」
「乙女は秘密を抱える生き物なんですよ」
「あのお婆さんは乙女って歳じゃないでしょ」
──それがそうでもないんだなぁ。人魚に戻った姿はとびきり美人だったしさ。
ニーナは悪戯っぽく笑って質問をかわすと、そのまま船首へと移動する。これで旅は終わりだけれど、すべてはこれから。偉大なる錬金術師になりたいという夢を叶えるための挑戦はまだ始まったばかりだ。ニーナは気持ちを新たに、まだ見えぬ遥か遠く向こうのクノッフェンを想うのであった。
9章の終わりまでお付き合いいただき感謝!
このあとも物語は続きますが、今後は月・水・土の週三日更新でいきたいと思いますので宜しくお願いします!
(一応理由を説明させていただくと、改稿作業に取り掛かるためです)