海で遊ぶといえば?③
水平線に沈みゆく太陽と朱に染まる海は、それはもううっとりするほど美しかった。空にはお日様と入れ替わるように無数の星が瞬き、ニーナたち四人を優しく照らしだす。セオドア島で迎える最初の夜の始まりだ。
テントの近くに枝木を集めて、魔法でぱっと火をつけて。ぱちぱちと音を立てて赤々とした炎が灯る。夕食はお鍋。魚介のダシが絶品のスープが疲れた体を芯から優しく温めてくれる。
「明日は島の内部を探索するのよね?」
シャンテがお椀に口をつけながら訊ねる。
「うん。できれば湖の方まで足を延ばしたいと思ってるけど」
「そういえばヤックが、そこに高齢の女性が一人で暮らしてるって言ってたわよね」
「そうなんだよね。別にその人に会いたいってわけじゃなくて、ただただ探索してみたいってだけなんだけど」
「できれば会いたくないと?」
「うーん、わかんない」
いつもなら無人島で一人で暮らす老婆の生活に興味を持ったかもしれない。
でもいまは、なんだか得体の知れない存在を不気味に感じてしまう。怪しい人には近づきたくないと思ってしまうのだ。
俯きがちにそう答えると、まあいいんじゃない、シャンテは笑う。
「出会っちゃったら、そのときはそのときよ。なにかあったら兄さんを囮にして逃げればいいわ」
えっ、とロブが目を丸くする。
「そのときは私が箒で空までお連れしますよ」
「なーなー、フラウは俺を置いていったりしないよな? なっ?」
「ふふっ、それはどうでしょうねぇ?」
「そんなぁー」
フラウにも見捨てられたロブは、拗ねてやるっ、と言ってテントのなかへ。まだ食事の途中だというのに珍しいこともあったもんだ。
などと思っていたら、なにやら小さめのかばんを引きずってきた。それは家を出る前にロブがフラウに、魔法の風呂敷のなかに包んでもらっていたかばんである。中身は訊ねても教えてくれなかった。
それをこの食事時に引っ張り出してきたわけだけど、なにが入っているのだろう。
ロブの顔を覗き込んでいると、ロブのほうから中身を取り出してみて欲しいと頼まれた。まさかこのタイミングでプレゼント? 期待しすぎないようにしつつも、少しばかりドキドキする。
そのニーナの手がかばんから取り出したものは。
「……なにこれ、パーカーかな?」
「ふっふっふ。ただのパーカーじゃあないんだぜ」
そう言われて、ニーナは真っ黒なパーカーを広げてみる。
……おや、なにやらフードの形が普通と違うようだ。
「これってもしかして、猫の耳?」
「そう、猫耳パーカーなんだぜ!」
うわぁ……そうきたか。期待しすぎないでよかった。
なぜか誇らしげなロブ。シャンテは呆れ顔で、そんなのいつ用意してたのよと言う。
「マージョリーの店から追い出される前に目を付けておいた商品を、あとからオドたちに命じて買いに行かせたんだぜ」
シャンテのことを姐さんと呼ぶオドたちは、当然ながらロブの子分でもある。そしてロブは意外にもきちんと貯金していたりする。知らないあいだにオドたちを呼び出して、金を持たせて買い物に行かせた、ということのようだ。
「で、これ、自分が着るの?」
「おいおいシャンテちゃん。ブタである俺がこれを着られると思ってるのかい?」
──どごぉ!
からかうような口調に苛立ったのか、先制のげんこつが脳天に直撃した。早くも振り落とされた拳を見てニーナは、今夜は長くなりそうだと予感した。
「で、自分じゃないなら誰に着せるつもりなの?」
まさかアタシじゃないわよね、とばかりにロブを睨む。たんこぶを作るロブは案の定涙目だ。
そんな潤む瞳でロブは、ニーナとフラウのことを交互に見る。なんだか可哀そうになってきた。水着でもないわけだし、これぐらい着てあげてもいいのだけれど。
「無理に着る必要なんてまったく必要ないわよ」
「はい」
と、ここは素直に返事をしておくことにする。ロブはがっくりと項垂れた。
ところがだ。
「私は別に着てみてもいいですよー」
まさかのまさか。マイペースなフラウはにっこりと笑ってそう言った。話の流れなどお構いなしのようである。
「ほんとか!? 着てみてもらえるのか!?」
「ええ。ただロブさんも、ほんとは私ではなくて他の人に着て欲しかったのかもしれません」
「いや俺はフラウが着てくれるというのならそれで……」
「ということで!」
フラウが突然立ち上がった。
なにが、ということで、なのだろう。
わからないが、なんだか嫌な予感がする。そしてその予感はすぐに当たった。
「みんなでじゃんけんしましょう。負けた人がこれを着るということで」
「はぁ! ちょっと待ってよ!」
そう言ったのはもちろんシャンテだ。妹とは対照的に、ロブはニヤリと笑う。……どごぉ! 八つ当たり気味のげんこつがロブの脳天にヒットした。が、それでもロブは涙を流しながら笑っている。
「いやあ、お二人は仲良しですね」
「仲良くない! というかなんでじゃんけんになるのよ」
「なぜって、私がロブさんの猫耳パーカー姿を見てみたいからです」
「あっ、俺もじゃんけんすんの?」
「もちろんみんなで公平にじゃんけんです。ね、楽しそうだと思いません?」
話を振られたニーナはどう返事をしようか迷ったけれど。
「たしかに、これもいい思い出になりそうだよね」
ニーナがそう答えると、隣りでシャンテが大きくため息をついた。
「まあ、勝てばいいのよね」
◆
「……なんでこういうときに限って負けるのよ」
一騎打ちにまでもつれ込んだじゃんけんは、結局のところシャンテの敗北で幕を閉じた。四人でのじゃんけんはあいこの連続だったが、兄妹対決は一瞬で決着がついた。瞬殺である。
「いやあ、白熱したいいバトルだったよな。というわけでよろしくなんだぜ」
シャンテは兄を睨むが、恨みっこなしの勝負に負けてしまったこともあり、さすがになにも言い返せない。ニーナが恐る恐る差し出した猫耳パーカーをひったくるように掴んだ。そして、ええいとばかりに勢いに任せてそれを服の上から着た。まだフードはかぶっていない。
「フードもお願いします!」
「わかってるわよ」
シャンテはゴムを外してお団子ヘアーを解くと、しぶしぶといった様子でフードを身につける。ピンと立ったお耳が可愛らしい黒猫ちゃんがお目見えした。頬が赤いのはきっと、焚火に照らされているせいだけじゃないはずだ。
「か、かわいい……!」
思わず口をついた言葉。シャンテは露骨に目を逸らす。
「おー、良く似合ってるぜー」
「にゃにゃにゃあっ!」
「……えっ?」
ニーナとフラウは目を丸くした。いや、ニーナたちだけでなくシャンテも驚きを隠せない様子である。ロブだけがニヤニヤと笑っていた。
「にゃあ? にゃにゃにゃ!?」
──まただ。
どうやらマージョリーの店で購入したこのパーカーは、被ると猫語しか話せなくなる魔法がかけられていたようである。
反論できないシャンテは恨みがましくロブのことを睨んだ。じゃんけんの前に、負けた人は最低でも一時間はフードを被ったまま、というルールを作っていたので、しばらくは猫語しか話すことができないのだ。
「さてさて、まだ夜は長いことだし、焚火を囲みながらみんなで楽しくお話しようぜ」
──どごぉ!
無言のげんこつが決まった。今日はこれで四度目である。しかしロブはまったく気にしていないようで、ずっとにやけっぱなしだ。シャンテは羞恥と怒りで拳を握ったまま震えていた。
「ごめんね、シャンテちゃん。今回ばかりは助けてあげられないや」
「…………にゃあ」
ああ、可愛いな。言葉にすると怒られそうだけれど、ほんとに可愛い。頭をなでてあげたい。
ニーナは頬が緩みそうになるのを必死にこらえるのであった。
白熱した兄妹バトル。しかし小説で表現すると即落ち2コマ並みの速さですね。




