七曲がりサンダーワンド②
魔法の指輪による突風をものともせず、シャンテは突撃を仕掛ける。
ところが、槍の先端がムスペルに届く前に、シャンテはなにかに躓くようにして転倒。あと一歩及ばずシャンテは前のめりに倒れてしまう。そこへすぐさまムスペルが槍を蹴飛ばした。槍は呻き声を上げるシャンテの手から離れ、カランカランと音を立てて転がる。
「危ない、危ない。さすがの私もいまのは冷や汗をかきましたよ」
どうして? いまの一瞬でなにが起こったの?
疑問符が頭を埋め尽くす、そのとき、ニーナの琥珀色の瞳がシャンテの足首を掴む手を捉えた。地面からにょきりと生える黒い手。いや、黒いのは手袋をはめているからだ。
──ということは、あの手袋は魔法の道具であり……
ニーナは視線を前方へと戻す。するとフードをかぶった男が不自然にしゃがみ込み、両手を地面についていた。しかもよく見ると、男の腕は地面にめり込んでしまっているかのよう。
(あいつだ。あいつがシャンテちゃんの邪魔をしたんだ……!)
「シャンテちゃんを離せぇ!」
ニーナは男を排除しようともう一度雷撃を繰り出す。またもジグザグと進む雷撃。シャンテの足首を掴んでいる限り男は逃げられないはず。
ところが男は「ゴンザレス!」と叫んだ。その呼び声に応えるかのように、もう一人の大男がフードの男の前に立つ。自らの巨体を盾にしようとしていた。
──それなら……!
ニーナは雷撃に命令を与える。大男の巨体を避けるように軌道を曲げると、巨漢の頭上を越えて、フードの男目掛けて雷撃を進ませる。
フードの男は直前になってニーナの狙いに気付き、慌てて逃げ出そうとしたが、もう遅い。地面から両手を引き抜いた瞬間を雷撃は見事に捉えたのだった。
残るはあと二人。男を気絶に追いやったことでシャンテも解放できたはず。そう思って振り返ってみるのだけれど。
「──くぅぅあぁっ……!」
「シャンテちゃん!?」
ニーナは思わず名前を叫んだ。地面に横たわったままのシャンテが、苦しそうに胸の辺りを押さえていたからだ。よく見れば顔は赤く、異常なほど汗を掻いている。息を吸うことすら苦しそうだ。
(まさか、毒……?)
「シャンテちゃんになにしたの!?」
「私じゃありません。彼女が勝手に苦しんでるだけですよ」
ムスペルは苛立ち混じりに答えた。
そんなはずない。私が見ていない間に毒でも飲ませたんでしょ?
そう言ってやりたかったけれど、しかしどういうわけかムスペルも戸惑っているようだった。それにニーナが目を離したのは一瞬のこと。ムスペルの言葉を信じるつもりなどなかったが、だとしてもムスペルが何かしたとは考えにくい。
──でも、それならいったいなにがシャンテちゃんを苦しめているの?
そんなニーナの戸惑いを感じたのか、シャンテは苦痛に表情をゆがめながらも、口元を動かしてなにか伝えようとしてくれる。ニーナはその動きをじっと目で追った。
──逃げろ。
声は聞こえなかったけれど、たしかにシャンテはそう伝えようとした。
(……ばかっ! シャンテちゃんを置いて逃げられるわけないじゃない!)
「シャンテちゃんから離れろ、ムスペル!」
ニーナは怒りを込めて叫ぶ。
けれどムスペルはどこ吹く風だ。浅ましい笑みを浮かべると、ニーナの目の前でシャンテを蹴り飛ばしてしまう。横っ腹を思いっきり蹴られて、シャンテは道の端で蹲った。
「友達の心配をする前に、まずはご自分の身を案じたらどうです? ほら、向こうにもう一人敵が残ってますよ? 逃げるにしても私と戦うにしても、まずは彼から倒した方がいいのでは?」
ムスペルの言う通りにするのは悔しい。
けれど、逃げ道を作るという意味でも、挟み撃ちにされているこの状況は先に解決しなくては。
ニーナはムスペルを睨みつけると、大男に向き直り、すぐさま雷撃を繰り出す。
青白い稲妻は大きく蛇行しながらも大男へ向かっていくと、ここ一番の集中力を発揮し、またしても見事に巨体を捉えた!
それなのに、だ。
「……えっ? どうして、どうして効いてないの?」
雷撃は間違いなく直撃した。男の体に電流が走ったのを、ニーナはその目で見届けた。
それなのに男は平然とした様子で立っている。直撃した部分をポリポリと指で掻くだけ。まるで蚊に刺された程度にしか思っていないかのよう。
「そいつはちょっと体がおかしくてですね。痛みを感じないのですよ」
「そ、そんな……」
「これが間違いの三つ目。彼がいる限り、初めから君たちに勝ち目などなかったのです。というわけで、残念ながら遊びはここまで。やれ、ゴンザレス! その娘を捕まろ!」
ムスペルがそう叫ぶと、なんと男は巨体に見合わぬ猛スピードで突っ込んできた。
あまりの恐ろしさに、ニーナはひゃあっ、と悲鳴を上げながらその場にしゃがみ込む。するとそれが功を奏したのか、なんとか男の剛腕を躱すことができた。ニーナはその隙に、男の脇をすり抜けるようにして走って逃げる。
「ほんとお前は頭が悪いな。狙うならまずは足からだと、いつも教えているだろう?」
「ソ、ソウダッタ」
片言のような喋り方で返事をすると、ゴンザレスがくるりとニーナのほうを向き直り、今度は低い姿勢で突っ込んでくる。ほとんど四つん這いになって迫ってくる姿は、まさに猛獣。ニーナも懸命に逃げるが、スピードの差は一目瞭然だった。
(ダメ、すぐにでも追い付かれちゃう! ……それなら!)
えいっ、とばかりにニーナは真上に高くジャンプ。さらに背中の<天使のリュックサック>を羽ばたかせることで、限界以上に高く跳ぶと、頭から突進してくるゴンザレスの後頭部を踏みつけ、さらにもう一度高く跳んだ。ゴンザレスはというと、ニーナに踏まれたことに気付かず、そのまま真っすぐ走っていく。
「ゴンザレス! 後ろだ!」
ムスペルが慌てている。ゴンザレスは完全にニーナを見失っていた。
少しばかり余裕ができたニーナは考える。ゴンザレスに指示を出しているのはムスペルだ。ムスペルさえ倒せば、ゴンザレスが襲ってくることも無くなるかもしれない。ムスペルには指輪に邪魔されて攻撃が当たらないけれども、あの指輪だって無敵ではないはず。
(あのとき手をかざしたということは、常に守られているわけじゃないのかも)
つまり隙を見計らって攻撃できれば、ムスペルにだって攻撃を当てられるのではないか。
ゴンザレスがニーナに気付く。もう考えている暇はないみたいだ。
(上手くやれる自信はないけれど、でも……!)
方法は一つだけ思いついた。ムスペルは完全に油断している。上手くやれれば、魔法の指輪の効力をかいくぐって攻撃できるかもしれない。
ニーナは杖に魔力を集中させると、当たれと願いを込めて、渾身の一撃をムスペルに放った。
「馬鹿が! 何度やっても無駄ですよ!」
けれどムスペルが手をかざすと、またしても雷撃は上空へと逸れていく。
あまりに呆気ない幕切れ。ムスペルは勝ち誇った笑みを浮かべた。
でも実は、ここまでは狙い通りだった。
「ぬぐぅああぁぁあっ!?」
それは逆転を狙った背後からの一撃。
ニーナは意識を集中させることで、大きく外れた雷に再び指示を与え、そこからカクカクと三回軌道を捻じ曲げると、死角から雷撃を見舞ったのである!
まさか遥か上空へと消えていった雷撃が再び襲ってくるなんて、夢にも思わなかったのだろう。
不意打ちを食らったムスペルは白目を剥いて気絶すると、ゆっくりと後ろに倒れて、そのままピクリとも動かなくなった。
やった……!
ようやくこれで逃げられるかもしれない。ニーナはじわじわとこみ上げてくる実感と共に歓喜した。
ところが喜びも束の間、ニーナは再び恐怖のどん底に叩き落とされてしまう。
「グオォー、オトーサァーン!!」
なんとムスペルが倒れたことで、ゴンザレスが暴走を始めたのだった。