ガラクタ発明家のニーナ
足元にはぐつぐつと煮えたぎる錬金スープ。料理で使う鍋よりもずっと大きな、壺のようにも見える錬金釜の中には、深緑色のドロッとした液体、通称<マナ溶液>と呼ばれるもので満たされている。そこへ<搾りたてヤギミルク><オリーブオイル><バブルスライムの粘液><ハチミツ>を次々と投入し、ひたすら煮詰めること九分三十秒。
「ふふふーん! 待っててよ、お姉ちゃん! 今日こそ文句なしの完成品を作り上げてみせるんだから!」
<お知らせヤギ時計>がメェーと鳴いた。溶液の色が海を連想させる紺碧の色へと変化しているのを確認したら、そこへさらに細かく刻んだ<ヌメリアカタケ>と呼ばれるキノコの仲間を投入。魔女の杖に似た<かき混ぜ棒>で釜の底からしっかりと時計回りにかき混ぜる。
「そして仕上げにこれっ! <神秘のしずく>を一滴垂らせば……」
ニーナお手製、<ヤギミルクたっぷりヌルテカ泡ぶろ入浴剤>の完成である。
──はずだった。
ぼふん!
最後の仕上げとばかりに<神秘のしずく>を一滴垂らした直後、もくもくと、真っ黒なキノコ雲が錬金釜から立ち上る。その煙を顔面で受け止めたニーナは慌てて後ずさった。
「ひゃあ!? ……けほっ、けほっ! うへ、ちょっ、また失敗!?」
錬金釜の真上には煙突が備え付けられているものの、今日の失敗はいつもよりもひどい。部屋中が煙で満たされる前に、ニーナは急いで窓を開け放った。
それでもあまりに煙たすぎて、ニーナは咳き込みながら、逃げるように小屋の外へと避難する。
──うぅ、なにがいけなかったんだろう? 錬金スープの色は特におかしなところもなかったし、火加減も完璧だったと思うんだけど……
外へ飛び出したニーナは、おばあちゃんから譲り受けた小さな工房の、煙突から吐き出される真っ黒な煙を見つめながら、悔しさから唇をぎゅっと結んだ。小さな両手は握りこぶしを作り、細い眉をひそめながら、失敗の証である黒い煙を睨みつける。今日も失敗。昨日も失敗。その前も……。初めに完成した試作品だって、とある重大な欠点から姉に怒られたのだから、それも含めたら失敗続きの四連敗だった。
──ふんっ、いいもんっ! いくら失敗したって、成功するまで諦めないよ! 部屋の換気が終わったら、もう一度挑戦して……
「あら、まーた失敗したのかい?」
再びの挑戦を誓っていると、背後から呆れたような声が聞こえてきた。
「お、お母さん!」
振り返ってみると、開けた窓からこちらを覗く母親の姿があった。ニーナの家と、先ほどまで錬金術のレシピ開発に取り組んでいた小さな工房は、間隔を開けて隣り合っている。ニーナはちょうど、その二つの建物の間に立っていた。
窓から顔を出す母親はニーナと違ってぽっちゃり気味で、腕を組んで睨んでいる。体格のせいもあって、威圧してくるようでちょっと怖い。
「またガラクタでも作って遊んでたのかい」
「ガラクタじゃない! 錬金術の発明よ!」
「なんでもいいけど、お使い、忘れてないでしょうね?」
そう言って母は手提げかばんを見せつける。そういえば昼食のあとお使いを頼まれていたなと、いまになって思い出した。威圧されている感じがしたのは気のせいではなく、実際に母は怒っていたのだ。
それでもニーナはすぐにでも再挑戦したくて、えーっ、と不満を口にする。
「お手伝いしない子にはお小遣い上げないよ?」
それは困る。錬金術はなにかとお金がかかるのだ。
ニーナは口答えすることを諦め、渋々ながら手提げかばんとお財布を受け取った。そして母親に背を向けて買い出しに向かう。さっさと終わらせてもう一度やり直そう。苛立っていたニーナの足取りは早い。
そんなニーナを、母親が大きな声で呼び止める。
「ニーナ! そんな煤だらけの顔でどこ行くの!」
うぅ……
せっかくのやる気を削がれ、やり場のない苛立ちを抱えながら家へと引き返すのであった。
◆
ばしゃんっ。
蛇口をひねり、冷たい水で顔をごしごしと洗って煤汚れを落とす。それからふんわりとした羊毛のタオルで水気を拭き取る。鏡には、肌をこすり過ぎて赤くなった顔が映し出されていた。
丸い小さな顔。くりりとした琥珀色の大きな瞳。目元の辺りで切りそろえたココア色の髪は毛先だけ緩く内側に巻かれており、肩の下あたりまで伸びている。他人から見れば可愛らしいと評される顔も、ニーナは自分のことがあまり好きではなかった。十五歳にもなって幼過ぎる容姿であることと、自分とは対照的に、女性らしい体つきをした姉と比べてどうしても見劣りしてしまうことを気にしていた。「可愛い」ではなく「綺麗だね」と言って欲しい、そんな難しい年頃だった。
白いワンピースと、丈が長めの朱色のジャケット。ニーナは服の上から胸元に手を当てる。小さな膨らみは余りにも心もとない。どうして自分は姉や母と違って小さなままなのだろう。もう少し歳を重ねれば、そのうち姉のようになれるだろうか。
──って、今は落ち込んでる場合じゃない。早くお使いに行かないと日が暮れちゃう!
ニーナは手提げかばんを引っ掴むと、財布を持っていることを確認して、それから家を飛び出した。
頼まれたお使いは、明日の朝食の為のパンを買うこと。それからついでにオリーブオイルの買い出しも。ニーナが暮らすリンド村は牧畜が盛んな地域で、辺り一面にはのどかな草原が広がっている。特にこの辺りは民家がぽつりぽつりとあるだけで、買い物をしようにも村の中心部まで歩いて買い出しに行かなければならなかった。
なだらかな小道。
両側には黄緑色の牧草地。
太陽は西に傾きかけていて、雲一つない空は、その色を少しずつ赤く染め始めていた。
ニーナの家は酪農家だ。朝から夕方まで交代でヤギや羊の世話をしている。父は一日中、母と姉は食事の準備など家事をこなしながらである。
ニーナもたまには手伝うが、ニーナ自身は酪農家を継ぐつもりは一切なく、時間を見つけては自分の工房に籠って新しいレシピ開発に取り組んでいる。夢は偉大なる錬金術師になること。だから工房に入り浸るのも遊びではなく、ましてやサボっているわけでもない。
「おーい!」
前方より二人の男の子がやってきた。ニーナと同世代の二人組で、小麦農家の長男であるダンと、商人の息子であるテッドだ。テッドは丸眼鏡をかけたひ弱そうな男の子で、歳は同い年。背丈も似ていて目線が近い。
一方のダンは、ニーナたちとは歳が一つしか違わないというのに大柄だ。筋肉質で、ほどよく日に焼けている。小麦色の肌をした小麦農家の息子。そんな彼は、ニーナをからかうのがとにかく好きだ。
「今日もまた失敗したみたいだな。さすがはガラクタ発明家だ」
「うぐっ……!」
もくもくと上がる黒い煙は失敗の証。それは村の人ならみんなが知っていること。いまさら隠そうとしたって無駄なことだった。
それでもニーナは反論を試みる。
「ち、違うよ。今日のはおばあちゃん。ほら、おばあちゃんも元錬金術師だからさ、たまに工房を使うんだよね」
「へー、そうなんだ。そのわりには顔が煤で汚れてるけど」
「えっ、うそ!?」
思わず顔を両手でぺたぺたと触る。きちんと顔を洗ったつもりだったけど、まだ汚れていたのかもしれない。このまま買い物に行くのはあまりに恥ずかしいから、とにかく汚れを落とさないと。
けれども、そんなニーナを見て二人は笑いだした。
「ははっ、冗談だよ、冗談。焦んなくたって、別に汚れてないって。でもそんだけ焦ったってことは、やっぱり失敗したのはニーナだったんだな」
うぅ、騙された。
でも初めに嘘をついたのはニーナの方で、失敗したのも事実。だからニーナは怒ることができなかった。
「それにしても、お前も懲りないよな。いっつも失敗ばかりしてるのに」
「懲りないって、なにがよ。別にダンには迷惑かけた覚えなんてないし」
「俺にはな。でもニーナの両親やロマナは大変だと思うぞ?」
ロマナはニーナの姉だ。姉の名前まで持ち出してニーナの行いを批判するダンと、彼の言葉にうんうんと頷くテッドに、ニーナはムッとして言い返す。
「私の家庭に口出ししないで! それに誰になにを言われようと、私は錬金術師になるんだから!」
「ガラクタ発明家のお前が?」
「そうだよ! なにかおかしい!?」
ニーナがムキになって言い返すと、二人は顔を見合わせて肩をすくめた。
「そもそも、二人にだって夢があったじゃない。ダンは冒険者。テッドは考古学者。その夢はどうしたの!?」
「そりゃあ、諦めたっていうか、なんていうか。なぁ?」
「うん。年相応に現実を見てるだけだよ。僕ら長男だから、ニーナみたいにいつまでもわがまま言ってられないんだ」
わ、わがまま?
自分の夢を単なるわがままだと言われて、ニーナはとても冷静ではいられなかった。空の手提げかばんを振り回し、二人を追い払うように何度も何度も叩きつける。これには二人もたまらず、元来た道を走って逃げ帰っていった。
そんなダンとテッドの遠ざかる背中を涙目で見つめるニーナは、ふぅーふぅーと、肩を上下させながら荒い呼吸を繰り返す。
そしてニーナはあることを心に誓う。
──いつもいつもガラクタ発明家だって馬鹿にして! そりゃあ確かに私は失敗してばかりだし、形になったものも欠陥だらけのガラクタ品ばかりだけど、それでも夢を笑うなんて許せない!
深呼吸するように大きく息を吸う。そして遠のいていく二人の背中と、沈みかけの太陽に向かってニーナは叫ぶ。
「いまに見てろぉー!! いつか絶対、みんなをあっと言わせる大発明をしてやるんだからぁー!!」