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34話 その犬は聖女と呼ぶに相応しい


 ブーケ姫が今手にしている資料には、生き別れとなった愛犬パピリンのその後の詳細が記されていた。


「資料の詳しい内容を読むわよ……パピリンのその後のついて。聖なる獣をその身に宿したとされているパピリンは、魔王城周辺の精霊騒ぎの余波で遠くの人間界にワープしていた……これは、それらの経緯とパピリンの生活をまとめた報告書である」


 ソファに腰掛けてゆっくりと、自分自身に落ち着くようにと言い聞かせながら、愛犬のその後を辿るブーケ姫。その資料を持つ手は僅かに震えているような気がして、オレはケージの中でその姿を見守りながら耳を傾けるしかなかった。



 * * *



 パピリンはいわゆるパピヨン犬と呼ばれる愛玩動物で、魔王城の姫君ブーケの愛犬である。性別はメスで、これまでに子犬を産んだことはなく、今回が初めての妊娠だ。ふっさりとした茶色い毛並みや蝶のような大きな耳は、どこかの美しい令嬢のようにたおやかで、まん丸い大きな瞳は誰もが魅了されるだろう。身体つきは小柄ではあるものの、しっかりとしており健康であることがうかがわれた。

 そんな可愛らしいパピリンは、子犬をお腹に授かるまでは四六時中飼い主であるブーケ姫と共に過ごすいわゆる『箱入り娘』の状態。人間サイドの犬達のように他の犬と戯れる機会も少なく、人間で言うところの年頃の美姫であるにも関わらず恋仲となる相手がいなかった。


 ――パピリンのお腹の子の父犬とされている相手は、人間サイドが『聖なる獣』として崇めているテチチと呼ばれる犬種。


 2匹の出会いは、双方の飼い主同士が参加した『異種族の代表者が集う会議』の場だ。ブーケ姫は、将来的に魔族のおさになるわけではないが、このような話し合いの場にはよく呼ばれる。魔王一族の中では数少ない歳若い女性ということから、武力を用いない話し合いの場には柔軟な対応が出来る魔族として、ブーケ姫が出席するのだ。


 テチチからすると自身は人間の守り神であり、皆を励ますために頼られる責任ある犬。ただの使い魔の犬とは違い、品位のある行動が問われるため俗にいう躾がしっかりとなされていた。


 だが、テチチは人間で例えると『勇者』のようなポジションであると同時に美しい若い娘に恋をする年頃でもあった。その美しい娘こそが……ブーケ姫の愛犬『パピリン』だった。


 飼い主達が話し合いという長い会議を行っている間、愛犬達は湖畔でゆっくりと遊んでいいことになっていた。2匹とも貴重な犬であるため放し飼いにされることなんて滅多にないのだが、湖畔エリアは敷地そのものが魔力結界で覆われているため、使い魔であろうと脱出は出来ない。ある意味で安全なケージとも言える湖畔エリアで、2匹は『自由な犬』として出会ってしまう。


「ご機嫌よう、テチチさん。わたくし、ブーケ姫の愛犬パピリンと申します。お隣……よろしくて?」


 ふわふわとした毛並みの乙女パピリンに優しく微笑まれて、喜ばないオス犬はいないだろう。たくさんある犬種の中でも姫君に愛されるだけあって『パピヨン』という品種は妖精のような美しさを誇っている。特に蝶々に例えられる可愛らしい耳は、これまでテチチが出会った犬達の中でも極めて珍しく、まるで生きている女神様に出会ってしまったような錯覚さえした。

 自分自身も守り神的な地位を確立しているはずだが、所詮はオス犬というところだろうか。テチチは、本来ならば好きになってはいけないはずのパピリンに一目惚れしてしまう。


「ぱ、パピリン……さん! お、オレは人間族の勇者や占星術士達に飼われているテチチというものです。守り神みたいなことをやっているけど、実際は他の使い魔と似たような感じで……。あっでも魔力はこう見えても結構高いんですよ! 良かったら、一緒に湖畔を散歩しませんか?」

「うふふっ喜んで。今日はお散歩日和ですわね」


 奇しくもパピヨン犬とテチチは、兄弟姉妹のような似た見た目の小型犬同士。2匹が意気投合するのにさほど時間はかからず、会議が行われている期間の間は共に過ごすことが多かった。特にパピリンは、姫の愛犬ということもあり普段は他の犬とほとんど触れ合わない。テチチと過ごす自然体の時間は、パピリンにとってかけがえのないものとなった。


 明るい太陽のもとで、キラキラと輝く湖畔周辺を楽しく駆け回る。首輪は着いているものの、いつものようにリードの支配されていない。好きなだけ走り、花の匂いを嗅いで、ひらひらと飛び回る蝶々や小鳥に目を奪われる。走り回って疲れたら、木陰で身を寄せ合ってひと休み。ずっとずっと、この楽しい時間が続けば良いのにとパピリンは思ったが、会議の期間が終わればテチチとは別れなくてはいけないのだろう。


「わたくし達、敵対しているのにこうして一緒に湖をお散歩出来るなんて。不思議な気分ですわ……人間も魔族も、どうしてわたくし達のように楽しくお散歩出来ないのかしら? 仲良くなるのに理由はいりませんのに。ブーケ姫はあんなに優しくて良い姫なのに、人間達は『魔族の姫』という肩書きしか見ようとしない」

「僕らの飼い主達は、長いこと戦を続けてきたんだ。いきなりブーケ姫と勇者達が仲良くなることは出来ないのかも知れないね。けどさ、遠い遠い未来にはきっと仲良くなっているよ。僕らはそれを見届けることは出来ないけれど……もしも、君と僕との間に子犬が産まれて、子孫が続けば……その時代を見届けられる」


 それは、これまで戦いばかりで恋愛と縁がなかった不器用なテチチなりの愛の告白だった。遠く離ればなれになってしまうのなら、せめて子犬を残したいと心の奥から願ってしまったのだ。


「子孫……わたくし達の? パピヨンとテチチの間に産まれる子犬……一体どんな子達なのかしら。きっと、ふわふわで可愛いわよね」

「……! パピリンっ。あぁそうだよ、きっと可愛くて良い子犬が産まれる。僕達の良いところを少しずつ引き継いだ子犬が……大好きだよパピリン」

「わたくしも……」


 対立しているはずの魔族の姫君に飼われている犬と人間の崇拝対象となっている犬が子犬を作るなんて……まるで2匹はお伽話のヒロインとヒーローだ。


 ハチは不思議なことに、2匹のやりとりを遠巻きから見守るように、まるで自分の中に流れる遠い先祖の記憶を辿るかのごとく。2匹が仲良くなるまでの過程を遠い血の記憶として、思い起こすのだった。パピリンとテチチの間に生まれる子犬達がやがて、ポメラニアンなどの犬種と結びつき、ロングコートチワワのハチに辿り着くのだろう。



 一時期は遠い地に離れた2匹だったが、魔族間に起きた裏切り者の策略によりパピリンは出産前にブーケ姫の元から人間サイドに魔術で飛ばされてしまう。聖なる獣と謳われるテチチの子をブーケ姫の愛犬が産んでしまうと、魔族の地位が上がっていくのは明白だった。これ以上、現在の魔王一族を出世させないように……という目論見の果てに飛ばされたパピリンだったが、結果としては愛するテチチと共に暮らせる機会を持つことが出来た。

 パピリンが魔術によって転送された場所は、テチチが暮らす犬の保護施設の敷地内だったからだ。


「パピリン! パピリンじゃないかっ? 魔王城付近で精霊騒ぎが起きたって噂があって君のことを心配していたんだよ」

「テチチ! わたくし、突然人間の土地に飛ばされて困っていましたの。ここは、犬の保護施設のそばですの?」

「ああ、僕がここの館の主を呼んで君を保護するように促すよ……待ってて」


 異変を知らせるために懸命に吠えるテチチは、とても頼もしくパピリンの中から不安な気持ちは次第に消えていく。しばらくすると、テチチの鳴き声に気づいて建物からブリーダー達が庭の様子を見に来た。


「テチチ……突然吠えて一体何が……まぁ! このパピヨンは、あの魔族の姫君の飼い犬なんじゃないかい? どうしてここに……今は魔王城とは連絡手段が途切れているっていうのに」

「魔王城付近の精霊騒ぎで、誰かの手によって転移させられたんだろうね。噂だと魔族達は、権力争いで内部抗争が始まっているんだとか。さぁおいで……パピリンちゃん、子犬を産むための準備をしないとね」

「くうーん」


 やがて、パピリンは子犬を産み正式にテチチと夫婦犬となった。大好きなブーケ姫とは引き離されてしまったが、代わりにかけがえのないパートナーを得ることが出来た。


 子犬達はテチチとパピヨンの『良いとこどり』と言える愛くるしい犬で『新たな犬種名をつけなくてはいけない』と人間達の間でも話題だった。



 ブーケ姫は一通り資料を読んで、パピリンが無事であると引き換えにもう二度と魔王城には戻らないだろうと気づいてしまう。


「パピリンは今も無事にテチチや子犬達と暮らしているようです……か」


 案の定、パピリンは人間サイドに『保護』されたそうで、彼女の新しい飼い主とされる団体は迷子犬として保護したようだ。おそらく、魔術でパピリンを人間サイドの保護施設付近に送り込んで作為的に保護させたと推測される。

 だが、愛犬の無事という事実を知ることができ資料の大半を読んで安心したのか、ブーケ姫は胸をなでおろしてふぅ……と息を吐いた。


「連れ去られて怖い思いをしていないか心配だったけど、結局連れ去り犯達は自分達で面倒を見る気がなかったのね。最初から、どこかの施設の前に置き去りにして、保護させる気だったんだわ。ごめんねパピリン、守ってあげられなくて……でも、あなたが無事でよかった」

「まともな団体に保護されたみたいで……不幸中の幸いというか。相手は人間サイドですし、もう会えないのは哀しいですが……」

「……私ね、遠い未来はきっと人間と魔族が手を取り合える時代が来るって思っているの。だから、パピリンはその架け橋になるために、人間サイドに連れて行かれたって考えることにするわ。本当はここでずっと暮らしたかったけどね……」



 * * *



 その日、夢の中でブーケ姫は愛犬パピリンと魂の会話をした。人間語を話すパピリンはとても賢く上品な犬で、ブーケ姫はこんなに素敵な女性が自分の愛犬だったなんて……と改めて自慢に思った。


 お伽話には『聖女』のような清らかな美女が登場するのが定番であるが、まさにブーケ姫の愛犬であるパピリン……彼女こそが、聖女と呼ぶに相応しいのだろう。そして、パピリンはブーケ姫に『遠い未来の約束』をしてくれたのだ。


「ブーケ姫、いつか……必ずわたくしの子孫をあなたの子孫の元へ辿り着けるようにしますわ。どんなに遠く離れてもあなたはわたくしの大事な飼い主なのだから」

「ええ、いつかきっと……叶うわよね。私の子孫とパピリンの子孫が、一緒に暮らしていける素敵な未来が……!」



 翌朝……調査内容に変化があったようで、ブーケ姫は手書きで資料の最後にはこう付け加えた。


 ――パピヨンとテチチの間に生まれた子犬達の犬種は『チワワ』と名付けられた……と。


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