30話 時を超えるシナリオ介入者
「ブーケ姫が戻る前に、この小屋から出て行かないと……。パピヨン犬達も無事に人間どもの根城に送り込めたようだしな」
殺人犯と思われる男は、ブーケ姫の帰還を避けたいようでキョロキョロと部屋の中を見渡し、落ち度がないか確認し始めた。どうやら、何らかの方法で『聖なる獣』を身に宿しているパピリンを人間サイドに送り込んだようだ。
「小型犬をケージの中で眠らせていますが、そちらは如何致しましょう? ブーケ姫の使い魔なら念のため、何か対処をした方が良いのでは」
小型犬というのは、おそらくチワワのオレのことだろう。異様に眠いのは、魔法で強制的に眠らさせられているからなのか。
「ふん。魔法で眠らせておいたあの犬のことか……吠えられると面倒だから眠らせただけだ。それに、目が覚めたところであんな小さな動物に何が出来るわけでもあるまい……小型犬のことなんか、放っておけばいい。勘違いしているようだがオレとて、別に無益な殺生を行いたいわけではないからな」
「は、はぁ……儀式の口封じで死んだ庭師の女は運が悪かったということか。では、この場から魔法で立ち去りましょう」
眠りから完全に覚めていないことが幸いしたのか、それとも殺人犯からしてもケージの中のチワワのことなんか目にも入らないのか。犯人達はオレのことを確認しようともせずに……むしろ完全に無視して、何事もなかったかのように瞬間移動魔法で小屋から出て行った。
平和だったはずの小屋の中は不穏な空気で満ちていて、オレはふるふると身体を震わせてただひたすらブーケ姫の帰りを待った。もしかすると、倒れてしまった庭師のお姉さんはまだ生きているかもしれないが、人間だった前世と違い今のオレには彼女を運ぶことも医者を呼びに行くことも出来ない。
(ごめんなさい、助けてあげられなくて。ごめんなさい……)
人間族が神に選ばれたとされている象徴として崇められている『聖なる犬テチチ』に対抗出来るかと思われていたチワワのオレ。だが、覚えたての魔法は飼い主がいないと発動できないため、オレ1匹では戦うことすら出来ない。もっとも、犯人達は人が出払っているタイミングを見計らってここに侵入してきたようだし。大勢とは戦わずに邪魔な者だけを消して、ひっそりと何かの目的を果たすつもりだったのだろう。
(まずは、頭を整理しよう。オレが眠りにつく頃のブーケ達の会話を思い出すんだ。確か、パピリンの出産について話し合っていたはずだ……)
夜間特有の冷たい空気が頬の毛並みの触れる。意識を目覚めさせるように、ゆっくりと今日の記憶を蘇らせることを試みた。
* * *
そうだ……確か無事に辿り着いた疲れで、すぐ横になってしまったオレ。周りの人達も、チワワが初めての森を散策して疲れるのも当然という感覚のようで、自由に休ませてくれた。
「ハチ、疲れて眠っちゃったわね。仕方がないか、いきなりあんなに沢山のカラクリ兵と戦ったんですものね」
「えぇっ? そのワンちゃんが、外でうようよしているカラクリ兵を倒したんですかっ」
「そうよ、光魔法を覚えさせて何体かのカラクリ兵を倒してもらったの。この子、すごく潜在能力は高いんだけど、やっぱりまだ子犬だから無理させちゃダメね。今日は、反省したわ」
ブーケ姫と庭師の女性がオレについて、何か話しているようだ。眠りにつく途中だが、ふんわりと周囲から会話の内容が届く。
誰かがオレの頭を優しく撫でてくれている、女性の細く柔らかい手だ。
「しかし、もうすぐパピリンが出産するというのに、カラクリ兵の数は増える一方ですね。まるで、出産予定の新月に向けてスタンバイしているかのようです」
隣の部屋で出産待機のため休んでいるパピリンをチラッと見かけたが、どこにでもいそうな普通のパピヨンだった。もちろん、ブーケ姫に飼われている愛犬なだけに、美しく丁寧に扱われているが。だからと言って、わざわざカラクリ兵達を誰かが寄越してまで、邪魔をしたい心理が理解出来ない。
産まれてくる子犬は、パピヨン同士の子なら血統書付きになるし、それ以外でも普通にミックス犬が産まれてくるだけだろう。
ここは過去の世界で現代から数えて二百五十年前だから、時代背景的にパピヨンなどの犬の価値も現代よりは高いかもしれないけれど。過剰に反応して、パピヨンの子が増えるのを阻みたい理由が何処にあると言うのか。
「かも知れないわね。ここだけの話だけど、預言者達は聖なる獣を所有している国の繁栄を誘導するために、他国に聖なる獣が生まれるのを阻んでいるらしいから」
聖なる獣が産まれるかも知れない?
ブーケ姫の予測は、オレの想定するものとは少し異なっていた。伝説によると聖なる獣というのは、チワワのご先祖様に当たるテチチのことだ。
オレは、転生者なりに前世の知識を活かして、犬の系譜を思い出してみることにした。
テチチはチワワの原型となる犬と合わさり、現在のスムースタイプのチワワとなった。そのため、チワワという固定の種族の原種は現在ではスムースということになっている。
オレのような毛の長いロングコートチワワというものを作るのには、スムースタイプにパピヨンやポメラニアンなどの長毛種を合わせていき、固定したとされている。つまり、テチチとパピヨンのミックス犬が産まれた場合には、ロングコートチワワに近しいタイプのミックス犬が産まれる可能性が高いだろう。
(あれっ? 何か、おかしな話だな。そもそも魔王軍は聖なる獣のテチチを所有していないから、預言者達から差別的な扱いを受けているんじゃなかったっけ。領土内にテチチがいないのに、何故パピリンの子供が聖なる獣の可能性があるんだ)
話の流れが想像ではなく根拠のある予測なのだとすると、パピリンは何処かでテチチと接触して子を宿した可能性が高い。もしかすると、何かの機会に勇者軍と密接な時期があったのだろうか。
「もし、万が一……あの長期会議の時にパピリンとテチチが惹かれあって。パピリンのお腹の子犬が、テチチの紋章を印された聖なる獣だとしたら……」
「ええ、中立国は勇者軍への贔屓を辞めて我々魔王軍に対しても、平等に扱わなくてはいけなくなる。でも、占いという体裁で情報操作したい預言者達にとっては、不都合でしょうね」
なんだか、陰謀めいた話で重苦しいな。預言者達もたかだか犬の出産くらい自由にさせてやれよ、と思ってしまう。けれど、二百五十年前という時代背景的にも占いとか預言とかに犬を利用している限りは、今回のミックス犬誕生が気になるのは当然か。
(ん……まてよ、伝承では魔王軍は結局……聖なる獣を得られていないはずだ。でも、パピリンの状態は順調そうだし、子犬も無事に生まれるだろう。じゃあ、なぜ手元に子犬達を残せなかったんだ?)
途切れ途切れに思い出せたブーケ姫達の会話の記憶は、次第にオレの胸に疑問符を打つものへと変貌していく。つまり、その直後にパピリン達は人間サイドに連れて行かれて、結局聖なる獣は魔王軍サイドには残らなかったという結論に辿り着く。
だが、そのシナリオがまさか長年死んだと思われていたブーケ姫の元婚約者の手による策略だとは、夢にも思わなかっただけ。そして、彼が行方不明の間に滞在していた場所が他ならぬ『未来』だったということも……想像し得ない。
――時を超えてこの時代のシナリオに介入しているものは、オレ1匹ではなかったのだ。