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21話 その想いは胸の内に


 未来からやってきたチワワのハチが、聖なる獣かどうかはともかくとして、強力な潜在魔力の持ち主だった。ステータスオープン魔法を用いて調べたその数値は、ブーケの予測をはるかに上回るものだ。


(それにしても、まさかこの子犬が本当にSランクでしかも魔力数値88万8000の持ち主だったなんて。昨夜見たあの出来事は、夢ではなかったのかしら?)


 ブーケの時代では珍しいチワワという犬種は、聖なる獣とされるテチチに似ており同じ系譜を辿っていることが予想出来る。だが、チワワのハチが特別な犬であると感じる理由は、それだけではない。


「その子犬から、人間の匂いがした。もしかすると、転生した人間の魂が入っているのかも知れない」


 最初は、神官長様が冗談を仰っているのだと思い、話半分くらいにしか聞いていなかった。例え、ハチの前世が人間だとしても、今世では犬なのだからそれで大騒ぎする必要はない。


 魔法や転生が当たり前のこの魔界では、そんなことで驚いては生きていけないだろう。


 だが、それはあくまでも『今世が犬であることが確定している場合』のみの話だ。



 ――話は少し、遡る。



 ハチを引き取ったその日の夜、ブーケ姫はなかなか寝つけずにいた。ベッドから起き上がり、コップ一杯の水を飲んで窓から夜空を眺める。遠くで鈴虫の鳴く声が聞こえてきて、まだこの辺りの生態系は無事であると確認出来た。


 魔王城の敷地内とはいえ、自分のために与えられた別棟周辺は人の気配も少なく寂しい場所だ。


 特に今日は、未来からの来訪者である迷い犬の『チワワのハチ』がやって来た特別な日である。気持ちがざわついて落ち着かないのは、仕方がないのだろう。

 もし、ハチが身につけていたプレートの日付に嘘偽りがないとすると、二百五十年後も魔王一族は安泰なのだから。


 ハチの飼い主の少女ブルーベルのフルネームは、魔王一族のみが名乗れる名前だった。11歳の記念にプレゼントされた犬という情報付きだ。

 おそらく、ブルーベルというのは未来の魔王一族の姫君の名なのだろう。ハチはまだ子犬だから、ブルーベルの飼い犬になってそれほど時間は経っていないはず。


(ごめんね、ブルーベル。あなたの可愛い子犬を私が預かってしまって。ちゃんと、元気な状態で未来に返すからね)


 密かに自分の遠い未来の親族であろう少女に謝罪しつつ、ぼんやりと自分自身の未来について考える。


 今年18歳になる美しい姫君のブーケには、かつて親同士が決めた年上の許嫁がいた。だが、ブーケとの間に恋が芽生える前に、彼は大戦で帰らぬ人となった。ちょうど、ブーケが11歳の頃の話だ。

 彼との年齢差は10歳ほどで、彼は年若い青年だったがブーケは子供。そのため、会うと優しく遊んでくれるお兄さんといった印象しか残っていない。


 その後、ブーケは恋というものを心の奥に封印してしまった。優しいあのお兄さんが本当に自分の初恋であったかすら、定かではない。ただ、ブーケの恋心は蕾のうちに、開くことなく消えてしまったのだ。


 自分の心を慰めてくれたのは、忠実で純粋な犬だった。ブーケは少女時代の青春を、大戦で迷子になった犬の保護や使い魔訓練に捧げたのである。


(私はこの先、どういう人生を送るのかしら? 未来が確定しているってことは、私の将来も決まっているのよね。ハチが人間語が話せない子犬で良かったのかも知れない。私自身の未来を聞きたくなってしまうから)



 なんとなく、ハチの様子が気になって、眠っている居間へと足を運ぶ。薄手のカーディガンを羽織り、ランタンを片手にドアを開けた。


 未来からやってきたあの子犬は、まだここにちゃんといるだろうか。何かの加減で、未来に帰ってしまうかも。


(いきなり、別の家で過ごすことになるなんて、子犬にとっては心細いはず。安眠していると良いのだけど)


 そんなことを考えながら、ハチが眠っているはずのケージを確認すると、姿が見えない。寒くないようにと、掛けてあげた布地もない。


「えっ? ハチ、どこに行ったの」


 慌てて部屋の中を探そうとすると、窓辺に人の影が……。ベージュ色の髪は艶やかで、顔立ちはいわゆる東方のテイストが混ざっていた。この辺りではみかけない美貌の青年が、寂しそうに夜空を見上げている。大きな透き通る瞳はとても美しく、思わずブーケは息を呑んだ。


 若者の身長は、ブーケよりも高くスラリとした長い手足が特徴だ。首を飾る黒いチョーカーは、彼の美しさをさらに際立たせている。だが、彼は上着を身に付けておらず腰に布だけを巻いた姿。何処からか、逃亡をして来たかのようにも思えた。


(どうしよう、いきなり知らない誰かがウチにいるなんて。普通だったら、メイドか誰かを呼ばなきゃいけないのに。それすら、やってはいけない気がする)


 ――ふと、若者の大きな瞳とブーケの瞳が合う。自分と同じ年頃の美青年に、胸が高鳴るのを感じる。夜空の星明かりに照らされた彼は、何処か浮世離れしていた。


「なんだブーケか、どうしたの? 眠れないの」

「……えっ?」


 青年は、初めて会ったはずなのに、何故かブーケのことを既に知っているかのような素振りだ。


「ブーケのミルク粥、美味しかったよ。明日もまた、食べたいな」


 柔らかく笑うその姿は、まるで人懐っこい犬のようだ。


「ミルク粥って、まさか……あなた、ハチなのッ」


 ごく稀に、転生者の魂が動物の肉体に宿るらしい。そういう動物は、とても強力な魔力を持った使い魔になるらしい。


 よくよく見てみると、若者の腰に巻かれた布地は、ブーケがハチのために用意した布団代わりの布だった。そして、先程までは気付かなかったが彼が身につけているチョーカーは、チワワのハチが着けていた伸び縮みする首輪ではないだろうか?


 頭が混乱して、どう言葉を紡いでいいのか分からない。気がつくとベージュ色の髪の美青年は消えていて、チワワのハチがスヤスヤと安眠しているのだった。


「ハチ、あなたは一体何者なの? 転生者の魂が宿った犬がいるとして、彼は本当に一生犬の姿のままなの。それとも、いずれ人間の姿に?」


 ――夢現ともつかぬ、夜の出来事。


 しばらくの間、正体の分からない青年のことは、ブーケの胸の内に隠されるのだった。


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