11話 忍び寄る影
何処からともなく、心地よい水の音が聞こえてくる。どうやら、川が流れる音のようだ。涼しい空気は、マイナスイオンが辺りから漂っていることが感じられた。
地面には小型犬の柔らかな身体でも寝心地の良い草花が生えており、自然と体力が回復していくのを感じる。オレの周囲では、ヒラヒラと蝶々が飛び回る気配。そろそろ目を覚ますようにと、促しているみたいだ。
ゆっくりと瞼を開けるとそこは、美しい花畑と河原。そう、以前も見たことのある懐かしい景色が、目の前に広がっていた。
「う、ううん。ここは、一体。あれっ転生した時にいたあの河原だ。まずいな、まさかもう死んじゃったのか」
「ほっほっほ。心配しなくても、大丈夫じゃよ。ちと、慣れない魔法を使ってMP切れを起こしただけじゃ。何はともあれ、無事で良かった」
二足歩行で杖をついた仙人風ファッションの芝犬が、微笑みながらオレに語りかけてくる。忘れるはずがない、人間から異世界のチワワへと転生するきっかけを作った犬の神様だ。
「犬の神様っ? そっか、やっぱりMP切れだったのか。けど、これからどうしよう。毎回呪文を使うたびに、あんなふうに倒れこんでいたら、そのうち本当に身体がどうにかなっちゃうよ」
残念ながら、今回の使い魔試験は数値のみが大きくて思い通りの結果ではなかった。こんなことなら、ほどほどの魔力の方がよっぽど安全だろう。一度だけの攻撃力が大きくても、持久性がないのではいざという時に戦いづらいだろうし。
「うーむ、困ったのう。まぁ使い魔の長い歴史からすれば、このようなケースにはたまに遭遇しているはずじゃ。何かしらの対処法は検討しとるじゃろうて」
「そうですか、ならいいんだけど。オレって、どうしてこんなにオーバーワークになるような魔力を身につけちゃったんだろう? 確か、ブルーベルの誕生日お茶会で、亡くなった王妃様の霊魂にお会いして。その時に与えられた魔力が大きすぎたとか……」
自分なりに思い当たる節を考えてみるが、王妃様はあくまでもブルーベルの役に立つように能力を与えてくれたはずだ。オレがまだ生後6ヶ月で成犬ではないから、魔力が維持出来ないのだろうか。
「ふむ。確かに一理あるかも知れんのう。じゃが、大きな魔力を受け取っただけでは、あれほど大魔法は使いこなせんじゃろう。おそらく、手渡された呪文そのものに仕掛けがあるんじゃろう。本来ならば、あの場で魔力制御出来ずに会場でチカラが暴走するはずだったのかも知れぬぞ」
一見すると意外だが、一気に辻褄があう的確な推理に思わずドキッとする。普段は、オレが魔力を暴発することすらないのだから、あの手渡された羊皮紙の呪文に何か仕掛けがあると考えるのが妥当か。
「えっそれって、ブルーベルが何者かに狙われているってことですか」
「いいか、ハチ。お主の飼い主は『魔王の娘』という特別目立つ存在じゃ。良からぬ考えを持った輩が、常に彼女の足を引っ張ろうと目論んでいるかも知れぬ。魔王一族は、危険であるというイメージを世間に植え付けるためにな。むしろ、大ごとにならずに済んだのは、お主が王妃から魔力を賜り、制御出来たからじゃろう」
せっかく魔王様が戦争を回避する選択肢を選んでくれたのに、何故。けれど、伝説とされるブーケ姫も魔王の娘というポジションだったし、気にする悪い奴もいるのかも知れないけれど。
「そ、そんな! ブルーベルは、まだ11歳の女の子だし、末っ子で王位継承とは関係ない気楽な立場なんですよ。伝説のブーケ姫だって、魔界を立て直した時は大人だったはず。誰が一体、策略を」
「あくまでも、わしの推理の過ぎぬよ。ブルーベルの一族は魔王の娘という立場ながら、歴史を大きく変えたブーケ姫という人物を輩出しておるし、少女であっても警戒されるのじゃ。ただ、一応『犬の神』であるわしが、今回の流れを完全には把握出来なかった。わしと同じくらいのチカラを持つ何かしらの神仏が、敵の背後にいると考えた方が妥当じゃ」
姿も目的も分からない敵、そしてその背後にいると推測される何かしらの神仏の影。およそ、のんびりとしたチワワライフとは程遠い設定が持ち込まれている気がする。これも、魔王城で飼われることになってしまったオレの運命か。
得体も知れない何かと将来的に戦う可能性があることに、恐怖を覚える気持ちがあるのも事実。だが、それ以上に飼い主である純粋無垢なブルーベルを守りたい気持ちが大きく膨らんでいく。
非力で無力でふるふると震えるだけのチワワだと思っていた自分自身に、大きな魔力が備わていたのだ。いざとなったら、この身に代えてでもブルーベルを守ることを優先しようと思うあたり、オレはすっかり彼女の飼い犬だ。
先程まで震えていた細い犬脚を、気持ちを引き締めてしっかりと立たせる。
「例え、悪い奴らがブルーベルを狙っていたとしても、オレが彼女を守らなきゃ。どんなに小さい小型犬だとしても、オレは彼女の使い魔なんだ」
「ハチ、お前……。こう見えても、わしも神の端くれじゃ。再び会う日までには伝手を頼りに色々調べておくから、それまで気をつけてな……ハチ」
突然白い霧が河原中に立ち込めて犬の神様の周辺一帯が、すうっと消えていく。いや、正確にはオレの意識が霊界から遠ざかっているのか。
やがて、意識は次第に元どおりの場所へと流れていく。オレの魂は、会場の救護コーナーで眠るチワワの肉体へと帰っていくのであった。