01話 チワワに転生するなんて
同タイトル短編小説(N8757DF)の長編版です。短編版とは主人公の細かい設定が異なります。
今よりほんの少しだけ昔、あるところに優しい心を持つ若者がおったそうな。
若者の名は、八峰ケント。
大学に通う傍ら、毎日ネトゲにログインしDVDを鑑賞したり、食堂の日替わりランチの感想をマイブログに紹介するなど、充実した日々を送っておった。
――だが、そんな平穏な日常に突然、アクシデントが起こる。通学の途中で可愛いチワワが、軽トラックに轢かれそうになっているのを目撃した若者。普段はチワワになんか興味がなかったのに、思わず助けに飛び込んでしまったのじゃ。
鳴り響く救急車の音、他の通行人が助けを呼ぶ声。だが、若者の意識は次第に肉体から遠ざかっていく。そして、三途の川と呼ばれる有名スポットに辿り着いた。
「あれ? ここは何処だろう。見たところ、綺麗なお花畑と河原って感じだけど。あのチワワもいないし、夢でも見ているのか」
サラサラとした川の音が流れ、マイナスイオンを補充できそうな雰囲気だ。先程までの曇り空とは異なり、澄み切った青空が広がっていた。
ウトウトとした眠気に誘われそうになっていると、杖を片手に持った二足歩行の『犬の神様』が現れた。柴犬にヒゲを蓄えたような犬の神様は、いわゆる老犬で、若者よりも年配であることが窺われる。
「おお、若者よ。チワワの命を救う代わりに、そなたが死んでしまうとは……。そなたを異世界に転生させ、チワワとしてあらたな犬生を与えてしんぜよう!」
「犬生って何? 人生じゃないのっ」
若者が事の真意を尋ねようとするが、時すでに遅し。あっという間に転生し、気がつくと異世界のペットショップにおったのじゃ。
* * *
「キャンキャンッ」
「にゃあん」
「わんわんっ」
「クウーン」
子犬や子猫たちの愛くるしい鳴き声に目を覚ますと、そこは異世界のショッピングモール内のペットショップだった。
何故、異世界だと気づいたかというと……。
歩いているお客さん達が、みんな魔族やダークエルフなどのゲームでよく見かるビジュアルだった事。そこのペットショップの子犬達は、頭が三頭のケルベロスを筆頭に神話やファンタジーRPGに登場するような子犬や子猫達だったからだ。
だが、オレの姿はノーマルなチワワである。せっかく異世界に来たのに、意外と普通の犬に転生したな……まあ可愛いが。
チワワとはみなさんご存知の愛くるしい小型犬で、古くはテチチという名で呼ばれており、かの古代文明で生息していたと伝えられている。
性格は、小柄な容姿にもかかわらず意外と勇敢であるが、体力が低いため飼い主は寒い日に衣服を着用させるなど細心の注意を払う必要がある。
チワワと言っても様々な種類のチワワ種がいるが、おそらく毛の長いタイプのロングコートチワワというものだ。
クリクリの大きな瞳。
細い手足。
大きな耳。
ベージュの長い毛並み。
ペットショップのガラスに映るオレの姿は、どこからどう見てもラブリーなチワワだった。
どうやら、モールに遊びに来ているお客様を和ませるのも、オレ達小動物の役割らしい。
店内は子犬や子猫を広いスペースで自由に遊ばせて、ガラス越しにオレ達小動物の様子をお客様に見てもらう仕組みになっている。自由きままに遊ぶ動物達の姿を見せて、癒し効果を狙っているのだ。
そして、気に入ってもらえれば飼ってもらえる可能性も……。
――すると、モール内で突然お客様達がザワザワし始めた。慌てた魔族が、一斉にひれ伏していく。
お揃いの黒いローブを着た魔族達が、紫や青の花を周囲に撒き散らす作業をしながら道を開けさせていて、床の上はすでに花の絨毯状態だ。
「きゃきゃん(一体なんだろう? イベントか何かが始まるのかな)」
「キャイン、キューン(あっ! 魔王様だ!)」
オレが疑問を呟くと同時に、ケルベロスの子犬が三頭ハモりながら走り出した。
やって来たのは、魔王様御一行のようだ。この異世界、ファンタジー風だとは感じていたけど魔王が健在なのか。
魔王様は、銀髪ロン毛黒衣のいかにもな風貌で赤い目をギラつかせているイケメンだ。
だが、よく見ると若いわけではなく、それなりに結構いい年のようだ。魔王様の隣には、10歳くらいの銀髪ロングヘアの美少女が黒いゴスロリワンピースをヒラヒラさせながら、仔犬や仔猫を見て喜んでいる。
「キャンキャインッ(魔王様、ボク達を番犬にしてくれないかなあ)」
どうやらケルベロスの子犬は魔王様に飼われたいらしい。尻尾をフリフリしながら魔王様に向かって、ガラス越しにクンクンアピールし始めた。
ケルベロス達が、魔王様の足取りを追って移動する。魔王様にアピールが通じたのか、少しケルベロス達を気にし始めたようだ。
すると、魔王様は美少女を連れて子犬コーナーの係の人に近づいていき……。
「ケルベロスを見せてくれないか。城の番犬として、子犬のうちから教育したいのだが」
「畏まりました、ケルベロスですね。この子達は、ケルベロス一族の中でも地獄の門番と謳われた魔犬の血を引く血統証でして、オススメですよ」
良かったなケルベロス、魔王様に選んでもらえて。魔王様はケルベロスを抱っこして、足の強さや顔立ちなどいろいろ確認しているようだ。まだ仔犬だし、育て甲斐があるだろう。
魔王様のペットはケルベロスで確定、誰もがそう思ったその時だった。
「ねえ、パパ、この子可愛いよ。このチワワ買ってよお! もうすぐ私の11歳のお誕生日だし、お願いっ」
そう言って魔族の美少女が指さしたのは、ロングコートチワワのオレだった。
「ブルーベル、魔族はこれから人間界と戦争するんだ。そんな戦力にならなそうなチワワなんて」
どうやら、娘の名はブルーベルというらしい。娘にせがまれる魔王様とオレの目が、ガラス越しにフッとあった。
ギラギラした赤い瞳に見つめられてビックリしたオレは小さく震えながら、チワワ特有のウルウルした瞳で見つめ返すしかなかった。
「――チワワなんて……」
その瞬間だった。
オレの弱々しいチワワのカラダから、まばゆいばかりの愛くるしいオーラが発生し、魔王様のハートに直撃したのである。
後で知るのだが、このチワワ族特有のチートパワーを『ラブリーチート』と呼ぶそうだ。
「……チワワ……」
魔王様が言葉に詰まる……。チワワオーラがハートに直撃したせいなのか、胸が苦しいようで胸を押さえ始めた。
「きゃきゃん(このチカラは一体)」
「ねえパパ、戦争なんかやめて一緒にお城でチワワ飼おうよ。いまどき人間界と戦うのなんて、流行らないよ! 時代は、自分のペットの可愛い写真をブログとかで紹介したり、いろんな種類のタピオカドリンクを食べ歩くのがトレンドなの。パパって、ちょっと古いんだよ」
古い、流行らない。
可愛い娘にそう言われたのが、ショックなのかそれとも……。
「それに、人間の勇者がお城に来たらみんなやられちゃうよ。私、まだチワワ飼ったことないのにっ」
チワワを飼いたい一心で、父親を説得する娘。
「そのチワワ、見せてもらおうか……」
オレは店員のお姉さんに抱きかかえられて、魔王の娘ブルーベルにモフモフと触られた。
「可愛いー! この子の名前、何がいいかなあ?」
娘がエンジェルチワワだのプリティチワワだの名前を考えていると、魔王様が一言。
「ハチ、そのチワワの名前は……ハチだっ」
柴犬でもないのに、チワワのオレをハチと名付ける魔王様。確かにオレの前世の名前は、『八峰ケント』でニックネームはハチだったが。
(えっ? 名付けたということは、もしかしてオレのことを飼う気なのか)
黒いローブを着た側近の数人が、一斉に意見を出してチワワを飼おうとする魔王様を止める。
「魔王様、お言葉ですが。そのようなチワワを飼われましても、すぐに人間界との戦争で……」
「うーむ。小型犬でも、魔力が強ければブルーベル様の使い魔になれるかも知れませぬが。使い魔とともに勉強する魔法学校は、中立国にありますゆえ今の状況では難しいかと」
「チワワといえば、犬族の中でも攻撃力が低いことで有名です。愛玩動物としては良いかもしれませんが、戦争となると……」
か弱いチワワは死ぬ……と、側近達は言いたいのだろう。
「だから、戦争は取りやめだ。流行らないと娘に言われた、時代遅れな王に民はついてこない。それに……」
魔王様がオレを優しく抱き上げた。魔王様の赤い瞳と、オレの潤んだ瞳が再び合う。
「このチワワ、可愛いしな。我が魔王城敷地は、ご先祖様が防衛のため作ったから無駄に広い。ケルベロスの子犬とチワワの子犬を一緒に迎え入れるくらい、どうってことないさ」
「わーいっ。パパ大好き! ありがとうっ。よろしくね、ハチ。ケルベロスっ」
* * *
そんなわけで、チワワに異世界転生した若者は番犬ケルベロスとともに、魔王城で飼われることになったのじゃ。
ハチは、異世界の戦争を止めたチワワという伝説を打ち立てた。だが、それは伝説の始まりに過ぎない。
――小さな子犬の異世界ライフが、幕を開けたのである。