失われた時を求めて
元気にしていますか。こっちは元気です。
2030年から早くも8年が経ちましたが、けっこう静かになってきました。でも歴史的建造物だとか後世に伝えるとか言って過去ばかり振り返ることはそのままでした。
今まで心配してくれていましたが、もう大丈夫です。こっちで安定した収入の仕事をみつけたので、お母さんの口座に出来るだけ振り込んでおきます。弟に何か買ってあげてください。
こっちでも色んなことがあったので、いつか手紙にして話したいと思います。
リル・ペルフより
2037年 7月 フランス南西部
空は青く日は輝く。歴史の風情ある赤橙色の建造物が埋め尽くし、突飛な高層建築物も無い街。テラコッタやレンガで造られた建物の間を人は行き交い、落ち着いた雰囲気を味わえる。スペインとの国境に近いこの街は川によって二分されており、観光客も多い。
駅から少し離れた場所。タクシーの扉から一人の少女が出てくる。少女といっても身長は160以上はあり、風貌もそれとは思えない。
「ビミョーな街だな」
リル・ペルフはサングラスを外し、キャスケット帽を上げる。黒く刺々しいショートヘアと、顔の真ん中を通る棘のような髪はヘアチョークで紫色に染まっている。シアン色の瞳は凛然としており、肩や太股を出した大胆な服装は男勝りという言葉が適切だろう。
肩に背負ったギターケースが目的を物語る。
最初はパリに行こうかと思っていたが、物事が被るということは嫌いなので、仕方なくこんな中心から外れた街にやって来たというわけだ。親の反対を押し切ってやって来たこの土地。今更怖じ気づくなんてことは許されない。
深呼吸をしたのち、一歩踏み出したその瞬間。死角から現れた小柄な男が、リルの唯一持っていた鞄を颯爽と奪い去っていった。
「……あっ!待ちやがれテメー!」
軽やかな手口に一瞬唖然としていたが、気を取り戻してリルは走り出した。
このご時世、犯罪は当たり前。特に観光客などは、地域ごとの独自性のある犯罪についてこれずに引っかかりやすい。
2030年。未曾有の現象に世界中が荒れに荒れた。「特異能力」という、超能力に近いものを、人類一人一人が手に入れたのだ。その特異能力は個人によって異なり、唯一無二。原因は一つの巨大隕石の爆発と言われているが、定かでは無い。
角を曲がりまた曲がり、リルは到着したばかりだというのに観光そっちのけでひったくりを追いかけ回す。彼女はまた15歳、体力に自信はあるが、地理を知り尽くすひったくり犯になかなか追いつけない。
「……あれ……どこだここ……」
いつの間にかリルが入っていたのは、だだっ広い空疎な倉庫。端にいくつかコンテナや段ボールが積んであるだけの、廃れた巨大な空間。
ひったくり犯は見えない、追っている内に迷ってしまったのだろうか。リルの吐息だけが聞こえる薄暗いこの場は奇妙で恐ろしい。
早く出ようと思い後ろを振り返ると、そこに一人の男が、シャッターの隙間から入る光に照らされていた。
「……俺の部下が迷惑をかけた……金遣いの荒い奴だったんだ。金欠になってやってしまったんだろう、許してやってくれ……」
「………誰だ?」
男は陰が濃く顔は見えない。すると突然、先程のひったくり犯が無惨に殴打された血だらけの姿で、リルの前に投げ捨てられた。ピクリとも動かず、顔面は見る影もない。
おそらく目の前にいる男がやったのだろう。落とし前の付け方からしてマフィア、少なくとも裏の世界の人間だ。
「……そんなもん知らねぇよ。早くバッグ返しな」
「だがな……俺達はお嬢ちゃんを許せない……すまないな。ここはバレちゃあならない所だ。それを見たお嬢ちゃんを、タダで返すわけにはいかない」
突如として、少ししか開いていなかったシャッターが全開になり、数人の屈強そうな男達が現れる。背に光を受けるその男達は身なりこそ一般人だが、目つきがまるで違う。
男の言うそれとは、コンテナに入った銃火器のこと。ここはマフィアの拠点であり、主に銃火器の売買を担っている。本来は関係者以外立入禁止で、普通の人間なら入ることはない場所。
「会話をする努力をしろよなァー。誰だか知らねーけどよ、大事なもんが入ってんだから返せつってんだぜ」
「お前は自分の家に害虫がいても眺めているだけか?普通はぶっ潰す。俺はそうやってきた」
男はおもむろに屈み、意識の無いひったくり犯の頭を掴み上げた。
その時初めて、ハッキリと男の背格好が光に覆われる。オールバックの黒髪とスッキリとした鼻筋。獣のような鋭い眼と厳つい顔立ち。黒いスーツから覗く橙色のシャツが主張を独占している。
「銃火器チームのリーダーをやってる、ユニス・リュシオンだ。名乗るのが俺の流儀なだけで、無論、生かして返すつまりは無い」
ユニスに掴まれたひったくり犯の口が裂けそうな程に開き、深淵から砲塔が顔を出した。黒光りする一つの細長い物体、何度見ても喉の奥から戦車などに付いている砲塔が出ている。
直後、リルが驚く隙も無く、砲塔の奥から一発の砲弾が発射された。
「なッ……!」
大きめの乾電池ぐらいの砲弾が、リルの右腕に当たり爆発した。規模自体は小さいが、威力は十二分。肉が見え、血が滝のように噴き出して止まらない。
「いってェェェエ!!!」
爆風で数メートル吹っ飛び、フランスに来たことを心底後悔した。傷口は痛みと寒気と熱でワケが分からない。リアクションを挟む寸暇すら与えてくれないところがマフィアといったところか。
この男、マジだ。
「全隊ッ!砲撃準備ッ!!」
「…オイオイ……!全隊ってことは……さっきの奴らもかよ!」
シャッターを開けて現れた数人の男達はてっきりユニスの仲間だと思っていたが、その男達も全員砲塔人間ということだ。砲塔を口から出す者達はゾンビのように体中がブランブランしており、眼も焦点が合っていない。
ユニスは人間を砲台として操る能力、としか今は言えない。この時代、特異能力を許可無く使用することは重罪。しかし、奴らの世界にそれは通用しない。人殺しも日常の一つという事だ。
このなんでもありな特異能力というものは、勿論リルも持っている。
「砲撃開始ッ!」
常人には避けきれない弾幕が体を破壊する、と思っていたがそれはすぐに杞憂となった。
不意に、元ひったくり犯以外の砲塔人間の顔が内部から爆発した。爆発音が倉庫内に轟き、爆炎が体まで回り、砲塔人間はその場に棒のように倒れる。
一体何が起こったのか、リルには理解できなかった。一つだけ、その男が味方ということだけ理解可能だった。
朝日を浴び、青っぽい派手な髪色が露わになる。
「どうも……テルハっつーもんです。最近この街に引っ越しで来ました。よろしく」