4、母の想い
「よかった・・・・あなたがそんな風に笑うことができて・・・・。」
志磨さんからのメールを閉じて、鞄に携帯をしまうと。
そんな声が向いの席から聞こえてきた。
一言も話さなかったお母さんが涙を目にためて、私をじっと見つめていた。
「え・・・あの?」
戸惑う私に、ホームズ先生が優しい瞳を向けた。
「カミー、大きくなったね・・・実はさっき会った時に似てるって思ったんだ。それでソースケに話を聞いたら、やっぱりカミーだって・・・ユリがカミーだったら、絶対にこのホテルへ来るって言うから、来てみたんだよ。」
私は、虚脱したようにため息をついた。
「すみません、今更お目にかかるつもりはなかったんですが、本当に偶然で・・・。」
私は、気まずい思いで頭を下げ、席を立とうとした。
だけど。
「ま、待って!・・・椿・・・あなたは、私を怨んでいるでしょうけどっ。せ、せめて、謝らせてっ。」
お母さんが、私の腕をつかんだ。
「怨む・・・?」
私は、お母さんの言っている意味がわからず、聞き返した。
お母さんはそんな私の言葉に、顔を歪め俯いた。
続く沈黙。
「あのさ、図々しいんだけど、木村さ・・・本当は椿ちゃんっていうんだよね?椿ちゃんの部屋へ行って話さない?・・・俺さ、実はホームズ先生のうちへ遊びにいかせてもらって、前から椿ちゃんの話をきいていたんだよね・・・まさか、声かけた時、君が椿ちゃんなんて思いもしなかったけど・・・俺は先生と奥さんの気持ちを聞いて知っている・・・君にも言い分があるだろうけど、せめて君はお母さんの気持ちを聞くべきだ。ここじゃ込み入った話もできないし・・・本当は他人の俺がでしゃばることじゃないけど、ホームズ先生と奥さんには世話になっているんだ。これも、何かの縁だ。俺が立ち会うから、きちんと話をしよう?」
ソースケさんがそんなことを言い出し、強引ともいえる感じで、私の部屋に3人がついてきた。
3人をソファーに座らせ、とりあえず紅茶でも入れようと、ポットを手にしたのだけれど。
いきなり、ホームズ先生が立ち上がり。
「カミー、本当に申しわけなかった。君には、本当に酷いことをしたっ・・・。」
そう言って、頭を深く下げた。
「え・・・あの・・・。」
前置きもなく突然、ホームズ先生が謝ってきたので、何事かと戸惑いどう対処していいかわからなかった。
すると、お母さんも立ち上がり。
床に座ると頭を下げ、床に頭をこすりつけ。
「本当に、ごめんなさいっ・・・後悔しても、しきれないくらい、悔やんでいるのっ。」
そんなことを言い出した。
私は慌てた。
「や、止めて下さい!私は謝ってほしいなんて思っていませんから。本当に、ここへはお母さんに会いに来たわけではなくて、別の理由で来たんです。だから、そんな顔しないでください!頭をあげて下さい!」
私の言葉に、お母さんも、ホームズ先生も戸惑いの色を見せた。
「別の、理由?」
お母さんの問いに私は頷きながら、お母さんを立たせソファーに座らせた。
「・・・これは、私の心の中だけの問題なんです・・・もうすぐ結婚をするので・・・色々と心の整理をつけたくて・・・LAスミス大学のあのグランドが、ある意味私の原点なので・・・・この10年間を振り返って、決着をつけたかったんです。」
私がそう答えると、お母さんは突然取り乱した。
「結婚なんて、駄目っ!!してはいけないわっ!!」
もともと大きな声を出すようなひとではなくて。
とてもしとやかなタイプの女性なのに・・・こんなに感情的になるなんて、私は驚いた。
「あの・・・結婚はしてはいけないって・・・どういう・・・?」
私が結婚をすることに反対なのだろうか。
でも、どうして?
「ええ、私はあなたの結婚に反対よ!!」
・・・思いっきり、大声で宣言されてしまった。
でも、せっかく大好きな人と結ばれるというのに、反対なんて・・・。
そう思うと、目が熱くなってきて。
と思ったら、ソースケさんが私にティッシュを差し出してくれていた。
そして。
「奥さん、そんな大声で急に結婚に反対って言っても、椿ちゃんびっくりするだけですよ?」
と言って、私の頭を撫で大丈夫だからと優しく声をかけてくれた。
だけど。
「いえ、今言わないと後悔するわ。椿が不幸になる前に、結婚はやめさせないと!!私はそのためだったら、何でもするわ!!」
優しく抱きとめてくれるホームズ先生の手さえもはらいのけ、お母さんは必死になって訴えてきた。
「お母さん・・・私が、不幸になるって・・・・。」
啓太さんと一緒にいることが私の幸せなのに、何故そんなことを言うのだろうと私は茫然とお母さんを見つめた。
すると。
「お言葉ですが、俺は、椿を必ず幸せにしますから。結婚を反対されても、俺は引きません!」
突然、ソースケさんに頭を撫でられていた私は、後ろからウエストに逞しい腕が巻き付けられ、強引に後ろへと引っ張られた。
重心を崩してひっくり返りそうになったが。
久しぶりに感じる温もりに抱きとめられた。
「う・・・・えぇっ!?・・・・啓太さん!?・・・・どうして、ここへ?」
「あのなぁ、2ヶ月会えなくて・・・辛くて辛くて、1日でも、1時間でも早く会いたいって思ってたのは俺だけかよ?・・・何で来たのに俺に黙って、ホテルなんて泊るんだよ?しかも、何で他の男に触られてるんだ?あああああーーー、ムカついてきたっ!!しかも、志摩さんから、椿の浮気疑惑って題名でメールがきて、ホテルに行って確認しろなんてっ。ふざけんなよっ!?」
かなり、怒っていらっしゃる・・・。
「あ、あのね?・・・啓太さんこれには訳があって――「椿っ、逃げなさい!もう、暴力を振るわれることなんてないのよっ、お母さんが守るから!」
啓太さんに訳を話そうとして口を開きかけたのだけれど。
突然お母さんが啓太さんを突き飛ばし、重心を失った啓太さんが後ろへと倒れこんだ。
運よく後ろにあったベッドに倒れ込んだから、よかったけれど。
でも、啓太さんは突き飛ばされたにも関わらず、私を離すことはなくて。
つまり、私も一緒にベッドに倒れこんだわけで。
で、目の前に啓太さんの顔が・・・。
「色々厄介な状況になっているみたいだし、俺もめちゃめちゃ腹立っているけど・・・だけど、そんなことより・・・とりあえず、キスしたいんだけど?」
そう言って、啓太さんはいきなりキスをしてきた。
しかも、かなりディープ・・・。
って、お、お、お母さんも、ホームズ先生も、ソースケさんもいるのにっ!
慌てて、啓太さんの胸をたたくけれど、砲丸投げで鍛えた腕力はびくともせず・・・。
その上、情けないことに私も体に力が入らなくなって・・・それに気がついた啓太さんは、クスリと笑って、ようやく私を解放してくれた。
起き上り、真っ赤になってうつむく私を後ろから啓太さんは抱きしめ、お母さんに声をかけた。
「はじめまして、椿の婚約者の木村啓太です。状況的に見て、椿のお母さんと、再婚されたご主人のホームズ先生ですね?」
結婚に反対と言われたからだろうか、啓太さんは言葉づかいは随分きちんとしたものだったが、声色はかなりトゲトゲしかった。
しかも、ソースケさんは完全に無視。
でも、お母さんも啓太さんに負けずに。
「娘との結婚は諦めて下さい!!」
と、ピシャリと言い放った。
私は訳が分からなくて。
「お母さん、どうしてそんなこと言うの?」
そう、尋ねた。
すると、お母さんは悲しい顔をして。
「あなたの幸せのためよ・・・やっぱり、お母さんが間違っていたの。何があったって、あなたを離すべきじゃなかったのよ。この10年間ずっと後悔していたの。」
そんな悲しい事を言った。
間違っていた――
後悔している――
違う!
私は、そんな風にお母さんに思ってもらいたくて、あの時日本に帰るって言ったんじゃない!
今更そんな事を言われたら、私の10年間は何だったの!?
今まで心の奥にあったものの蓋が開き、どろりと押しこめた気持ちが流れ出した。
「ち、違う。そんな事――「勝手な事を言わないで下さい!今更そんな事を言ったって何になるんですかっ?過ぎてしまった10年はもう戻らないんですよ?あなたが知らない10年、椿は椿なりに頑張ってきたんです。それを間違いだったとか、後悔しているなんて椿に失礼だっ。それに、さっき言っていましたが、俺は椿に暴力なんて振るいません!こんなに愛しているのに、椿に手なんてあげるわけないでしょうっ!?」
啓太さんが凄い剣幕でお母さんをどなった。
お母さんは啓太さんの剣幕に、ビクリとしたが。
「そ、そんなっ、あなた・・・嘘ついてもわかりますよ?あなたは気に入らないと、すぐ手を上げる人だって・・・。」
「は?」
お母さんの言葉に、啓太さんが固まった。
そりゃあ、そうだ。
啓太さんには身に覚えがないことだ。
やっとわかった。
お母さんが結婚に反対っていう意味が。
「あ、あの・・・お母さん、啓太さんは――「ユリ、この人は違う。カミーが帰国して婚約した人じゃないと思う。婚約した人は、木村さんじゃなくて千田さんだったじゃないか?」
そう。
お母さんは、敏さんと啓太さんを間違えていたのだ。
考えてみれば、聡さんと婚約を解消したことをお母さんが知るわけはない。
私が事情を話した後、お母さんは放心状態だった。
「そ、そんな・・・。」
私はそっとお母さんの肩に手を置いた。
「お母さん・・・私が帰国してから手紙を書いたけれど返事をもらえなかったから、お母さんは私の事を忘れたいのだと思っていました。でも、実際はこんなに心配して居てくれたなんて・・・。」
私の言葉を聞いてお母さんは、ハッとした。
「返事なら・・・ううん、手紙なら沢山書いたわ!携帯にも電話したけれど・・・携帯を変えてしまったようでかからなかったし・・・だけど、あなたのお父さんから、椿の気持ちが揺れるから連絡は一切やめてくれって言われて・・・。」
「お父さんが?」
そうだったんだ・・・全部お父さんのせいだったんだ。
お母さんは蒼白な顔で、唇をふるわせながら言葉をつづけた。
「本当は心配で心配で、1年位たったころ・・・心配と後悔で・・・我慢できなくて、日本に戻ったの・・・あなたに会いに行ったら・・・あなたのお父さんが頑として会わせてくれなくて・・・だけど、シノさんが・・・あなたが千田さんの事務所にその時手伝いに行っているって、そっとメモをくれて・・・その事務所に行ったんだけど・・・。」
シノさんというのは、実家に古くから勤める家政婦さんだ。
お母さんが泣き崩れた。
そっと優しくホームズ先生がお母さんを抱きかかえた。
そして、言いにくそうに俯いて、ホームズ先生がお母さんの代わりに言葉をつづけた。
「丁度、その事務所の反対側にタクシーを止めて降りたところで、君が事務所から出てきたんだ・・・泣きながら・・・どこかへそのまま走って行ってしまったが、心配でね・・・すぐにその事務所から出てきた男性に声をかけたんだ。後援会の人だといっていたが・・・千田さんの息子の話になると、言いにくそうで・・・カミーのことはとてもほめていた。千田さんもすごく可愛がっているって・・・だけど、ニュアンスで息子が気に入らないと君に当るって・・・何となく暴力だってわかったんだ。だから、君のお父さんの所へ行って抗議したんだが・・・・君は、もう・・・その・・・その息子とはそういう関係になっているから、今更他の所へ嫁げる体じゃない・・・今、ユリが騒げば、カミーの立場が悪くなるし、それで千田さんの息子に捨てられるような事になったら、カミーが傷つく・・・向こうの両親には可愛がられているから、そっとしておいてくれ、と。」
啓太さんの私を抱きしめる腕に、力がこもった。
「私も、そうやって嫁いだからそうなのかなと・・・・納得したわけじゃないけど、そう思って・・・だけどダニエルは、それは違うって言ってくれたんだけど・・・・結局迷いながらLAに戻って・・・ずっと、これでよかったのかって悩んでいたの。だけど、あの人はあの時あなたのため、と言いながら・・・結局、今の奥さんを優先したのね!許せない!!」
改めて、思った。
お母さんは私と似ている。
ううん、以前の私と似ている。
運命に負けて、それを受入れて、耐えて生きる・・・そんな人だ。
せっかく愛する人と結ばれたのに、まだ耐えて生きている・・・・。
私はそんなお母さんを望んだわけじゃないのに・・・。
でも。
もう、得られないと思っていた、お母さんの想いは――
結局・・・私に向いていたのだ。
色々あったけれど、それを今知ることができて。
よかった――