3、アイスクリーム
せっかくだから、アイスクリームを食べようと1階のラウンジへ下りた。
さすがに10年たてば、ラウンジの内装は変わっていて。
感傷に浸るというより、ちょっと新鮮な気持ちになった。
西海岸らしい明るい感じの、入口から海が見えるロケーションの席へ案内された。
このホテルは高台にあるので、この席からだと海が見えるのだ。
うん、この景色は変わらない・・・。
LAの青空とつながっている、海・・・。
私はこの景色がとても好きだった。
そうだ、啓太さんにここを見せよう。
啓太さんもきっと、この景色を好きになってくれる。
オーダーしたアイスクリームが運ばれてきて。
ラウンジの内装は変わっていたのに。
広がる青い景色と、大好きだったアイスクリームは10年前と同じで。
少し、胸がつまった。
不意に込みあげた感情に、私は戸惑い。
携帯電話をとりだした。
『椿ちゃん、ナイス!
今、穂積にガム買いにいかせた!
ラブシーンの前に、口臭友田にボトル全部食わせてやる。』
さっきの、志摩さんからのメールを読む。
クスリと笑いが漏れ、途端に浮上する気持ち。
やっぱり、志摩さんは凄い・・・。
再び私は、アイスクリームを口に運んだ。
懐かしい味に舌鼓をうっていると。
私のテーブルの横に誰かが、立った。
何だろうと思って、顔を上げると。
そこには。
10年ぶりに見る、私のお母さんが立っていた――
驚いて、声も出ない。
何で、ここに・・・と、思ったが。
泣きそうなお母さんの顔に、ハッとした。
こんな顔が見たいんじゃない・・・。
そう思ったら、無意識に言葉が出ていた。
「あの・・・どちら様ですか?」
とっさに出たのは英語だった。
私の言葉を聞いた途端、お母さんは目を見開いた。
そして、寂しげに笑った・・・。
「ごめんなさい・・・知り合いにとてもよく似ていたので、間違えてしまって。失礼しました。」
知り合い・・・。
他人を装ったのは私の方なのに。
何故か、その言葉に傷ついていた。
だけど、そんなことは当たり前だと自分に言い聞かせて、笑顔を向けた。
「いえ、かまいません。お気になさらずに。」
そういうと、私はこれ以上どうしていいかわからず。
また、志摩さんのメールを開いた。
『椿ちゃん、ナイス!
今、穂積にガム買いにいかせた!
ラブシーンの前に、口臭友田にボトル全部食わせてやる。』
一生懸命、いつも強気の志磨さんの顔を思い浮かべる。
こんな時、志摩さんだったらどうするのだろうか。
あの、敏さんにだって、あんなにすごい啖呵を切った人だ。
そんなことを考えていたら。
「あれ。君、さっきカフェで会ったコだよね?ソースケと一緒にいた・・・。」
ホームズ先生まで、やってきた。
仕方がないので、私は頭を下げた。
そして、何故か。
知らない仲でもないから、とか何とか言われて。
私が座っていたテーブルに2人が同席する羽目になって・・・。
で、何故か少ししたら、ソースケさんまでやってきて。
ええっ、と思ったら。
ソースケさんが。
「木村さんと偶然会って、お茶しているって、ホームズ先生にメールもらったんだ。」
と、私の心を読んだように、そう言った。
そういえば、席に座って直ぐにホームズ先生メールしていたな・・・。
はあ・・・。
仕方が無いので、当たり障りのない話をした。
「へえ、木村さんって学生じゃないんだ。」
「ええ、3月に大学を卒業して、就職しました。ソースケさんは、留学っておっしゃっていましたけど、大学生ですか?」
あんまり私の話をしたくないのに、どんどんソースケさんが話をふってくるので困ってしまう。
しかたがないので、質問でかわそうと思った。
「いや、大学は卒業して、いま院生なんだ。経済的なこともあるから、留学って言ってもスポンサーの意向で来月には帰国なんだ。でも、もうちょっと記録を伸ばして帰らないと、ヤバくてさ・・・だから、必死。空なんて、見ている余裕なかった。今日、木村さんにいわれて、初めてLAの空がこんなに青いって気がついた。ほんと、どんだけ余裕ないんだよ、って・・・はははっ。」
って、せっかく話をそらしたつもりだったのに。
LAの空の話になって、焦る。
LAの空の青が特別、っていったのは・・・お母さんだから。
でも、お母さんは席に着いてからずっと無言で。
まあ、もともと口数の少ない人だったから、初対面の人間とあまり話すこともないのかもしれない。
寂しさを少し感じながらも、私はお母さんがそんな人だったと思いだした。
無口なお母さんを気遣うように、ホームズ先生が自分のコーヒーについてきたクッキーを私とお母さんに勧めた。
その仕草は相変わらず、優しくて。
ああ、お母さんは――
「優しいご主人で、お幸せそうですね。」
思ったことが、言葉として出ていた。
だけど。
お母さんは、そんな私の言葉に眉をひそめ、俯いた。
なぜ、そんな態度をするのかわからなくて、私は戸惑ったのだけれど。
私の携帯が鳴ったので、意識がそちらへ向いた。
着信は、志摩さん。
撮影中のはずなのに・・・何かあったのだろうか。
平日の午後の遅い時間だからか、ラウンジに客は私達だけだったので。
「私達のことは気にしなくていいから、電話とっていいですよ。」
私の表情を読んだのか、ホームズ先生がそう言ってくれた。
私は頭を下げると、着信ボタンを押した。
「はい。」
『あ、椿ちゃん?今いい?』
「はい、ホテルのラウンジでお茶していますが、少しなら話せます。何かありましたか?」
『え?木村さんも一緒なの?』
しまった・・・。
「いえ、ちょっと用事があって・・・それは、明日にしようかと・・・予定より1日早くこちらに来たので、連絡していませんから。」
『そうかー、木村さんに内緒で、1日羽伸ばしても罰当らないかー。』
「し、志摩さんっ。そういうわけじゃ・・・。」
『あはは・・・冗談よ。椿ちゃんがそんなことできるわけないのわかっているわよ。でも、ちゃんとしたホテルでしょうね?いいホテルに泊らないと、危ないんだからね?LAなら、グランドヒロセはないし・・・せめて、サファイアLAホテルか、ホテルシェリルウエストとか・・・。』
「大丈夫です、シェリルに泊りますから。」
『そっか、なら安心だ。』
「で、どうされました?わざわざ電話なんて・・・何かあったんですか?」
『ああ、そう、そう!!椿ちゃんのお陰で、ラブシーンなくなったのよー。』
「ええっ!?ど、どうしてですかっ!?」
『あはは・・・口臭友田にキスシーンで舌入れるのをOKするかわりに、ガムボトル全部食べろって言ったら、喜んで食べてさ・・・で、いざ撮影ってなったら・・・アハハッ・・・腹痛になってトイレこもちゃって。全然出てこないのー。で、その間に監督に友田の口臭が酷いからガム食べさせたって言ったら、他の共演者やらスタッフもそうそう、って言いだして。監督がそれならっていうことで、抱擁シーンのみに変更してくれたのよー。』
「・・・・た、確かに、ああいうガムは、食べすぎたらお腹がゆるくなる場合もありますから・・・。」
『あー、それ想定してアドバイスくれたんだー。椿ちゃんもやるわねー、可愛い顔して結構悪魔よねー。』
「ち、ちがっ・・・志磨さん、私はボトルで、なんて言ってませんよっ!普通、紙のパッケージの10個入りくらいのガムを考えますよねっ!?」
『えー、それは、椿ちゃんが友田の口臭がどれだけ酷いか知らないからだよー。あれはボトル級の口臭だからね。』
「・・・・・プッ・・フフッ。」
もう、志摩さんらしくて終いには、笑えて来た。
『ふふ、元気出たみたいね?』
「え・・・?」
『急に脈絡もなく、愛の告白してくるからさー・・・こりゃ、何かへこんでるかなと・・・まあ、今1人じゃないみたいだからあんまり突っ込んで話ししないけど。何かあったら、連絡してきなさいよ?・・・・私の返事読んだんでしょ?』
「え?返事って・・・?」
私が志磨さんの話の飛躍ぶりについていけなくて、戸惑った声を出すと。
志磨さんは、少し沈黙をして。
それから、電話の向こうでふっ、と笑った。
そして。
『・・・・・バカ、あたりまえだ。』
そう言うと、電話を志磨さんは切った。
「・・・・・・・。」
私は電話を静かに置くと、溶けてしまったアイスクリームを見た。
そして、残っていたウエハースで液状に溶けたアイスをすくい、口に入れた。
志磨さんのおかげで。
切ないアイスクリームの思い出が、温かい思い出にすり替えられそうだ。
そして、もう一度メールボックスを開いて。
志磨さんからのメールを読んだ。
『椿ちゃん、ナイス!
今、穂積にガム買いにいかせた!
ラブシーンの前に、口臭友田にボトル全部食わせてやる。』