2、感傷と切り替え
LAに来たのだから啓太さんに連絡を入れて、啓太さんの家へ行けばいいのだけれど。
ホームズ先生に偶然会ってしまったからだろうか。
お母さんとよく食事に来た、ホテルシェリルウエストに来てしまった。
ここは、この地域では一番の高級ホテルで。
私は、ここのアイスクリームが大好きだった・・・。
一晩、ここで心を落ち着けようと、部屋をとった。
部屋に入り、ソファーに座ると。
この10年・・・・なるべく考えないようにしてきたお母さんの顔が、頭に浮かんだ。
結局・・・お母さんは、政略結婚をして。
嫁いだ先のお父さんに仕えて・・・でも、何度も流産して。
本当に、辛かったのだろう・・・・。
敏さんとのことがあったから、今の私ならお母さんの気持ちがなんとなくわかる。
お父さんが愛人との間に後継ぎを作って。
お母さんとは、政略的な関係でしかない婚姻関係を続けるなんて。
もう、たまらなかったのだろう。
そして、ホームズ先生の優しさに触れて。
ホームズ先生を愛してしまって。
また、お父さんとの愛のない生活に戻るのは、もう無理だったのだろう。
そして、私を見ると・・・辛かった過去を思い出して。
私にもう・・・会いたくなかったのだろう・・・・。
だって、私は。
お母さんの子供でもあるけれど、半分はお父さんの血が流れているから・・・。
それは、認めてしまえば、もっともなことで。
それを認めるまでは、苦しくて悲しかったけれど。
でも、現実を認めてしまえば、気持ちは随分楽になった。
だから、今は。
お母さんがホームズ先生に大切にしてもらっている事がわかって、ただ素直によかったと思った。
私も・・・私の過去と決別したのだから。
啓太さんとの未来を考えればいい。
だけど、今日だけは。
思い出のこのホテルで、感傷に浸ろう・・・。
そんな風に心の内を決めて、1枚だけ残してあるお母さんと2人で撮った写真を、はさんであった手帳から抜き取った。
10年前のお母さんはとても美しく笑っているけれど。
そのほほ笑みは、どこか寂しげで・・・私はいつも、その寂しい笑顔を見ると苦しかった。
でも、今はきっとこんな寂しい笑い方はしていないんだろうな。
ホームズ先生に愛されて、もっと屈託のない笑顔なのだろう。
もう一度、ホームズ先生のお母さんの事を話した時の表情を思い浮かべてみる。
うん、大丈夫。
きっと。
こんな、寂しい笑顔ではもうないはず――
だから、よかったんだ・・・。
そんな事を心の中で思っていたら、突然、携帯が鳴った。
メール受信のメロディ。
面倒で、ずっと変えていない受信音のメロディ・・・いい加減変えないと。
メール音を聞いて、少し気分が落ちた。
だけど・・・。
『無事、着いた?
連絡くらいしなさいよ。
椿ちゃんのことだから、LAで迷っていないか心配でしょ。
あー、これから、友田豪とラブシーンなのよー、テンション下がるわー。
あいつ、口臭酷いのよー。
なにが、イケてるチョイ悪オヤジよっ。
拷問だわ・・・椿ちゃんもいないからつまんないし。
まあ、このうっぷんは、穂積にあたってはらすしかないわよね。』
志磨さんからのメール・・・。
「ぶっ。」
もう、あまりにも志磨さんらしくて。
こんな時だからこそ。
本当に志磨さんに対してありがたく思った。
志磨さんのおかげで、沈んでいた気持ちが切り替わった。
頬を濡らしていた涙をぬぐって。
私は、志摩さんに無事着いたことと、ミントガムをシーンの前に食べて友田さんにも勧めたらどうか、という提案メールを送った。
直ぐに返信がきた。
『椿ちゃん、ナイス!
今、穂積にガム買いにいかせた!
ラブシーンの前に、口臭友田にボトル全部食わせてやる!』
え、ボトルって・・・。
ええっ!?
キシリトールとかはいっている、あのボトル!?
ぜ、全部って・・・。
私、そんなつもりじゃ・・・。
それに、ああいうガムって、沢山食べすぎたらお腹ゆるくなるのでは・・・。
ど、どうしよう。
でも、もう下手な事を言わない方がいいのかな・・・。
とりあえず、頑張って下さい、とだけメールしておいた。
もう、あまりにも志磨さんらしくて。
私のさっきの感傷的な気持ちは、どこかへ消えてしまっていた。
気が付けば、心が温かくて。
私は、もう一度携帯を取り出し、志摩さんへメールを送った。
『志磨さん、大好き。
ずっと、仲良くしてくださいね。』
いつもメール返信の早いはずの志磨さんから、返信はなかった。
だから、もう撮影に入ってしまったのだろうと思ったのだけれど。
15分くらいして、短い返信があった。
『バカ、あたりまえ。』
志磨さんらしくて、笑えた――