10-裏切りは闇夜とともにやって来る
夜。
秋の内に築かれた防壁と、設置された篝火が闇の中に浮かび上がる。あれから数時間の会議を経て王族は解散した。今日はここに泊まって行くそうだ。俺は護衛任務の一環、という建前で休憩を取っている。ロッジにいれば周囲の状況を見ることは出来るんだし、別にいいだろう?
(久しぶりに気を張らなきゃいけないな……
イカンイカン、色々錆びてる)
しばらく戦いもなかったから、緊張の糸が緩んでいる。何かあれば瞬時に張り詰めることも出来るだろうが、生憎何もなくすことが俺の仕事なのだ。体を温めるために入れて貰ったショウガ入り紅茶のカップを手すりに置き、顔を張る。
「おや、先客がおられましたか。お務めご苦労様です、久留間さん」
声を掛けられ振り返ると、そこにはオルクスさんがいた。ジャケットは脱いでいるが出来るだけ露出を少なくし、髪をキッチリと分けた出で立ちはやはりやり手の営業マンめいていた。俺は軽く会釈し、引っ込んで行こうとした。
「お待ちください。こんな機会です、何か話して行きませんか?」
めちゃくちゃ堅苦しい言い回しだが、要するにオルクスさんは俺との会話を望んでいるようだった。とはいえ、この人が好むような話題を俺は持っていない。
「兄の様子はどうですか? エラルドに残った兄のことですが」
「ああ、ナーシェスさんですか? 別に何の問題もありませんよ。
見た目よりは真面目……なんて言うと肉親には失礼かもしれませんけど。
結構助かってるんじゃないですか?」
「あの男は追い詰められないと働こうとしませんから。いい薬ですよ」
兄弟だからこそ思うところはあるのだろう。
俺よりも辛辣だ。
「いい薬、などと言っては失礼でしたね。申し訳ありませんでした」
「……いえ、いいんです。
どれだけ言葉を重ねようと、あの人が死んだことに変わりはないんですから。
だったら受け入れて、受け止めて進んで行った方が建設的でしょう」
俺がそう出来ているか、ということとはまったく別の話になるが。
「マリーにも同じ考え方が出来ればよかったのかもしれませんね」
「マリー、って……ローズマリーさんのことですか? 彼女が何か」
立ち入ったことを聞いていると分かりつつも、好奇心が抑えられない。
「気付いているかは分かりませんが……マリーと我々とでは母親が違います」
「えっ……つまりは、その、後妻に産ませた子供だってことですか?」
「もっと悪い。浮気相手の女を孕ませ、生ませた子供なんですよ。彼女は」
ドロドロだ。
っていうか何やってんだよ、前王は……
「彼女の母はずっと前に亡くなっています。不憫に思った父が家族に加えた。
ただそれは表面的、制度上の話。我々は彼女との間に深い溝を感じている」
オルクスさんはショットグラスに注がれた琥珀色の液体を一息で飲み干した。
「……今わの際に彼女の母が言ったという言葉を、いまも覚えていますよ。
久留間さん、あなたの志は立派だ。願わくば彼女にもその道を歩んでほしい」
そう言うとオルクスさんは会釈し、デッキから出て行った。こっちもまだ道半ば、というか踏み入れてすらいませんよ、とはさすがに今更言えなかった。
「受け入れて進む、か。俺は果たして、本当にあなたの死を受け入れられるか」
ため息を吐き、そしてまだ紅茶を飲み切っていなかったことを思い出した。カップを持つとすでにキンキンに冷えており、中のお茶も冷水のように冷たくなっていた。人の話なんて聞くんじゃなかったな、と思った。
その時、俺は妙なものを見た。塀に掲げられた篝火が揺らいだように見えたのだ。今日は風もなく、炎が揺れるような理由はないのだが。もしかして……
そう思った時、俺の眼前に銀色の光が飛び込んで来た。
俺がそれを認識する前に。
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ドラコ=アルグラナは自室として用意させた部屋でくつろいでいた。少なくともはた目にはそう見える。安楽椅子に腰かけ、窓の外を覗き、琥珀色の酒を楽しむ様はどこからどう見てもリラックスしているようだった。だが内心は違う。
(私がここにいられるうちに転機を得られればいいのだがな……)
ドラコは騎士団の最高権力者にして、王だ。故に軍務のみに専念しているわけにはいかない。残念ながら、彼の他に適任者がいないというだけのことだ。彼がこの地に駐留していられる時間はそれほど長くはないのだ。だからこそ、彼は残された時間を無駄にしないため、敢えてその身を危険に晒そうとしているのだ。
しばらくそうしていると、控えめに扉が叩かれた。
「入りたまえ、鍵は開いている」
扉が開き、入って来たのはローズマリー。
予想していたが意外な客だった。
「騎士たちは外で寒い思いをしているというのに、いい御身分ですわね」
「申し訳ないとは思っているよ。椅子はある、自由にしなさい」
涼しい顔で言って、ドラコはローズマリーに着席を勧めた。彼女は不快げな表情を取りながらもそれに応じた。酒の方はきっぱりと固辞した。
「それで兄さん。どうするつもりなのかしら、この戦いを」
「続けるしかあるまい。落としどころを探せるところまでは、な」
「ウソだわ。あなたは戦うのが好き。私たちの父と同じく」
あからさまな侮蔑が混じった表現に、ドラコは瞬間鋭い視線を投げた。
「ローズマリー、お前が父を憎んでいるのは知っている。私も大嫌いだ。
だが我々の父であることは事実。それに伯母上がキミに望んでいたのはそんな」
「そんな言葉が聞きたいわけじゃないわ! 分からないの、兄さん!」
ヒステリックな叫びにドラコの声はかき消される。
「それでは、この国が蹂躙されて行くのを黙って見ていろと言うのか?」
「あなたの楽しみに付き合わされて多くの命が失われるよりマシ」
「戦いが好き。それは否定しない。私の半生は戦いによって彩られてきたのだ。
だがそれに民を付き合わせる気は微塵もない。それだけは理解してもらいたい」
「ウソばかり。あなたは父と同じよ。男でありすぎるのよ、あなたは!」
ドラコには酒はやっていないように見えた。ならば錯乱しているのか。いや、そうではないと彼は感じていた。これは妹からの最後通牒なのだと理解した。
「私の意志ははっきりしている。この国を守るためなら何でもやろう。
西方が攻めて来るのならば受けて立つ。最後の最後まで戦い抜いてやる。
それが私の答えだ、マリー」
長らく呼んでこなかった愛称で、彼はローズマリーのことを呼んだ。一瞬だけローズマリーの態度が素に戻ったが、しかしすぐに酷薄なものに変わる。
「そう、ならば仕方がないわね。あなたは……強くて、理想的過ぎたわ」
窓が割れる。寒風が吹きすさぶ。
黒い衣装を着た者たちは部屋に乱入した。




