01-転移者、無限の叡智
翌日。俺たちはあの尖塔、天翅の塔の前に立っていた。ここまで来ると、その滅茶苦茶な大きさが分かる。先端部分は雲の向こう側にあり見えない、あと下の方も結構広い。周辺の広場は一般開放されているようだが、入り口の両脇には二人の兵士が立っている。
「ご苦労、諸君。リニア=モルレットだ。
シオン=グラナ=エラルド様をお連れした」
兵士たちは直立不動の姿勢で敬礼を作った。それと同時に扉がひとりでに開く。自動ドアなのだろうか、つくづくファンタジーっぽくない光景だ。
内部のエントランスは、清潔感のある白で統一された空間だった。非現実的にまで透明な白、辺りに設置された観葉植物の緑がむしろわざとらしく、浮いているように見えた。純白の神官服を纏った人々が行き来するのを見ると、目が痛くなりそうだ。
「それでは、登録作業を行ってまいります。
リニア様、久留間さん、待っていて下さい」
シオンさんはにこりと笑い、カウンターへと向かった。残された俺とリニアさんは来客用のソファに一人分の隙間を作って腰掛けた。一瞬の静寂。
「リニアさん、シオンさんって王国でも有名な方なんですか?」
「どうしたんだ、いきなり藪から棒に。そんなことを聞いてどうする?」
「いやあ、ちょっと純粋に気になって。でも本人に聞くのは気が引けるし」
相手のプライバシーを詮索するのはあまり良くない気がした。又聞きで知ろうとするのもどうかと思うが。リニアさんは少しだけ迷って、そしてため息を吐いた。
「他言無用で頼むぞ、久留間くん」
「もちろんです。口の堅さには自信がある、なにせすぐ忘れるからな」
「私が教えたことを忘れたらタダじゃ済まんぞ。
元々シオン様は貴族の出ではなく、平民の出なのだ。これは異例なことだ。
通常、貴族は貴族と婚姻関係を結ぶ。教育水準が違い過ぎるからな。
それに、貴族世界には平民世界には存在しない暗黙の了解が存在するのだ。
だから普通、貴族は平民と結婚したいと思わないし、逆もまた然りだ」
「へえ、でもシオンさんってなんていうか、気品がありますよね。
言葉にはしづらいですけど清純っていうか、純白っていうか……
他の人とは何か違う気がしますよね」
「そのような彼女の内なる清純さに、かのエラルド公も惹かれたのだろうな。
両親の反対を押し切ってナサニエル公はシオン様と結ばれた。
以後、二人は幸せな家庭を築く」
ナサニエル、それが彼女の夫の名前。
どんな人物だったのだろうか?
「しかし、幸せは長く続かなかった。西方開拓者連合との戦争が発生したのだ。
騎士の位階を持っていた彼は夜を平定するために戦い、そして生き延びた。
しかし、大跳躍が二人の運命を引き裂いた。
ナサニエル公の遺体はいまも発見されていない」
異世界人の転移、オーバーライドはみんなの人生を変えてしまったのだ。
シオンさんの、リニアさんの、そしてこの世界に住まうすべての人の運命を。もし神様とやらが本当に存在するのならば、どうしてこんなことをしているのだろうか? そういえば、あの女神様にもどうしてそんなことをするのか聞けていなかった気がする。
「シオン様は深く悲しんだ、しかしそれを押し殺してあのお方は立ち上がった。
亡き夫が守った土地を、愛する臣民を守るために再び立ったのだ。
彼女は王国で唯一無二の、平民出身の領主にその日からなったのだ。
強いお方だ、だからこそ私も尊敬している」
リニアさんの瞳には深い敬愛の念が浮かんでいた。彼女の言葉にはウソはないのだろう、俺もつられてシオンさんの方を見る。一見頼りないとさえ思える小さな背中、しかしそれはとてつもなく大きなものを背負い、支え、そして慰撫するものだ。俺にだって、誰にだって、そんなことは簡単には出来やしない。
「お待たせいたしました、お二人とも。
これにて登録はおしまいです」
彼女の背中を見ていたら、いつの間にか時間が経っていたようだ。シオンさんの手には小さなピンバッジが乗っており、そこには北斗七星めいた星が刻まれている。恐らく、これが七天神教のシンボルなのだろう。彼女はそれを俺の襟元に着けた。
「これがあなたの神官としての身分を保証してくれます」
「感謝します、シオンさん、リニアさん。俺たちのためにここまで……」
「これが仕事だからな。さて、帰る前に一つだけやることがある」
もう一つの仕事? シオンさんに確認したが、彼も知らないようだ。
「実は、ここにも転移者が1人来ていてな。
昨日のうちに話を通しておいたら、会いたいと向こうから言って来た。
時間もあることだし、キミも興味があるんじゃないか?」
「それは、まあ。でも転移者ってだけで無限の興味はわきゃしませんよ」
相手がこちらの知り合いかどうかも分からない。あの状況から考えて、クラスメイトが水田くん以外にも転移している可能性が高いが……そんなことを考えているうちに、俺たちは長い通路の先にあった部屋の前に到着した。リニアさんが扉を叩く。
「どうぞ、こちらの準備は出来ています」
これまた『どうぞ』か。七天教会の神官の中でも、この先に待ち受ける人物はそれなりに高位にいるらしい。しかし、前にも一度聞いたような……?
「よく来た、新しき転移者よ。我が名は『無限の叡智』……」
扉を開くなり、いきなりアルティマノウリッジ氏が話しかけて来た。
肩まで伸びた長い黒髪。一房は白く染められ、管状の髪留めで留められている。整えられているが犬の耳のようにはねたところがあるのはご愛敬だ。白地に金糸の詩集をあしらった、全身をゆったりと覆うローブ。ハーフフレームの眼鏡をかけた、まだあどけなさを残す顔立ち。
ようやく合点がいった、どうして俺がその声を知っているのか。
相手は俺の幼馴染だ。
「……あれ、ハル? お前、何でこんなところにいるわけ?」
テーブル越しに立っていた少女の名は、世木春馬。小学校からの付き合いで、とても大人しい文学少女だった……のは半年前までの話。高校に入るなり髪を染め、キャラクターを変え、新しい生活の中で新しいポジションを築こうとした。そして、失敗した。自爆した春馬は不登校のような状態になってしまった。
別に苛められているわけでも、無視されているわけでもない。ただ不思議な子として生暖かい視線を受けているだけだ。俺も学期中はいろいろ気にかけて、プリントを持って行ったりしたが、ディメンジアの侵攻が始まるといろいろおざなりになってしまった。しかし、あの日あの場にいなかったハルまでこっちに来ているとは。
それにしても顔を真っ赤にするほど喜んでくれるとは、男冥利に尽きる――
「きっ……! 消え去れーッ!」
そんなわけないよね。
俺の顔面に赤々とした火球が飛んで来やがった。