06-帰還の日
その後、マーブルがアイバルゼンに出現することはなかった。ハルが戻って来るまで待機するしかないとはいえ、もどかしい。エラルド領ではいまもマーブルが出現しているかも知れないのに。こんな田舎にいては情報を収集することも出来ない。
「この辺にゃあ、あんまり化け物が出ないからな。
国境線を接しているから、防備にはほかの村以上に金を掛けてる。
そんな場所にはよ、化け物だっていたくねえんだろ」
「そっスか……まだら色の化け物が他にも出た、って報告は……」
「上がってないよ。兄さん、仕事熱心だね。真似出来ねえや、ハハッ」
足で稼ごうにも周辺の村はアイバルゼン以外にはない。待つしかないのか。
5日後。シオンさんから親書を貰ったハルがようやくこちらに戻って来た。
「遅いぞ、ハル。いくらなんでも待たせ過ぎだ。待ちくたびれたぞ」
「文句ならシオン様に言ってくれ。私は私が出来る限りのことをしたんだ」
そんなことを言われたら、怒るに怒れないではないか。
「暇ならば暇なりにやることがあったはずだ。
お前はいつもそうだな、久留間」
「それはそうとして……なんでこいつまでいるんだよ、ハル」
なぜかシャドウハンターもついて来た。理由は分かっている、ディメンジアはこいつの母国だ。来ないわけにもいかないだろう。だが、こいつを本国と接触させて果たしていいものだろうか?
「いいとシオン様が判断したんだ。私なんかが口を挟むところじゃないさ」
「うーん、そういうもんか? いやでも、うーん……仕方ないのかなぁ?」
例えばこいつがディメンジアに戻ると言ったら、シオンさんはそれを了承するのだろうか? きっとするのだろう、あの人の事だから。だがそれでいいのか?
ぼんやりと考えているうちに俺たちは船で次元城に渡っていた。
「確かに受け取った。よりよい関係が築けることを祈ろうではないか……」
皇帝は親書の内容に納得したようだ。無用な争いが避けられるならそれでいい。親書をクラーケンに渡し、続けて皇帝は奥に控えるシャドウハンターを見た。
「……帰還が遅れ、申し訳ありませんでした。陛下」
「お前の事情は既に久留間から聞いている。大儀であった、シャドウハンター」
シャドウハンターはただ跪き、顔を上げることすらも出来なかった。
「これより先は一意専心、皇帝陛下の剣としての職務を全うする所存に――」
「否、そうではない。お前のいるべき場所はここではない、シャドウハンター」
それには俺もシャドウハンターも驚いた。彼は驚きのあまり顔を上げてしまう。
「それは、もはや私は不要と言うことですか? 皇帝陛下」
「そうではない。しかし、お前はお前の命を使うべき場所を見つけたと見える」
シャドウハンターは否定しようとして、言葉に詰まった。彼の心に去来したのは、恐らくエラルド領での出来事。農耕に従事した日々、刈り入れのこと、脱穀……あ、全部農耕関係だこれ。ともかく、彼が過ごしてきた数カ月の記憶だ。
「話を聞かずとも、お前の顔を見れば分かる。見違えるようになった」
「申し訳ありません、皇帝陛下。あなた様の剣であるにも関わらず、私は……」
「心のまま生きよ、シャドウハンター。お前の生き方を決めるのは私ではない。
いまここで生きるお前の心、お前の魂こそが、お前の道しるべとなるのだ……」
彼は涙を流さない。冷酷な殺戮機械、皇帝の懐刀に涙を流す機能はない。
それでも、シャドウハンターは泣いていた。少なくとも俺にはそう見えた。
先ほどの出来事を、俺はぼんやりと馬車の中で考えた。すでに日は落ちかかっているが、アイバルゼンからバルオラまではそれほど距離がない。
アイバルゼン防衛のために兵力が派遣されることになった。俺はそれまでの繋ぎだったわけだ。次元帝国は教会と強調し、アイバルゼンと国境線を守る任に就くこととなった。それが物資の提供を受ける代わりに、彼らが差し出すことになった代償だ。実際、エラルドとしても彼らの技術力と兵力を受け入れることが出来たのは大きいだろう。
ついさっきまでいた場所が、どんどん小さくなっていく。反対に、俺の心を大きく占めるようになったような気がする。何なんだろう、これは。
「やけに大人しいじゃないか、武彦。どうしたんだ?」
そんな俺の様子を心配したのか、ハルが声を掛けて来た。シャドウハンターは座禅姿勢で座り込み、一言も言葉を発さない。先ほど皇帝に言われたことを反芻しているのだろうか? 静寂の中にあって俺とハルの言葉だけが反響する。
「……自分のところから離れた奴を許すって、どういうことなのかな?」
「シャドウハンターのことを言っているのか? 彼は戻って来ただろう」
「でも、その間に致命的な裏切りをしているかもしれないだろう?」
他人は信用ならない。でも、信用しなければ生きていくことなんて出来ない。だから他人を信じる目を鍛え、他者の一挙手一投足を観察する。守るべきものを守り、それを傷つけるものを排除する。それが生き物の性ではないのか?
「お前の言いたいことも分かる。でも……
信じるって言うのはそういうことじゃない」
「じゃあ、どういうことなんだ? 無条件に他人を受け入れろと?」
それこそ、受け入れられないことだ。ディメンジアとの共闘だって俺としてはギリギリのラインだ。あいつらがどれだけ有用だろうと、信用することは出来ない。
「他人を受け入れる。それが信用するってことだと私は思う。
お前があの件で他人を信じられなくなっているっていうのは、分かる。
それでも、いまのお前がやっていることはお前を押し付けているだけだ。
それだけは分かってくれ」
それっきり、ハルは黙った。俺の言葉を待っているのかと思ったが、目を閉じて寝息を立てている。起こしてやろうとも思ったが、止めた。最近の激務で疲れているのだろう、村に戻るまでの間くらいは寝かせておいてやろう。
(……他人を受け入れること、か)
どういう感覚なのだろう、それは。
それはかつての俺にもあったものなのだろうか?
そんなものがあったから、俺は色々なものを失ってしまったのだろうか?
ぼんやりとそんなことを考えていると、眠気は俺にも襲い掛かって来た。




