02-罪には問われないようです
真っ赤なカーペットの敷かれた廊下を歩いていると、角からひょっこりと青い髪の少年、ファルナが現れた。彼は遠慮がちに俺のことを見上げえた。
「……おかえり。怪我とか、してない?」
「あっ? うん、大丈夫。心配してくれて、ありがとな」
それだけ言うとファルナは踵を返し、廊下の角へと走り出した。そして同じく角で待っていた赤い髪の少女、レニアにそっと耳打ちした。二人は頷き合い、俺に手を振って消えた。俺も手を振り返して、そこであることに気付いた。
「……ねえ、リニアさん。俺もしかしてお帰りって言われました?」
「少なくとも、ここの住人として認めてくれたわけだ。羨ましい限りだな」
リニアさんはふっと微笑み、また歩き出した。ダーク襲来以来、2人との距離が少しは縮まったような気がした。短い空白期間の中で、彼らも自分の心にある程度整理をつけられたのだろう。そういうことが、何だか無性に嬉しかった。
リニアさんは真っ直ぐ門へと向かわず、手前で曲がって庭園に入った。煉瓦敷きの通路の上で、ハルが蝶々と戯れ、花を楽しんでいた。
「よう、ハル。何だ、向こうじゃ花なんて見向きもしなかったくせに……」
「……武彦か。どうやら、無事に帰って来られたみたいだな」
「なんだい、そのまるで帰って来れないのが前提みたいな言い方は」
ハルは大きなため息を吐いた。まるで俺がそれに気付いていなかったと言わんばかりに。そこまであほだと思われると、さすがの俺も傷つくぞ。
「言っておくがな、ハル。俺は中西さんが怪しいって最初から気付いてたぞ?」
「なんだ、その程度のことを見る目は武彦にも備わっていたか」
「当たり前だろ。だいたい、1年も村にいた人間が夜の道を選ぶかよ。
手にマメの一つも作らずに生活することなんて出来ないはずだ。
ディテールが甘かったよ」
中西さんは不自然に綺麗すぎて、不自然に汚過ぎた。こちらの世界で普通に生きているのならば取るであろう選択を取らなかった。普通は夜の一人歩きなんて、転移者であっても絶対にやらない。ダークに奇襲される可能性が極めて高くなるからだ。
「ま、事の顛末は教会で聞かせて貰うとしよう。それじゃあ、行こうか」
ハルを加えて俺たちは屋敷を出て、小高い丘に建った教会へと向かった。途中でアルフさんが『今度手合わせをお願いします』と言って来た。そう言えば、王都でそんな約束をしたっけ。すっかり忘れていたけど、反故にするわけにもいかんか。
「……殺した!? あそこに現れた転移者、3人全員をか!?」
「中西さんはシャドウハンターがやったけど、残りの2人は俺がやった」
偉大なる神の像の横にある扉を潜り、教会関係者が使うラウンジのようなスペースに入った。そこで話を始めたが、数分後にハルが叫んだ。
「状況は言っておいた通りだ、あのまま放置していれば確実に死人が出ただろう。
だから、そうならないように迅速に解決した。何か問題があるか、ハル?」
「問題があるか、って……クラスメイトなんだぞ!」
この際関係あるかなあ、それ。例えば拳銃を持って胸を狙っている奴がいたとして、それが親兄弟だったなら何か対応が変わるのだろうか? 反撃の手段があるならばそうするだろうし、ないのならば避けようとするだろう。それだけのことだ。
「よせ、ハル。久留間くんは最善を尽くした。そうだろう?」
「それは……確かにそうだな。しかし、許容出来んぞ。そんなことは!」
「そうだな。お前の言っていることももっともだ。割り切れることではない」
リニアさんは俺とハル、その両方の話に理解を示した。
若干ハルよりな気はする。
「そうするしかなかった、と言うことは信用しよう。だが気を付けてくれ。
基本的に、この世界では殺人はご法度だ。死刑さえもあり得る罪状なんだぞ」
「それは分かっています。俺の世界だって、殺人は重大な罪だった」
「もちろん十分な要件……
相手が明確な殺意を持っていたり、凶悪な盗賊だった場合は正当な防衛となる。
だがそれでも、殺人を忌避する者は多い。覚えておいてくれ」
俺は頷いた。ファンタジックな世界なのに、倫理観は現代のそれと大差ないらしい。あるいは、人の生き死にが身近にある世界だからこそ人は法によって己を強く律するのだろうか? 自然な死を尊び、不自然な……すなわち、人が人を殺すようなことを最大の罪と断ずる。それは、この世界が共同体を構成するためになくてはならないものなのだろう。
「法に従うならば、強大な力を持つ転移者が相手ならば十分正当防衛が成立する。
その事態を目撃した者も多くいるそうだし、キミが罪に問われることはない。
欲を言うならば貴重な転移者は殺さず生かして帰して欲しいところだが……」
無茶を言ってくれる。だが、次回からは気を付けておくことにしよう。
「転移者が死ぬところを始めてみたんだが、全員ああなっちまうのか?
つまり……全身から黒い炎が溢れ出してきて、体が爆発するようなことに」
「そうだな……転移者の死亡記録自体が少ないから詳しくは言えないが」
ある程度調子を取り戻し、ハルが会話に戻って来た。
「体内の魔素が燃え上がり、肉体と精神を浄化するのだそうだ。
浄化された者は煙となって天へと昇り、七天の下へと誘われる……
らしい。つまりは、死ぬってことだ」
「魔素を大量にため込んだ人間ほどよく燃える、ってことだ。そもそも魔素って?」
「ダークが死とともに排出する、不可視の物体のことだ。
これを取り込むと身体構造が変化したり、魔法が使えるようになったりする。
魔素をどれだけ集積しているかは水晶球を使えば見ることが出来る。
あと、魔素によりどれくらい変化が起きているかを示すのがレベルだ。
人間はだいたい同じくらいの魔素で、一定の変化を起こすことが知られている」
レベルというか進行度合いと言った方が正しくないか? ガンとかの。
「ダークが狩り尽されるわけだ。倒せば強くなるってんなら……」
「基本的に、何の訓練も受けていない人間に倒せるようなものじゃない。
訓練を積んだ騎士でも、一対一で絶対優位な状況でだって負けかねない。
危険な相手だよ」
正直、そんな気は全然しなかったが……
普通の人にとってはそういうものなのか。
「転移者を基準にしないことだ。
我々の生存権は常にダークに脅かされている」
「それにダークは生物のようで生物ではない。
生殖も食事も睡眠も必要なく、只人を殺すためだけに存在している。
我々とは根本的に相容れない生き物なんだよ」
この世界に住まう人だから、他人ごとではないのだろう。リニアさんの語気が段々と強くなっていく。だけど本題からは少しずつズレているような気がする。
「ごめん、変なこと言った。話しを戻そう」
「おっと、そうだな。すまん、熱くなってしまったようだな」
「目下最大の問題は、教会も管理出来ていない転移者が存在するってことだ。
我々の持つ記録の中には、少なくともその3名の名前は記録されていない。
正確を期すならば、多良木鋼の名前もだけどな。闇に生きる転移者がいる」
そして彼らは何らかの方法を使って生きている……それが己が身に宿った加護を使い、人から奪っているのであろうことは考えなくても分かる。
「警戒を厳にする必要があるだろうな。本部にも情報を流しておこう」
「頼む、リニア。エラルド領での調査も進めなければならんかもな」
この世界に突如として現れた転移者が、この世界の在り方を歪めようとしている。女神様とやら、これがあんたの望んだ世界なのかい? だったら、アンタはこの世界の人間が苦しむ姿を見るのが好きなのか? もしそうでないのならば……
答えてくれ。
アンタはいったい、俺たちに何をさせたいんだ?